森保ジャパンが再スタートを切っている。次回ワールドカップに向けて、あらゆる角度からチームのレベルアップを目指している日…

 森保ジャパンが再スタートを切っている。次回ワールドカップに向けて、あらゆる角度からチームのレベルアップを目指している日本代表で、サッカージャーナリスト・大住良之は、ある選手に注目している。選外の続く旗手怜央に、1982年ワールドカップでの伝説的「黄金の4人」ではなく「黄金の5人」と呼ばれるべきだったブラジル代表選手を目指すべきだと説く。

■川崎・鬼木監督の発明

 旗手の左サイドバックは、2021年に川崎の鬼木達監督によって試みられている。左サイドバックが本職の登里享平(といっても、彼も攻撃的なポジションからのコンバートだったが)がシーズン開幕に間に合わず、2月20日に行われた「スーパーカップ(対ガンバ大阪)」でJリーグ2シーズン目の旗手を左サイドバックで起用したのだ。

 旗手はもちろん攻撃で見事に貢献し、シーズンにはいっても登里が復帰するまで左サイドバックとして出場を続けた。そしてこのポジションでプレーしながらベガルタ仙台戦と浦和レッズ戦でゴールも記録している。

 そしてこの夏に行われた東京オリンピックのメンバーに選出され、準備段階の試合では左サイドバックも務め、「本大会」ではMFとしての出場が主となったが、準々決勝のニュージーランド戦で左サイドバックとして先発、後半の半ばから左MFとなった。

■プロ入りまでの道のり

 1997年11月25日三重県鈴鹿市生まれ。父は大阪のPL学園で甲子園に出場し、春夏連続準優勝という記録を残し、後に本田技研鈴鹿野球部の監督も務めた野球選手(清原和博と桑田真澄の1年先輩だった)だという。大きくはないが、フィジカルの強さは父譲り。中学時代を地元の四日市FCでボランチとして過ごし、静岡県の静岡学園高校に進学した。

 ここで2年生のときに全国高校選手権に出場して活躍したが、3年生では全国大会出場を逃したことでプロからは声がかからなかったという。しかし高校時代に徹底的に鍛えられたボール技術とドリブルの能力が順天堂大学に進学すると開花。1年生からレギュラーとなって9得点。2年生のときにはユニバーシアード日本代表やU-20日本代表にも選出された。

 2019年には川崎フロンターレへの加入が内定、特別指定選手として順天堂大学に籍を置きながら川崎フロンターレの練習に参加、最終節のコンサドーレ札幌戦で後半40分からFWとして出場した。

 新人としてプレーした2020シーズンでは31試合に出場したものの、きらめくような攻撃陣をそろえてシーズン勝ち点83、総得点88という圧倒的な強さで優勝を飾った川崎のなかで先発出場はほぼ半分の14試合。「もっとプレーしたい」「先発から出たい」ともがくようなシーズンだったに違いない。翌シーズンの序盤に「左サイドバック」というやったことのないポジションでの出場を受け容れたのは、そうした背景もあっただろう。

■ウィンウィンの解決法

 それは、現在の日本代表の状況とよく似ている。センターフォワード(旗手もそのタイプではない)こそ不足しているものの、現在の日本代表の攻撃陣には、伊東純也(スタッド・ランス)、三笘薫(ブライトン)、堂安律(フライブルク)、久保建英(レアル・ソシエダ)といった選手たちがひしめいている。そして中盤にも、遠藤航(シュツットガルト)、守田英正スポルティング)、田中碧(デュッセルドルフ)といった実績をもつ選手たちがいる。こんな時代でなければ、旗手は日本代表に不可欠な中心選手として活躍していただろう。

 であれば、旗手は左サイドバックという現在手薄なポジションで勝負するべきではないか。旗手が左サイドバックにはいれば、左サイドからの攻撃が大幅にパワーアップするのは間違いない。そして三笘ももっともっと生きるだろう。

 私は、旗手は「日本のジュニオル」になるべきだと考えている。

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