ラグビーワールドカップ2023「Road to France」<03>竹内柊平(浦安D-Rocks)前編 2022年10月に行なわれたニュージーランド代表"オールブラックス"との試合でピッチに立ち、「シンデレラボーイ」と呼ばれた選手がいる。…
ラグビーワールドカップ2023「Road to France」<03>
竹内柊平(浦安D-Rocks)前編
2022年10月に行なわれたニュージーランド代表"オールブラックス"との試合でピッチに立ち、「シンデレラボーイ」と呼ばれた選手がいる。それが昨年6月のウルグアイ代表戦で初キャップを獲得した竹内柊平(浦安D-Rocks)だ。
身長183cm、体重115kg──。見事な体躯を誇り、スクラムの要である右プロップ(PR)を務める。大学までのポジションはナンバーエイト(No.8)。トップリーガーになるための合同トライアウトを受けるまで、スクラムを組んだことがなかったという。
しかし、この数年でPRとして急成長を果たし、桜のジャージーを掴み、そしてワールドカップのスコッドに入るポジションまで駆け上がった。25歳の新星が思い描く未来とは──。
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竹内柊平●1997年12月9日生まれ・宮崎県宮崎市出身
── ワールドカップ・フランス大会まで残り半年を切りました。現在の心境は?
「すごくワクワクしています! 大学4年だった2019年ワールドカップの時はテレビを通して、具智元選手(PR/コベルコ神戸スティーラーズ)やヴァル アサエリ愛選手(PR/埼玉ワイルドナイツ)を『将来は自分のライバルになる』と思いながら見ていました!
自分はPRをはじめてから、片手で数えられるくらいの年数しかやっていません。ただ、経験のある選手に胸を借りるつもりもないですし、『絶対に負けない』という気持ちでいます。ワールドカップにはスタメンで出場したいので それを目標に気持ちはエキサイトしています」
── いつからトップリーグに行きたい、日本代表になりたいと思っていましたか?
「大学2年の終わりぐらいから、コカ・コーラや宗像サニックスといった九州のトップリーグのチームから『No.8のポジションでいいから来てくれ』と声をかけていただけるようになりました。でも当時、僕は体育教諭になりたいという夢があったので、ずっと悩んでいたんです。
しかし、そんな気持ちを抱えて宮崎工業の佐藤清文監督(現・日南振徳高監督)や九州共立大の松本健志監督に相談したら、『先生はラグビーをやりきったあとでもなれるぞ』と言われました。宮崎工業高も九州共立大もラグビーの実力はまだまだじゃないですか。『お前がどんどん引っ張ってもいいんじゃないか』と言ってくださったことで『トップリーグに行きたい』と思うようになりました」
── 竹内選手は九州共立大時代までずっとNo.8で、トライアウトで初めてPRに挑戦してスクラムを組んだというのは本当でしょうか?
「はい。僕が大学3年の3月に参加したトライアウトは、日体大で行なわれた『トップリーガー発掘プロジェクト』でした。当初はコカ・コーラの誘ってくれる熱量がすごくて行くつもりだったんですが、関東・関西のトップリーグのチームは九州大学リーグでプレーしている僕のプレーを知らないわけじゃないですか。だから発掘プロジェクトに参加することに決めました。
『トップリーグに行けたら日本代表になりたい!』と思っていたので、日本代表になるならどこのポジションをするべきかと考えた時、即座に『PRだ!』と。大学時代からPRをやりたいと思っていたのですが、一学年上に高尾時流(しぐれ/PR/コベルコ神戸スティーラーズ)さんがいてチーム事情としてもPRに困っていなかったので、当時は挑戦できなかった。
発掘プロジェクトに参加した時にたまたまコーチだったのが、現在D-Rocksでスクラムを指導してくれている斉藤展士さんでした。僕がPR志望で『初めてスクラムを組みます』と言ったら、展士さんは教えるのを忘れるくらい爆笑してくれたのを覚えています(笑)。
でも、トライアウトが終わったあとに『君とはまたすぐ会うことになると思うよ』と言って握手していただいた。てっきり僕は『敵チームで会うのかな』って思っていましたけど(笑)」
── トライアウトの手応えはいかがでしたか?
「発掘プロジェクト参加後、一番行きたいと思ったのはNTTコミュニケーションズシャイニングアークスでした。ただ、そのシーズンにワイルドナイツを倒して5位になるなど波に乗っていたチームだったので、松本監督も「無理だろう。行けるわけない」と言われました。
でも、僕の得意とするのはフィールドプレーなので、展開ラグビーが武器のチームに入ってPRとしていっぱいボールに触ったら楽しいな......と思っていたんです。だから1カ月後、浦安でシャイニングアークスのトライアウトに参加したところ、ありがたいことに合格をいただきました。まさかまさかの急展開! 運や縁があるというか、すごく恵まれているなと思いました」
── 竹内選手はもともとNo.8でフィールドプレーを武器としているなら、PRに転向する時は3番ではなく1番でもよかったのでは?
