2024年パリ五輪のマラソン日本代表の座を狙う、箱根駅伝に出場した選手たちへのインタビュー。当時のエピソードやパリ五輪に向けての意気込み、"箱根"での経験が今の走り、人生にどう影響を与えているのかを聞いていく。※  ※  ※  ※パリ五輪を…

2024年パリ五輪のマラソン日本代表の座を狙う、箱根駅伝に出場した選手たちへのインタビュー。当時のエピソードやパリ五輪に向けての意気込み、"箱根"での経験が今の走り、人生にどう影響を与えているのかを聞いていく。

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パリ五輪を目指す、元・箱根駅伝の選手たち
~HAKONE to PARIS~
第16回・佐藤悠基(東海大―日清食品グループ―SGホールディングス)後編
前編を読む>>箱根駅伝3年連続区間新「どの区間をどんな意気込みで走りたいかとよく聞かれたけど、そういうの関係ないからと」



2019年のMGCでは23位に終わった佐藤悠基(当時日清食品グループ)

 箱根駅伝に4年連続で出走し、うち3回は区間新という強さを見せた佐藤悠基。東海大時代から、その行く先が注目されていたが、決めたのは日清食品グループだった。

「僕が実業団を選ぶ際に何を重視したのかというと、レベルの高い練習相手、強いチームメイトがいることでした。東海大では3年までは先輩で伊達(秀晃。元中国電力)さんという強い練習相手がいたのですが、4年時は練習相手がいなくてハードな練習をする時に、ひとりでやるのがキツかったんです。もっと上のレベルにいくにはレベルの高い選手と集団で練習をしたほうがいい。そう思っていたので日清ほぼ一択でした」

 09年入社時の日清食品グループには、学生時代は四天王のひとりと言われた北村聡(日体大・現日立女子監督)、同期では小野裕幸(順大・現前橋育英高監督)らがおり、質の高い選手が集まっていた。

 その頃、マラソンはまったく考えていなかったという。佐藤が初マラソンに挑戦するのは、それから4年後の2013年になる。マラソンを走るきっかけになったのは、何だったのだろうか。

「ロンドン五輪に出た時(5000mと10000m)、男子マラソンを間近で応援していたんです。その時、現地での応援がすごく熱かったですし、走っている選手を見て、カッコいいなと思ったんです。自分もこういう場でやってみたいと純粋に思えたし、自分の心がそう動いているということは、モチベーションがあるということ。それじゃあやってみようと思い、マラソンを始めました」

 初マラソンとなった13年の東京マラソンは2時間16分31秒だった。この時は、タイムを追うよりも別の狙いがあった。

「まず、自分の能力を知るということですね。トラックを走っていた選手がマラソンでどれだけ走れるのか。ほぼマラソンの練習をせずに走ったんですけど、まずは自分がマラソンをするにあたり何が足りないのかを知るレースにしたいと思ったんです」

 この頃は、どちらかというとトラックがメインだった。14年の日本選手権では5000mと1万mで優勝するなど、トラックでは国内で無双だった。本格的にマラソンにシフトするのは16年のロンドンマラソンからになるのだが、佐藤はマラソン強化の難しさを感じていた。

「マラソンを経験していくなかで、自分に足りない要素がわかってくるんですが、それを次の練習やレースに落とし込んで確認するというのがすごく難しくて......。マラソンはトラックと違って年に1本か2本しかチャンスがなくて、検証もレースと同じ回数しかないんです。トラックのようにトライ&エラーを何回も繰り返すことができないので、自分でいろいろわかっていても思うように進まないことが多かったですね」

 それでもコツコツと力を積み重ね、2018年の東京マラソンで2時間8分58秒、総合8位となり、2021年の東京五輪のマラソン男子代表を決めるMGC(マラソングランドチャンピオンシップ)出場権を獲得した。

【感覚を麻痺させる思考回路を作りたい】

 そのMGCは23位に終わり、このレースの難しさを痛感したという。

「走って思ったのは、普通のマラソンとは違う強さが求められていることですね。通常のマラソンだとペースメーカーがついてキロ3分前後で進んでいきますが、MGCはそれがつかない完全な勝負レース。冬のレースに比べると暑さという点でもそうですし、地力がないと最後の勝負どころまで生き残っていけない。そこからラストの勝負に勝つためには、ベースの地力を上げていく必要があると思いました」

 次回のMGC(10月15日開催)では、その時の教訓が活かされそうだ。

「次回のMGCは、消耗戦だと思っています。10月はまだ暑さもあり、コースは折り返しが多く、最後は坂もあります。みんな、37、38キロ付近から勝負をかけてくると思うんですが、前回はその勝負どころに自分はいられなかった。そこからラストまでどれだけ余力を残していけるか。そのためにしっかり脚作りをしないといけない。そのキャパ作りが次のMGCにおけるひとつのテーマになっています」

