ブルペン担当だった近藤真市氏は「岩瀬でいきましょう」 2007年、落合博満監督率いる中日は53年ぶり日本一に輝いた。レギ…
ブルペン担当だった近藤真市氏は「岩瀬でいきましょう」
2007年、落合博満監督率いる中日は53年ぶり日本一に輝いた。レギュラーシーズン2位からクライマックスシリーズを勝ち上がり、日本ハムとの日本シリーズを4勝1敗で制した。11月1日、ナゴヤドームでの第5戦は山井大介投手と岩瀬仁紀投手による史上初の完全試合リレーでの決着となったが、山井の交代を決断した落合采配には賛否両論が渦巻いた。当時ブルペン担当コーチを務めていた近藤真市氏(現、岐阜聖徳学園大学硬式野球部監督)は岩瀬投入を進言したという。
「最初(投手コーチの)森(繁和)さんに『おう、どうする?』って言われたんですよ。僕は言いましたよ。『岩瀬でいいんじゃないですか、9回、岩瀬でいきましょう』ってね」。山井は8回まで日本ハム打線をパーフェクトに抑えていたが、右手中指の豆をつぶして、出血しながら投げていた。もちろん、近藤氏もその状態は知っていた。
「そりゃあ完全試合をやっていましたし、山井は僕がスカウト時代に担当した選手です。岩瀬も担当した選手です。やっぱり、そういう記録は作らせてあげたいという気持ちはありましたよ。僕も記録を作らせてもらいましたから」。自身も1987年8月9日の巨人戦(ナゴヤ球場)で初登板ノーヒットノーランという史上初の偉業を達成していただけに、状況はわかる。それでも、あえて「岩瀬投入」を主張した。
「53年ぶりの日本一ですからね。クライマックスシリーズで岩瀬は全部またぎで登板していたんですよ、8回途中から。あいつが投げて、勝ってきて、それで日本シリーズに出られたんです。ここに来られたのは岩瀬のおかげなんです。岩瀬でやられたらしょうがないだろうって僕は思ったんで『岩瀬でいきましょう』って言いました。大介も『岩瀬さんでいってください』って言ったんで、双方が一致した感じでしたよ」
山井の指の状態については「投げられないことはなかったと思いますよ、だって、あそこまで投げていたんですから」と近藤氏。「でも、落合さんも森さんも多分そう思ったと思いますけど、あれで山井でいってやられたら、たぶん日本シリーズは勝てないんですよ。岩瀬でいったら、選手は岩瀬さんでやられたら、しょうがないねって気持ちになる。切り替えができるんです。山井でいってやられたら、記録駄目だったね、では済まない。岩瀬さんを出していたら、どうだったのってなっちゃうんですよ」。
「3人で抑えた岩瀬をもっと評価してほしい」
あの時、近藤氏はブルペンで岩瀬に「9回、いこうよ」と声を掛けたという。「岩瀬は『えー』って言いましたよ。一番きつかったのは岩瀬ですからね。普段は考えられないような緊張感、ドキドキだったと思いますよ。だから、落合さんも言ってますけど、なんで岩瀬の評価をしてあげないのって僕も思います。山井の記録がどうのこうのって批判している人たちは、批判する前に、あそこで登板して3人で抑えてきた岩瀬の評価をしてあげなさいよってね」。
あのシーンで、最終決断をしたのはもちろん落合監督だが、近藤氏も全く同じ考えだった。「もし、日本一ができなかったらどっちの文句を言うんですかってことですよ。(日本一も山井の記録も)両方駄目だったら、どうするのってことですよ。いろいろ言っている人は責任とれるんですかってことじゃないですかね。毎年、日本一になっているチームだったら、いいですよ。53年ぶりですよ。半世紀ぶりですよ。そしたら、そっちを選ぶでしょ、確率的な問題で」。
もしも、山井があの時「行かせてください」と言っていたら、どうなっていたのだろうか。近藤氏は「そしたら、落合さんも森さんもたぶん山井を行かせたと思います。いや絶対行かせてますね」と推察する。だが、山井はそう言わなかった。「これはあくまで僕の想像ですけど、山井も代わった方がいいんじゃないかって雰囲気を感じ取ったんじゃないですかね。でも良かったですよね、何年か後に山井はノーヒット・ノーラン(2013年6月28日、DeNA戦)をしましたから」。
緊迫の状況で岩瀬がピシャリと抑えて完結した球史に残る日本シリーズの大舞台での完全試合リレー。その場に居合わせた近藤氏にとっても、忘れられない思い出だ。(山口真司 / Shinji Yamaguchi)