浅井樹氏は1989年夏の甲子園で本塁打同年ドラフトで広島から6位指名 走攻守3拍子揃った逸材として注目を集めた。元広島外…

浅井樹氏は1989年夏の甲子園で本塁打…同年ドラフトで広島から6位指名

 走攻守3拍子揃った逸材として注目を集めた。元広島外野手の浅井樹氏(カープ・ベースボールクリニックコーチ)は富山商時代の2年夏と3年夏に甲子園に出場した。いずれも初戦敗退に終わったが、3年夏の鶴崎工(大分)戦では本塁打を放つなど、非凡な才能を見せつけた。当初の進路は社会人野球入り。日本IBM野洲に内定していたが、1989年ドラフト会議で広島が6位で指名した。「カープはノーマークでした」。実はプロなら大洋と思っていたという。

 3年夏の甲子園。浅井氏はソロアーチを右中間の、当時はあったラッキーゾーンへ放った。センターの守備でもバックホーム送球で強肩を披露し、二塁走者を三塁でストップさせた。体は大きく、その上、足も速かった。粗削りながら将来性たっぷりの逸材。1回戦負けだったにもかかわらず、大会ベストナインの1人として報じたメディアもあったほどだ。当然、プロも注目した。

 しかし、浅井氏は「いやいや、プロなんて無理無理」と考えていた。「プロには行きたかったけど、夢のまた夢なんだろうってしか思ってなかったですからね」。そして社会人野球の日本IBM野洲入りを決めた。法大などを率いた鴨田勝雄氏が監督で、入社が内定した他の選手とともにしゃぶしゃぶを食べに行ったという。「お前ら頼むぞ、みたいな感じでね」。寮はなく、先輩選手の住んでいるところを見せてもらったりもしたそうだ。

 この情報がプロサイドにも入り、各球団が浅井氏のドラフト指名を見送ったと思われる。そんな中で広島が敢然と指名したのだ。「自分は直接スカウトと話ができなかったので、すべて親から聞いた話ですけど、カープはほとんど調査もなかったみたいなことを言ってました。オリックスとかヤクルトとか近鉄とかはチラッと聞いていたんですけどね」。浅井氏は西武ファンだった。「秋山(幸二)さんが大好きで、かっこいいなと思って。でも西武も調査はなかったって言っていたと思います」。

社会人に進むか…迷った末に広島入団を決意

 プロで一番熱心だったのは大洋(現DeNA)。「大洋さんは『ドラフト外でウチに来てください。評価はそれなりにさせてもらいます』と言ってきたと親から聞きました」。1990年まで、ドラフトで指名されなかった選手と球団が直接交渉して入団できる制度としてあったドラフト外。正直、18歳は揺れ動いていたという。「2つ前(1987年)で同じ富山の高岡商から(内野手の)進藤(達哉)さんがドラフト外で大洋に入っていたのもあった。高校時代から面識もあったから、進藤さんもいるならと……」。それがまさかの広島指名だ。

「ウチの親は、ドラフト後に大洋のスカウトから(将来の指名を前提に)『それなら社会人に行ってくれないか』と言われたそうです。『それで、お前、どうする』ってなって……」。いろいろ考えた末に決めた。「せっかくカープから指名があったのだから、カープに行くよ」と。「最終的にはプロに行きたかったのだから、と思ってね。自分で決めました」。

 広島の担当スカウトは渡辺秀武氏。「あの時、ナベさんは言ってました。『鴨田さんに、浅井を横取りした感じになってすみませんでしたって謝りに行ってくる』って」。日本IBM野洲に頭を下げ、大洋に断りを入れて、広島に入団した。いろんな人にお世話になり、いろんな人に迷惑もかけて選んだ道だった。まさにドラフトで運命が変わった。

 プロ6年目に1軍で活躍し始めた頃、横浜スタジアムで見知らぬ人から「お前、やっと上がってきたな」と声をかけられたという。ドラフト当時、熱心に誘ってくれた大洋のスカウトだった。「名前も知らないし、高校の時には僕は接触していなかったから、顔を見てもわからなかったけど『お前を獲ろうとしていた』と言われた。本当に思ってくれていたんだ、とうれしかったですね」。さらに気合も入った。(山口真司 / Shinji Yamaguchi)