 その脚作り、余力をつくるために何をすべきだと考えているのだろうか。

「これまで量をメインに考えたメニューの時のほうが安定した結果が出ているんです。次回もまずは、長く走ることに対して苦にならないというか、感覚を麻痺させる思考回路を作っていきます。たとえば朝練習でこれまで15キロだったものを25キロにしたり、長く走ることを習慣化していく。量をこなせる体があるうえでスピード練習をこなしていければマラソンを走れる感じになっていきます」

 42.195キロという距離に対して感覚を麻痺させていくために踏む距離を増やしていくが、佐藤は月間走行距離で見るのではなく、週間走行距離を重視している。

「1か月単位ですと、どうしても距離を追ってしまうので強弱をつけるのが難しく、思った以上に疲労が残っていたり、ある瞬間に体が動かなくなったり、ケガのリスクも高いんです。でも、1週間単位だと細かく総合距離を調整し、強弱をつけていくことで疲労をうまく抜くことができる。そうすることで質の高い練習を維持できます。距離は1週間で300キロ前後、増やす時もあればコンディションによって減らす時もあります。しっかり走って、徐々に距離を落としていくなかで疲労を抜いて、フレッシュになったら距離を増やしてというサイクルでいくとうまく疲れが抜けて体に余裕ができてきます」

 細かい調整は、年齢を考慮しての取り組みでもある。加齢とともに「疲れの抜けが違うなど体が変化していく」と佐藤は苦笑するが、36歳という年齢は陸上に限らず、アスリートの世界ではベテランと称されることが多い。

 佐藤は、その言葉に違和感を覚えるという。

「ベテラン選手って、自分のイメージでは力が落ちているけど長くやっている選手って感じですね。でも、キプチョゲ選手(ケニア)は、世界のトップであり続けているから、そういうイメージがないですし、そもそもベテランと呼ばれない。年齢が上がれば経験値で優位に立てますが、逆にパワフルな走りはできなくなってきます。そういう違いが出てきますが、スタートラインに立ったらベテランも若手もない。競技で本気で世界を目指している選手にとって年齢は関係ないと思いますね」

 世界で戦うために臨んだ前回のMGCは23位に終わり、東京五輪にマラソン代表として出場できなかった。来年は、いよいよパリ五輪が開催される。佐藤にとって、五輪はどういう位置づけになるのだろうか。

「僕は五輪に全てをかけるとか、何がなんでも出るとか、そういうふうに考えたことがないです。五輪も1本しっかり集中して走るレースのひとつですし、力をつけるためのひとつの大会としてうまく利用できたらと思っています」 

【世界で戦える選手に】

 多くのアスリートが五輪を人生をかけた最高の舞台と捉えているが、佐藤の五輪に対する姿勢は、どのように培われていったのだろうか。

「前に欧州のダイヤモンドリーグに出る機会があったんです。五輪は枠が決まっているので、選ばれた選手しか出場できないんですけど、ダイヤモンドは誰でも参加できますし、賞金がかかっているのでアフリカ勢だけではなく、世界から本当に強い選手が集まってくるんです。

 モナコでレースがあった時、直前のベルギーの大会で5000m13分13秒60(2013年7月13日)を出したので、そこそこ勝負できると思っていました。でも、最初の200mで離されて、違うレースになってしまった。自分のレベルを思い知らされて、そこから五輪や世陸だけではなく、強い選手が集う世界で勝負して結果を出したい。世界で勝てる強い選手になりたい。そう思ったんです」

 どこか達観したような佐藤の思考には、世界との勝負に勝つという揺るぎない覚悟がある。舞台がどこであれ、強くて速い理想の自分を細部にまでこだわり、追求しているところは「マラソンの求道者」のようにも見える。

「来年引退するということであればMGCに全てかけていきますけど、今のところそういう予定はないですからね。ただ、世界で勝負するためには、MGCでもしっかりと力を見せるというところにこだわり、集中してトレーニングをやっていかないといけないと思っています」

 MGCが終わっても佐藤は強くなるために歩みを止めないだろう。だが、その先、どこに向かうつもりなのだろうか。

「まだまだマラソンで世界と勝負したいという気持ちがあるので、たとえばワールドマラソンメジャーズの大会で優勝したいですね。陸上は、そういう順位を争うところとタイムを追うところの二面性を持っています。周りの相手を意識しながら走るレースで戦いつつ、自分の限界にチャレンジして自分史上最速を常に目指していきたい。時間がかかったとしても、最終的に自分の目指した目標にたどり着ければ、それは自分のなかでの勝ちかなと思っています」