Jリーグ30周年を記念して、Jリーグにまつわるクイズを30問出題。まずは、1993年5月の開幕節に関する話や、30年間の…
Jリーグ30周年を記念して、Jリーグにまつわるクイズを30問出題。まずは、1993年5月の開幕節に関する話や、30年間のハットトリック、FKなどの記録について(全3回の第1回)。

1993年5月15日に開幕したJリーグ(写真は開幕戦のヴェルディ川崎対横浜マリノス)
【問題(答えは本文後半から)】
Q1:1993年5月15日のJリーグ開幕戦には5万9626人が来場。以後も国立競技場での試合にはほとんど5万人以上の観客が集まりました。では、1993年に国立競技場以外で最多の入場者を集めた試合は、どこのスタジアムで行なわれたでしょうか?
Q2:1993年5月15日に開幕したJリーグ。翌16日には鹿島アントラーズのジーコが鮮やかなハットトリックを決めました。では、Jリーグでハットトリックを達成した2人目の選手は誰だったでしょう?
Q3:では、J1リーグの30年間で最も多くハットトリックを記録した選手は誰だったでしょう?
Q4:では、最短時間でハットトリックを達成した選手は誰でしょう? ちなみに、日本代表では中山雅史(ジュビロ磐田)が、2000年2月16日のブルネイ戦において3分15秒で達成したことがあります。
Q5:1993年に開幕したJリーグの人気は急騰。多くの観客がスタンドを埋めました。初年度で最多の観客を集めたのはカズやラモスを擁するスター軍団のヴェルディ川崎。では、観客数が一番少なかったクラブはどこでしょう?
Q6:1993年5月16日のJリーグ開幕戦。試合開始前に照明が消えてキックオフが遅れたのはどこの競技場?
Q7:J1リーグでFKから直接ゴールを決めた回数が最多なのはもちろん(!)中村俊輔(横浜F・マリノスほか)です。では、直接FKからのゴールが2番目に多かったのは?
Q8:J2リーグでの最年長ゴールは三浦知良(カズ)が決めた50歳14日。カズはJ1リーグでも40歳6カ月にゴールを決めています。ただし、これはJ1リーグでは2位の記録。J1リーグでの最年長ゴールは誰が決めたのでしょう?
Q9:では、J1リーグの最年少ゴールは誰でしょう? ちなみに、久保建英の17歳2カ月は2位。
Q10:2023年4月22日に森島司(広島)がJ1リーグ通算2万5000ゴールを決めました。では、その前の「記念ゴール」2万4500ゴール目を決めた選手は誰でしょう?
【解答編】
A1:神戸総合運動公園陸上競技場(神戸ユニバー) 4万1054人
11月6日のガンバ大阪対ヴェルディ川崎戦。当時、日本には野球場を除いて4万人以上を収容できるスタジアムは国立と神戸ユニバー、広島ビッグアーチ(現エディオンスタジアム広島)の3つしかありませんでした。その後、2002年日韓W杯を前に大規模スタジアムがいくつも建設され、最近は近代的な球技専用スタジアムが整備されるようになっています。ちなみに、1993年の広島ビッグアーチでの最多観客数は、5月22日サンフレッチェ広島対Ⅴ川崎戦の3万6863人でした。
A2:永島昭浩
1993年には8人がハットトリックを達成しており、先日、ACL決勝でアル・ヒラルの監督として来日したラモン・ディアスはなんと3度も記録しています。以上の3人のほか、1993年にハットトリックを記録したのは、外国籍選手ではアルシンド(鹿島)とパベル(ジェフユナイテッド市原)。日本人では永島のほか武田修宏(Ⅴ川崎)、松浪正信(G大阪)、三浦知良(Ⅴ川崎)が記録しました。
A3:ウェズレイ(8回)