「松本監督が『3番をやれ』と言ったからです(笑)。理由は『高尾さんが1番だから』だと思います。今でも『自分は1番向きかな』と思うんですけど(笑)、3番でも高いレベルでやらせてもらっているので感謝ですね」
── シャイニングアークス加入後は、すぐに頭角を現したのですか?
「1年目はコロナ禍だったので、公園でめちゃくちゃ走ってフィットネスはFWのなかで一番くらいになり、体重も増えて調子がよかった。だけど、練習のタッチフットでステップを切った時、右ひざの前十字じん帯を切ってしまったんです。
ありがたいことに翌2022シーズンは、ほぼ全試合出ることができました。10試合くらいはフル出場でしたね。最後のほうのプレーはもう、意識朦朧としていたくらいですけど(笑)。
でも、スクラムで手応えを掴んだシーズンでもありました。スクラムの強い静岡ブルーレヴズ戦ではスクラムで押しきってペナルティを取り、相手PRにイエローカードも出させました。自分のなかですごく自信になったシーズンです」
── 日本代表も徐々に視野に入ってきた?
「公表はされませんでしたが、日本代表のワイダースコッド(大枠候補)には入っていたようです。だから、個人的にも『日本代表に近づいているな』という実感はありました。
しかし昨春、日本代表が発表された時に、僕の名前はなかった......。本当に悔しかったので、メンバー表をスクリーンショットに撮って『来年は絶対、見返してやる!』と誓いました」
── その後、昨年5月に日本代表予備軍である「NDS(ナショナル・ディベロップメント・スコッド)」に招集され、日本代表初キャップも獲得しました。
「シーズンを終えてチームのお疲れ様会で締めくくった翌朝、起きたらチームスタッフから『NDSに招集されたぞ!』との連絡があり、それで目が覚めた記憶があります(笑)。日本代表の桜のエンブレムがついた練習着は、もちろん特別でした。
そして昨年6月のウルグアイ代表戦、NDSのメンバーながら日本代表という肩書きで試合に出場することができました。豪華なメンバーと一緒に試合できて楽しかったですし、僕の高校・大学から初めて日本代表選手が選出されたこともあり、本当に幸せな瞬間でしたね」
── ラグビー関係者からは「シンデレラボーイ」と言われました。
「まだ『シンデレラ』っていうほど上がってはいないです。ワールドカップのメンバーに選ばれてスタメンで出たら、シンデレラって言ってほしいですね。(ワールドカップスコッドの33人に)入りたいのではなく、絶対に入る......それ以外、ないと思っています」
── ワールドカップの試合に出場するために大事なことは?
「やはりスクラムですね! もっとスクラムの理解を深めていきたいです。D-Rocksには(コーチに斉藤)展士さんがいるのでいろいろトークしつつ、日本代表スクラムコーチの(長谷川)慎さんとも連絡を取りながら、いいスクラムを組めるようにしていきたい。
ウェイトトレーニングもしっかりやっています。日本代表ではフィットネスも求められているので、めちゃくちゃ走っています。自分が買われているのは、PRらしからぬキャリー、タックル、フィットネスだと思うので、そこをなくしてしまったら、僕には何の魅力もなくなってしまう。だから、そこは絶対に高いスタンダードでやっていきたい」
── そのためにも浦安D-Rocksのディビジョン1昇格にしっかり貢献して、プレーでアピールしたいですね。
「今季はバイスキャプテンも任されています。僕をここまでしてくれたのがこのチームなので、恩返しの意味もあり、ディビジョン1昇格を目指して僕も一緒に上がっていきたい。
7月からの日本代表戦は人数を絞って臨むとジェイミー(・ジョセフHC)は言っているので、(スクラムコーチの長谷川)慎さんにも『うかうかしていられないぞ』と忠告されています。ディビジョン2でプレーしていますが、自分のスタンダードはしっかりと高く持って、より大きな強度で臨みたいと思っています」
「無名高校、無名大学出身の夢を背負って」
【profile】
竹内柊平(たけうち・しゅうへい)
1997年12月9日生まれ、宮崎県宮崎市出身。宮崎工高→九州共立大を経て2020年にNTTコミュニケーションズシャイニングアークス東京ベイ浦安に加入し、2022年7月に浦安D-Rocksへ加入。日本代表歴は2022年6月のウルグアイ代表戦で初キャップを獲得。ポジション=PRプロップ。身長183cm、体重115kg。