5月2日、現役引退会見をした村元哉中・高橋大輔組 2019年9月、横浜。ホテルの広間には、大勢の報道陣が集まっていた。アイスダンスのカップル結成会見に登場したふたりは、初々しかった。「何かポーズを取ってください!」 取材カメラマンの要求に、…



5月2日、現役引退会見をした村元哉中・高橋大輔組

 2019年9月、横浜。ホテルの広間には、大勢の報道陣が集まっていた。アイスダンスのカップル結成会見に登場したふたりは、初々しかった。

「何かポーズを取ってください!」

 取材カメラマンの要求に、すでにアイスダンス第一人者だった村元哉中が、シングルからアイスダンスへ転向が決まっていた高橋大輔をエスコートするようにポーズを取った。村元が右手で高橋の右手を引いて腰に回し、左手を前に突き出し、高橋の左手を握る。高橋は体を密着させるのを躊躇う羞恥があり、村元が励ますように表情を作っていた。

 それが「アイスダンサー前夜」の姿だった。

 そして2023年5月2日、東京。ホテルで現役引退会見に登壇したふたりの顔は澄んでいた。やりきった者だけに許される晴れがましさか。たくさんのマイクやファインダーを前に、立ち並ぶ姿は堂に入っていた。取材最後のフォトセッション、ポーズを求められると、息を合わせて写真に納まった。今シーズン、リズムダンス『コンガ』のポーズのひとつで、動き出しそうな躍動感があった。

 3年半が経過し、ふたりは"かなだい"という呼び名で親しまれるようになっていた。ふたりのポーズは、成長の象徴だった。気恥ずかしさは、晴れやかさにすり替わっていた──。

 かなだいは、わずか3年で数々の記録と記憶を作っている。1年目はコロナ禍で思いどおりの練習ができなかったにかかわらず、ルーキーとして期待以上の滑りを見せた。2年目、確実に進化を遂げ、四大陸選手権では準優勝し、世界選手権にも出場。そして3年目、全日本を制覇し、世界選手権で日本勢アイスダンス史上最高位を記録した。

【限界だった高橋大輔の右膝】

 なぜ4年目はなかったのか。

 引退の大きな理由は、高橋の右膝にあるという。痛みでプランどおりの練習ができないほどで、限界だった。今年2月、四大陸選手権が終わったあと、高橋は村元に引退を打ち明けた。

「パフォーマンスは問題なくできるんです。でも競技レベルでは、たとえばレベルを取るとなると、僕自身の努力ではどうしようもないところまできてしまって......。トレーニングをやりたいんだけど、体がついていけない。たとえば、朝起きて練習するつもりだったリフトは無理、とか。追い込みたいのに、追い込みきれない」

 会見で、高橋は右膝について語る時の声が一番小さかった。

「ずっと側で見ていて、(高橋が)時には歩くのも大変で。(練習のため)一応、氷の上に乗るんだけど、『ごめん、今日は滑れない』って......。本当に(自分の)膝を貸してあげたいくらいの気持ちでした」

 村元は気遣うように言った。

 2008年10月、高橋はジャンプの転倒で、右膝前十字靭帯断裂と半月板損傷を負っている。多くのアスリートにとって、膝の前十字のケガは致命傷になりかねない。復帰までのリハビリは死ぬほど苦しく、復帰後も再発の怖さがあり、その後の競技人生も痛みや不具合と向き合い続ける。たとえば膝は思うように曲げられず、正座も難しい。

 肉体だけでなく、心も痛めつけるものだ。

 しかし高橋は1年後に雄々しく復帰し、2010年バンクーバー五輪で日本人男子シングル初のメダルを獲得した。これだけで奇跡に近かったが、その後も世界選手権、グランプリファイナルでも日本男子初の優勝を飾った。2014年に引退後、2018年には現役復帰し、全日本選手権で準優勝を果たした。

 まさに不死鳥だった。

 そしてアイスダンス転向発表で、高橋は度肝を抜いた。別種目への挑戦で、懐疑的な声が出たのは無理もない。だが結成3年目で全日本王者となり、世界トップテンに肉迫したのだ。

 高橋がケガと向き合った日々は、苦しみやもどかしさもあっただろう。そのつらさは伝播し、一番隣にいた村元も共有したに違いない。しかしふたりにとって、それを凌駕する充実した3年だったはずだ。

 さもなければ、最後の日、これほど曇りのない笑顔を浮かべることはできない。

【晴れやかだった引退会見】

「大ちゃんは世界観というか、感性がすごくて。見たことのないプログラムを一緒に表現できるのが嬉しかったです。(2年目の)『ソーラン節』は世界でもインパクトあったはずだし、『コンガ』もとんでもなく速い動きのプログラムで、『オペラ座の怪人』も......。シーズンごとにどんどんマッチしていって。一緒に滑って、これ以上の作品を作れるパートナーはいないって思いました」

 村元は優しい声音で言った。同じ船に乗る同志というのか。そう信じられたからこそ、「超進化」の航海を遂げられたのだ。

「(最後の大会になった4月の)国別対抗戦のフリーの日、自分は結構緊張していたんです。でも、リンクで自分たちの名前がアナウンスされた時ですかね。ふと、"これからもう、この景色を見ることはないんだな"と思って......。アイスダンスでは、こうしてすっきりした気持ちで引退できました。これも哉中ちゃんが誘ってくれたからで、感謝しています」

 20年近く、競技者として生きた高橋は感謝を口にした。

 ふたりは競技生活の幕を引いている。しかし、かなだいが解散するわけではない。これからも、表現者としてアイスショーなどで活動を続けるという。

「これが終わりじゃない。スタートになるように」

 村元は言う。

「新しい展開も見守ってもらえるように。まだまだジェットコースターに(一緒に)乗ってくれたらいいな」

 高橋はファンへのメッセージを発信した。

 今月12日、福岡でのアイスショー『アイスエクスプロージョン』が、かなだいの新たな船出となる。