サッカーは無数のディテール(詳細)であふれている。サッカージャーナリスト・大住良之による、重箱の隅をつつくような「超マ…
サッカーは無数のディテール(詳細)であふれている。サッカージャーナリスト・大住良之による、重箱の隅をつつくような「超マニアックコラム」。今回は「野生への回帰?」。
■思わず久保も…
ことし1月、スペイン・リーグ、アスレティック・ビルバオとの「バスク・ダービー」でゴールを記録した久保建英(レアル・ソシエダ)が、歓喜のあまりシャツを脱ぎ、広告看板の上に立ち、サポーターのところに飛び込んでいったのには驚いた。
いつもクールな久保にもこんな面があったのかと思ったのだが、その一方で、流ちょうなスペイン語を話し、考え方までスペイン人になってしまったのではないかと思っていた久保も、「日本人だったんだ」という、どこかほっとした感想もよぎった。もちろん、久保はイエローカードを受けた。
韓国や中国の人びとが日本人にあきれ、あるいは野蛮に思うのは、日本人が人前ですぐに裸になることだと、司馬遼太郎がどこかに書いていた。日本人には、酒席などで、興が乗るとすぐに裸踊りをする人がいるが、儒教の民である韓国や中国の人にとってはとても恐ろしいことらしい。
中国には、「肉袒牽羊(にくたんけんよう)」という言葉がある。「肉袒」とは上半身を脱いで裸になることで、どんな罰でも受けるという降伏の意思を示すこと、そして「牽羊」とは、文字どおり羊を引くという意味で、料理人になって仕えたいという気持ちを表しているという。要するに、シャツを脱いで裸になるのは、「降参」の印であり、忌み嫌われることなのだ。
孫興民(ソン・フンミン)はおそらくアジアが生んだ史上最高のサッカー選手であり、先日プレミアリーグ通算100ゴールという快挙を成し遂げた。だが100回ゴールを決めても、彼はシャツを脱いだことなどいちどもない。韓国人としては当然のことなのかもしれない。彼はただ走り、ひざでスライディングし、ときにカメラのポーズをし、満面の笑顔でチームメートと喜び合う。
だが久保に限らず、世界中で得点後の歓喜のなかでシャツを脱いでしまう選手は跡を絶たない。それがルールではっきりと「警告されなければならない」と書いてあるにもかかわらず…。
■2004年のルール改正
得点の喜びの後にシャツを脱いだらイエローカードというルールができたのは2004年。第12条「ファウルと不正行為」に入れられた。ただし本文ではなく、当時あった「国際評議会の決定事項」の6として、「得点を喜ぶためにジャージを脱いだ競技者は、反スポーツ的行為で警告されなければならない」と、シャツを脱いだら自動的にイエローカードになるとされた。
国際サッカー連盟(FIFA)やサッカーのルールを決める国際サッカー評議会(IFAB)には、それ以前から、得点の喜びのなかでシャツを脱ぐ行為を苦々しく思っている人が多かった。裸になるのは品性に欠けるし、何よりも時間の浪費になるという考えだった。なかには、「イスラムの社会では人前で上半身裸になるのは侮辱にあたる」という指摘をする人もいた。当時のFIFAは得点後の過剰な歓喜の表現、それによる時間の浪費に神経質になっており、2000年までは「広告看板を飛び越えたら警告」のルールもあった。
だが「シャツ脱ぎ禁止」のルール化の直接の原因になったのは、当時マンチェスター・ユナイテッドでプレーしていたFWディエゴ・フォルランだというのが定説だ。後にワールドカップ南アフリカ大会(2010年)でMVPに輝いくウルグアイ代表ストライカーであり、さらには2014年から2シーズン、セレッソ大阪でプレーし、日本のファンを楽しませてくれた名選手も、このときまだ23歳。世界的な名声を築く前だった。
■フォルランの狂喜
この年の1月にアルゼンチンのインデペンディエンテから移籍したフォルランだったが、スターぞろいのユナイテッドではなかなかポジションをとれず苦しんでいた。そうしたなか、出番が回ってきたのが11月3日、ホームのサウサンプトン戦だった。1-1で迎えた後半34分にフィリップ・ネビルに代わってピッチに送り出されたフォルランは、めぐってきたチャンスを逃さなかった。残り5分、相手陣でパスを受け、2歩もつと、ペナルティーエリアの左外から思い切って右足シュート。ボールはゴール右上隅に吸い込まれた。
試合終盤の見事な勝ち越しゴール。狂喜したフォルランは、左のコーナーに向かって走りながら赤いユニホームを脱ぎ、コーナーの外の観客スタンドまで走って喜びを分かち合った。後にフォルランが語ったところによると、オールド・トラフォードのその観客席には、兄弟や友人がいたのだという。
やがてプレーが再開されるが、フォルランはユニホームを着るのに手間取っている。この年、2002年ワールドカップに向けて主要メーカーがつくったユニホームのシャツは、ユニホームとアンダーシャツを一体化させたもので、とても複雑だった。高温多湿になる日本の夏に備えたもので、覚えているファンもいるかもしれない。日本代表用のユニホームを提供したアディダス社製のシャツも同様の形になっており、試合後のユニホーム交換のときに選手たちは苦労していた。
■シャツなしでプレー
マンチェスター・ユナイテッドはこのシーズンからナイキ社製のユニホームを着用していたが、やはり同じ形式で、赤いユニホームに黒いアンダーシャツが付属しており、着脱に手間がかかった。得点した直後はするっと脱げたのだが、試合が再開され、いざ着直そうとしても、汗をかいていることもあり、シャツ部分とアンダーシャツ部分がからみあってどう着ていいかわからない状態だったのだ。
だがリードはわずか1点。当然、相手は猛攻に出てくる。ひとり足りない状態など許されない。思い余ったフォルランは上半身裸のまま左手でユニホームをつかんでプレーにはいり、味方からのパスを受けた。そして直後にボールを奪われると、ボールをもって前進するサウサンプトンのジェイムズ・ビーティーを追い、追い抜いて体を入れ、味方にバックパスをするというプレーまでやってのけたのである。
さすがにこの後レフェリーに注意されてタッチラインの外に出ると、チームのスタッフに助けてもらって無事ユニホームを着たのだが、プレミアリーグでも前代未聞の珍事件だった。この当時は「ユニホームを脱いだらイエロー」というルールはなく、サウサンプトンの1点を決めたファブリス・フェルナンデス(フランス)も得点後ユニホームを脱いだのだがおとがめはなかった。
ただ、フォルランの場合、シャツなしでプレーに加わってしまったのだから、当然ルール違反(ルール第4条)で、イエローカードに値すると思うのだが、出されていない。