房総ローヴァーズ木更津FCカレン・ロバートCEOインタビュー(2) イギリスでサッカーがしたい――。 その思いを抱えて海外5カ国を巡り、およそ15年間のプロ生活を送ったカレン・ロバートだったが、2010年のロアッソ熊本を最後にJクラブには所…

房総ローヴァーズ木更津FC
カレン・ロバートCEOインタビュー(2)



 イギリスでサッカーがしたい――。

 その思いを抱えて海外5カ国を巡り、およそ15年間のプロ生活を送ったカレン・ロバートだったが、2010年のロアッソ熊本を最後にJクラブには所属していない。

「環境は整ってるし、お金もそれなりにいい。Jリーグのよさは知っていましたけど、一回帰っちゃうと、もう外(海外)に出られないだろうと思っていた」からだ。

 いくらヨーロッパでのステップアップが思うように進まなくても、自分からJリーグ復帰の道を探ることは一切しなかった。

「やっぱり、まだ海外でチャレンジしたい気持ちがすごく強かったので。Jリーグに戻ろうとはまったく思わなかったです」

 今にして思えば、ジュビロ磐田時代にプリマス(イングランド)から届いた獲得オファーが、千載一遇のチャンスだった。

 北アイルランド出身の父を持つカレンは、「(イギリスの)永住権を持っていたので、他の選手よりも(渡英の)ハードルが低い」。通常、日本国籍の選手であれば就労ビザを取得しなければいけないが、それが必要なかったからである。

「(サッカー選手がイギリスの就労ビザを取るために)A代表の試合に何パーセント以上出場していないといけない、みたいな条件が僕にはなかった。行けるチャンスが他の選手より多いっていうのはわかっていました」

 だが、結局は破談に終わるプリマス移籍の顛末を振り返っても、カレンには「行けたらよかったな」という程度で、そこまで強い失望感がなかったのも事実である。

「その時も(クラブ側に)行きたいとは言ってたんですけど、強い気持ちではなかった。ジュビロにも慣れが出てきてたし、『なんか行ってみたいな』ぐらいの感じでしたね。本当にイギリスへ行きたいという強い気持ちを持ち始めたのは、オランダへ行ってからです」

 カレンがイギリスにこだわったのには、もちろん、理由がある。

「サッカーの母国でプレーしたい」という願望もそのひとつではあったが、それ以上に家族を喜ばせたかったから。イギリスは父の母国であることが最大の理由だった。

「お父さんにイギリスでサッカーをしてる姿を見せたいっていうのもありましたし、お兄ちゃんもイギリスのサッカーが大好きだったし。僕も小さい頃、ちょっとの間ですけど、イギリスにいましたから」

 そこには幼いながらに味わった、現地での体験も影響している。

「地域の公園みたいなところだったと思いますが、どこかのクラブにまぜてもらってサッカーをやったのは、うっすらと覚えてます。イギリスの公園ってすごく広くて、ロンドンでも広い公園がたくさんあって。そこで毎週末、小さな子どもから大人までがサッカーをしている印象が、僕の頭のなかにはずっとありました。

 日本だと、僕が小さい頃には公園でもサッカーをやっていい時代が少しはありましたけど、大人もやってるっていうのは、まずなかったんで」

 いわば、イギリスのサッカー文化に対する憧憬。そんな思いを一層強くさせる出来事があったのは、高校時代のことだ。

「ミルクカップっていう北アイルランドで開かれている(ユースの)大会があるんですけど、そこに市船(市立船橋高)で参加させてもらって。その時に日本では味わえないようなサッカーの熱っていうものを、すごく感じたんです」

 そして、ミルクカップ出場を「選手権(全国高校サッカー選手権大会)で優勝しようが、何をしようが、日本でやっている時より、はるかに喜んでくれた」のが、現地まで応援にやってきた父だった。

「お父さんの地元(北アイルランド)でサッカーをやったというだけでなく、マンチェスター・ユナイテッド(のユースチーム)との試合で僕が2点決めて、向こうの新聞にも取り上げてもらったんです。日本で頑張ってる北アイルランド人、みたいな感じで(笑)。

 そういうのをすごく喜んでくれたことも印象的だったので、もう一度お父さんを喜ばせてあげたいなっていう気持ちはずっとありました」

 さらに時間を巻き戻せば、カレンが「ロバート」と名づけられたこともまた、彼とイギリスのサッカーとを強く結びつけるものだったのだ。

 北アイルランド出身であるカレンの父は、同国の英雄的スタープレーヤーである「ジョージ・ベストが大好きでした」。と同時に、彼が所属するマンチェスター・ユナイテッドの大ファンでもあった。

