伊藤みどり(フィギュアスケート) インタビュー前編●「伊藤みどりは昔の人という感じ」「伊藤みどりというと"昔の人"という感じで、覚えていてくださる方がいるというのはうれしいですね。教室の子どもたちは、『なんだこの変なおばちゃん』という目で見…
伊藤みどり(フィギュアスケート) インタビュー前編
●「伊藤みどりは昔の人という感じ」
「伊藤みどりというと"昔の人"という感じで、覚えていてくださる方がいるというのはうれしいですね。教室の子どもたちは、『なんだこの変なおばちゃん』という目で見ていますから(笑)」
53歳で国際大会への挑戦を決めた伊藤みどりさん
そう笑いながら話す伊藤みどりさん。1992年アルベールビル五輪のフィギュアスケート銀メダリストは現在、福岡・北九州でスケート教室を開催している。
「スケートの楽しさ、私がスケートをしてきて楽しかったことを一緒にやっている感覚なんです」と話すように、選手の育成より、まずはスケートの普及をメインに考えているという。
「スケートを全然滑ったことがない小さい子から、今からスケートを始めても大丈夫かしらという大人の方まで、ヘルメットをかぶって1からスケートに触れてもらっています。
みなさんはテレビで見るスケーターのイメージがあるので、実際に体験してみて、こんなにスケートって難しいんだ、ということも。でも、大人になってからでもスケートを楽しむことができる、やりたいと思った時がスタートです。
子どもが3カ月くらいでマスターすることも、大人だって時間はかかるけれどできるようになるんです」
アスリートの育成ではなく、普及をしたいと思い始めたのはなぜかと問うと、伊藤さんらしい答えが返ってきた。
「引退してプロになって、五輪メダリストとして解説や他のスポーツの取材に行かせてもらうこともありましたし、(フィギュアスケートコーチの)山田満知子先生のもとでお手伝いをしていたこともありました。
そういう活動をしていくなかで、自分は何が楽しくて何が向いているのかをずっと考えていたんです。そこで子どもたちと滑ること、そして自分が滑るのが一番好きなことに気づきました。
教えるんじゃなくて、自分が滑るのが一番好き。だから、教室でも一緒に滑って楽しさを伝えたいですね」
トリプルアクセルを成功させ銀メダルを獲得した1992年アルベールビル五輪
photo by Kyodo News
●53歳の挑戦「言葉はいらない」
「滑ることが好き」という気持ちに気づいたのは、コロナ禍でスケートから離れた時間だった。
「自粛して、氷から離れていた日々はやっぱりどこかつまらない。でも、その時間が身体のあちこちにあった痛みを癒してくれたんです。
健康で、痛みがなく、元気に滑れるという喜びが今は一番あって。それもあって、ドイツにまた行こうか!という気持ちが戻ってきたんです」
ドイツというのは、ISU(国際スケート連盟)が開催している国際アダルトフィギュアスケート選手権のことだ。
41歳の時、初めて出場した国際アダルトフィギュアスケート選手権 photo by Noguchi Yoshie
伊藤さんは2011年以来、毎年とはいかないが数回、その大会に出場してきた。10代、20代、30代とそれぞれスケートとの向き合い方は変化してきたが、40代で出会ったこの大会は、伊藤さんのスケート観を大きく変えることになった。
「コロナが流行する前に出た大会(2019年)では、以前は跳べていたダブルアクセルが跳べなくて。もう絶対ドイツなんか行きたくない!と思ったんですけど(笑)。
こうして元気になったらまたやってみたいなと思うようになってきて、今年5月に開催される国際アダルト大会に出場することを決めました。ダブルアクセルが跳べなくても、スケートで自分を表現してみたい。
小さい頃からいた氷の上で、言葉ではなく、身体を使って伝えたい。スケートがあれば言葉なんていらないんですよ。スケートって、滑りで何かを伝えることができるから。
アダルトの大会は、氷の上で思いや人生を語ることができる、感じることができるところが魅力的だなと思うんです。自分もそういうふうに見てもらえたらなと思いながら滑っています」
43歳で出場した大会ではダブルアクセルを成功 photo by Noguchi Yoshie
53歳で再び大会出場を目指す伊藤さんは徐々に感覚を取り戻し、今年1月にはシングルアクセルも着氷。その様子を動画でSNSにアップすると世界中から反響が寄せられた。
●「今表現しなくていつするの」
5月の大会へ向けつくったプログラムは、豪華なメンバーが振り付けと音楽をサポートしている。世界のトップスケーターの振り付けを担当しているデイビッド・ウィルソン氏と、ピアニストの福間洸太朗氏だ。
「デイビッド・ウィルソンさんが振り付けをしてくださるという話を聞いた時は、超一流の振り付けを自分がこなせるのかなと思っていました。
もともと満知子先生がデイビッド先生の振り付けがすばらしいということをご存じだったこともあって出会い、私のプロスケーター時代に毎年振り付けをお願いしていました。
デイビッドさんはそこから有名になって、今やトップ選手を現在のルールに合うように振り付けているので、プログラムをルール関係なくやりたいように滑っている私が果たしてどこまでできるんだろう、と(笑)。
でもやっぱり専門家なのですごくいいプログラムができましたし、私の演技の幅を広げることができたと感じています。せっかく再会してできたプログラムなので、うまく表現できたらいいなと思っています」
5月の国際大会へ向け練習に励む伊藤さん photo by Noguchi Yoshie
前回まではダブルアクセルを跳びたいというモチベーションで参加していた大会に、今回はどのような思いで挑むのだろうか。
「ストーリー性のあるプログラムをつくったので、ジャンプだけでなくプログラム全体でストーリーを表現できたらいいなというのが目標です。
高度なテクニックは入っていませんが、今できる表現を、ましてや最高の先生に振り付けしていただいているので、今表現しなくていつするの、というくらいトータル的なフィギュアスケートのよさを表現する。そこが大事ですし、それを見せに行きたいなと思っています。
滑るって、気持ちがいいし、楽しい。滑っている時のリンクの匂いとか、小さい頃に感じた風を切る感じはスケートじゃないと味わえません。
やっぱりそれは健康じゃないと感じることができないから、健康が続く限りは小さい時に感じたフィーリングを忘れずに滑りたいなと思いますね」
インタビュー後編<伊藤みどりがフィギュアスケートの現状に
「寂しく感じる」理由とは? 女子世界初のトリプルアクセルジャンパーが語るスケーター人生>
【プロフィール】
伊藤みどり いとう・みどり
1969年、愛知県生まれ。6歳からフィギュアスケートの競技会への参加を開始し、小学4年の時、全日本ジュニア選手権で優勝し、シニアの全日本選手権で3位。1985年の全日本選手権で初優勝し、以後8連覇。1988年カルガリー五輪で5位入賞。同年には女子選手として初めてトリプルアクセルを成功させる。1989年、世界選手権で日本人初の金メダルを獲得。1992年アルベールビル五輪で銀メダルを獲得後、プロスケーターに転向。その後、アマチュアに復帰し1996年の全日本選手権で9回目の優勝を果たしたのち引退。現在は、指導や普及に努めている。