2000年に名古屋グランパスエイトに入団し、その後広島、大分トリニータでもプレーしたウェズレイ。ドリブルやミドルシュート、FKなどさまざまな得点パターンを持つ、まさにゴール・マシーンでした。2007年には外国人選手として初めて100ゴールを達成し、通算得点数も124点とマルキーニョス(鹿島ほか)に次いで外国人選手の第2位。得点数100以上を記録した選手で1試合平均得点が0.5を超えるのはウェズレイだけです。
A4:眞中靖夫
2001年7月14日に長居スタジアムで行なわれたセレッソ大阪対柏レイソル戦での出来事でした。柏に0-1とリードされていたC大阪は、68分に眞中を投入します。すると、眞中はその4分後の72分に同点ゴールを決め、さらに73分、75分にも得点して出場後わずか7分間でハットトリックを達成して逆転勝利に貢献しました。2011年には同じくC大阪の播戸竜二が清水戦の73分に投入され、76分から87分までにハットトリックを演じたことがあります(試合は3-3の引き分け)。
A5:浦和レッドダイヤモンズ
なんと、Jリーグ屈指の観客動員力を誇る浦和レッズは初年度には観客数が最少だったのです。1993年は第1ステージ、第2ステージともに最下位と成績不振だったということもありますが、最大の原因はスタジアムが小さかったことです。浦和市駒場競技場(現浦和駒場スタジアム)の1993年当時の収容力はわずか1万人。改修が終わって2万1500人収容となるのは1995年になってからのことです。
A6:万博記念競技場(ガンバ大阪対浦和レッズ)
その他、有名な"停電"事件は2005年のJ1・J2入れ替え戦、ヴァンフォーレ甲府対柏レイソル戦の後半アディショナルタイムに起こったまさかの停電でした。甲府のホーム、小瀬スポーツ公園陸上競技場での出来事です。ちなみに、この試合は2-1で甲府が勝利し、さらにアウェーでの第2戦ではバレーがダブルハットトリックを達成して、大勝した甲府は初めての昇格を決定しました。
A7:遠藤保仁
中村はJ1リーグだけで直接FKから24ゴールを決めています。セルティックなど海外クラブでプレーした年も多いだけに大変な記録です。遠藤保仁はFKよりもむしろPKで有名ですが、直接FKからも17ゴールを決めています。遠藤の代名詞「コロコロPK」はGKの逆をつくからこそ決まるプレーですが、遠藤はFKでもGKと駆け引きをして、相手の重心の移動を見逃さずに逆を取って決めます。2010年南アフリカW杯のデンマーク戦のFKでは、本田圭佑が決めた1点目のイメージを利用して決めました
A8:ジーコ
ジーコは1989年にいったんは引退。ブラジル連邦政府のスポーツ担当大臣を務めていたのですが、当時Jリーグ加盟を目指していた住友金属からの熱心なオファーを受けて現役に復帰。住金の選手としてJSL2部で現役生活を再開しました。その後、ジーコ獲得が効を奏して住金はJリーグに加盟して「鹿島アントラーズ」となりました。1993年5月16日の開幕節での名古屋戦でJリーグ初のハットトリックを決めた時、ジーコは41歳3カ月でした。
A9:森本貴幸
東京ヴェルディジュニアユースに所属していた森本は当時のオズワルド・アルディレス監督に抜擢され、中学卒業直前の3月13日のジュビロ磐田戦に交代出場してJリーグデビュー。5月5日の第8節、市原戦では途中出場から決勝点を決め、これが15歳11カ月28日というJ1史上最年少得点記録となって、今でも記録が残っています。当時FC東京の監督だった原博実氏は森本を「怪物だ」と評しました。
A10:森島司
「Jリーグ初ゴール」とか「通算1万ゴール」といったいわゆる「記念ゴール」を決めるには絶対に幸運が必要。実力だけでは記録できるものではありません。したがって、そんな記念ゴールを2回連続して決めた森島はまさに"持ってる男"なのでしょう。ちなみに、興梠慎三(浦和)は1万8000ゴールと2万1500ゴールを決めています。J1リーグで「記念ゴール」を2度決めたのはこの2人だけ。