「ベストさんと同じ時期にボビー・チャールトンさんがいたんですけど、そこから僕の名前はつけられたんです」

 ボビー・チャールトンこと、本名ロバート・チャールトンは、元イングランド代表のレジェンド。「ボビー」とはイギリスにおける「ロバート」の伝統的な愛称であり、イギリスの男の子、ロバートくんは大抵、ボビーと呼ばれることになる。

 カレンが現在も周囲の人たちから「ボビー」や「ボビさん」と呼ばれるのは、イギリス伝統の愛称からきているものだ。

 そんなルーツを持つカレンは、かつて北アイルランド代表に選ばれかけたこともあるという。

「オランダにいた25、26歳の時に、一度だけ北アイルランド代表の監督からオファーをいただきました。

 でも、そこへ一回行ってしまうと、もう日本代表にはなれなくなっちゃうということで断らせていただいたんですけど、もし行っていたらどうだったのか......。もう一回人生を始められるなら、今度は行ってみてもいいかな(笑)」

 ようやくイギリスでサッカーをするという夢を叶えたのは、現役生活の最晩年。

「息子も年長さんになって、もう時間がなかった(苦笑)。小学1年生になる前に行こうと決めて」の渡英は、家族との時間を優先するため、長男の小学校入学に合わせ、5月のシーズン終了を待たずに帰国した。

「だから僕、イギリスでは半年ちょっとやっただけで、(シーズンの)最後まではやりきらずに帰ってきたんです」

 しかも、そこはプレミアリーグを1部リーグとすれば、7部相当のリーグに所属するレザーヘッドFC。当初の夢に思い描いたものには程遠い舞台である。

 それでもカレンの気持ちは、強い充実感に満たされた。

「まず、『FAカップってスゲぇな』って思いました。みんな、モチベーションが尋常じゃないんです。組み合わせ抽選がBBCで生中継されて、それをみんなで見ながら、『お、どこと当たるぞ』みたいに盛り上がる。日本じゃなかなかできないような経験でした。

 僕らももう一個勝っていれば、3部とか、4部のクラブとやれたし、その後はストーク・シティとかとやれるチャンスもあったんですけどね。勝てそうだった相手に負けちゃって、もったいなかった(苦笑)」

 カレンがプレーしたレザーヘッドFCは、7部相当のクラブとはいえ、「2、3千人を収容できるスタジアムを持っていて、それが週末の試合になると半分以上が埋まっていた」。

「どうやったら、それを日本でも実現できるんだろうって、いつも考えています。そういうところを目指していかなきゃいけないんだっていうことも、イギリスで勉強させてもらったことのひとつです。地域で愛されることに、カテゴリーってあんまり関係ないんだなって」

 奇しくも現在、カレンがクラブの代表を務める房総ローヴァーズ木更津FCは、千葉県リーグ1部に所属しており、J1を1部とするならば、7部リーグに相当する。

「たまたまですけど、最後に(イングランドの)7部でやらせてもらって、本場の7部と日本の7部がどれだけ違うかを比べられる。向こうはファンもしっかりしていて、地元のクラブとビッグクラブの両方を応援しているような街だったんですけど、そういうこともすごく勉強になりました」

 では、本場と比べて、ローヴァーズが活動拠点とする木更津は、何が違っているのだろうか。

「単純にサッカーのステイタスが低いっていうところですね」

 カレンの答えは明快だ。

 しかし、実体験から即答するカレンは、だからといって、決して悲観しているわけではない。

「川崎や柏のようにJクラブがあるところには、サッカーの街と言われるような場所が少しずつはできてきましたけど、じゃあアマチュアクラブで、ものすごく地域に根づいているところがあるかというと、そういうのはまだないのかなって。

 そうなっていくために、まずは市民、県民の方々にサッカーを理解してもらえるよう、地道にやっていかなければいけない。

 イギリスのクラブには100年以上の歴史があるところも多く、僕らが生きてる間にイギリスで見た景色を見るのはなかなか大変なのかもしれません。でも、それを少しでも早められるように、地道な活動を積み重ねていきたいと思っています」

(文中敬称略/つづく)

カレン・ロバート
1985年6月7日生まれ。茨城県出身。市立船橋高卒業後、2004年にジュビロ磐田入り。2年目の2005年に31試合出場13得点を記録して新人王に輝く。2010年夏にロアッソ熊本に移籍し、2010-2011シーズン途中からオランダのVVVフェンロに加入。以降、タイ、韓国、インドのクラブを渡り歩いて、2018年にイングランド7部のレザーヘッドFCでプレー。2019年に現役を引退。自身が立ち上げた房総ローヴァーズ木更津FCの運営に専念する。