U-20ワールドカップのアルゼンチンでの開催が決まった。当初予定されていたインドネシアからの突然の変更となったが、この…

 U-20ワールドカップのアルゼンチンでの開催が決まった。当初予定されていたインドネシアからの突然の変更となったが、この決定は日本にも影響を及ぼす可能性がある。広がっていく波紋を、サッカージャーナリスト・後藤健生が考察する。

■重要な地理的条件

 年齢制限のないフル代表のワールドカップに比べると、年代別代表のランキングのようなものは存在しないし、各国チームの情報も少ないので、大会の行方を占うことは大変に難しい。まず第一に、各国が実際にどのような編成で大会に参加するのかも確定的ではないのだ。

 ただ、今年の1月に行われた南米ユース選手権でブラジル、ウルグアイに次いで3位に入ったコロンビアがグループリーグで最大の強敵であることは間違いない。

 開催地が南米大陸に変更になったから、である。

 ご承知のように、今年のU-20ワールドカップはインドネシアで開催されることになっていた。もともとインドネシアでは2021年大会を開催することになっていたが、新型コロナウイルス感染症の影響で大会が中止となって、2023年大会をインドネシアで開くことになっていたのだ。

 インドネシア開催であれば、日本チームにとってはアドバンテージになっていただろう。インドネシアは日本からの距離も近いし、時差もほとんどない。蒸し暑い中での試合はヨーロッパ勢にとってはやりにくいはずで、一方、日本選手は蒸し暑さにも慣れている。

 こうした地理的な条件は重要なファクターで、たとえば昨年のワールドカップはアジア連盟(AFC)に所属するカタールで開かれたためアジア勢の躍進が目立った(グループリーグでアルゼンチンを破ったサウジアラビアはカタールと国境を接した隣国であり、非常に多くのファン、サポーターがカタールにやって来ていた)。

■突然の変更

 ところが、ヨーロッパ予選でイスラエルが準優勝して出場権を獲得したことでインドネシア国内で「開催反対」の声が出てきたのだ。

 イスラム教徒が多いインドネシアでは親パレスチナ=反イスラエル感情が強く、しかも来年2月に大統領選挙を控えているため、政治家もこうした世論に敏感に反応したのだ。

 たとえば、与党「闘争民主党」の大統領候補となったガンジャル・プラノヴォ中部ジャワ州知事も、いち早くイスラエルが参加する大会の開催反対を唱えた指導者の一人だった。そうなると、反対派候補も「開催支持」を主張することができなくなってしまう。それが、選挙というものだ(ただし、ガンジャル知事は大会開催に反対したことでサッカー界から批判を受け、支持率も下がったと伝えられている)。

 いずれにしても、インドネシア開催が難しいと考えたFIFAはインドネシア開催中止を決定した。それが、3月29日のことだった。

 しかし、同時にFIFAは開催地は変更しても5月20日からという日程は変更しないとも発表したのだ。各国のクラブで活躍している選手が出場する大会であり、またスポンサーとの関係もあって、この時点でスケジュールを変更するわけにはいかなかったのだろう。

■相手チームへの「ホーム感」

 大会開催まで2か月もない状況で「代替開催に手を挙げる国があるのだろうか?」と思われたが、すぐにアルゼンチンが立候補を表明。他にも開催に興味を示した国はあったというが、正式に開催の意思を示したのはアルゼンチンだけで、4月18日には正式にアルゼンチン開催決定が発表された。

 これによって南米各国が有利になったことは間違いない。

 2014年のブラジル・ワールドカップでは、出場した南米の5か国はすべてグループリーグを勝ち抜いた(逆に、地理的に遠いアジア勢は2014年大会では“全滅”だった)。

 今回のU-20ワールドカップでも、南米勢優位は間違いないだろう。

 また、ヨーロッパ勢も、インドネシアの蒸し暑い気候の中での戦いを避けることができる。5月から6月にかけてのアルゼンチンは晩秋から初冬に当たる。そんな冷涼な環境ならヨーロッパ勢も力を発揮しやすくなるだろう。

 日本がグループリーグ最終戦で対戦するイスラエルは、世界大会に出てくることがほとんどないので「未知のチーム」だが、ヨーロッパ予選(UEFA U-19選手権=2022年6、7月開催)で決勝に進出して、延長の末イングランドに敗れて準優勝したチームなのだから実力は高いのだろう。

 かつて、イスラエルはAFCに属しており、その当時はアジア最強国の一つだった。日本代表もワールドカップ予選で敗れているし、日本開催だった1965年と1971年のアジアユース選手権大会(現、U-20アジアカップ)では2度ともイスラエルが優勝しており、イスラエルは1970年のメキシコ・ワールドカップにもアジア代表として出場し、スウェーデン、イタリアと引き分けている。

 その後、アラブ諸国との対立のためにUEFAに転籍したため世界大会に出てくることはほとんどなくなったが、ヨーロッパ諸国との対戦を通じて強化されていることは間違いないだろう。さらに、アルゼンチンにはユダヤ系移民も多いだけに、ホーム感を持って戦えるはずだ。

■南米での苦い思い出

 日本代表チームにとっては、南米勢やヨーロッパ勢にとって戦いやすい環境での大会となったことで条件は難しくなった。少なくとも、時差調整に必要な時間が大幅に長くなるのは間違いない。

 たとえば、2001年のワールドユース選手権アルゼンチン大会にも日本は出場したが、オーストラリア、アンゴラに連敗して2試合終了時点で早々とグループリーグ敗退が決まってしまった(その後、グループリーグ最終戦では後にチェルシーで活躍するペトル・チェフがGKを務めるチェコに3対0で完勝した)。やはり長距離移動は大きな負担になっていたのだろう。

 当時の日本にとって、1999年のコパ・アメリカに招待されたことはあったが、まだまだ南米大陸は未知の大陸と言ってよかった。だが、その後、日本はブラジルでのコンフェデレーションズカップとワールドカップに出場。また、2019年のコパ・アメリカにも招待されて出場している。

 移動や時差調整等の難しさはもちろん大きいだろうが、こうした過去に積み重ねてきた経験を生かして、選手たちが力を発揮できるように調整を成功させてもらいたいものである。

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