近藤真市氏を5球団がドラ1指名…中日以外ならトヨタ自動車に入社予定だった あの時、中日・星野仙一監督がクジを引き当ててい…

近藤真市氏を5球団がドラ1指名…中日以外ならトヨタ自動車に入社予定だった

 あの時、中日・星野仙一監督がクジを引き当てていなかったら……。ルーキーイヤーの1987年に1軍公式戦初登板ノーヒットノーランを達成した元中日投手の近藤真市氏(岐阜聖徳学園大学硬式野球部監督)は享栄高時代から注目を集めた左腕で、1986年のドラフト会議の超目玉だった。ヤクルト、中日、日本ハム、阪神、広島の5球団が1位指名で競合し、抽選で中日が交渉権を獲得したが、近藤氏は「もうドキドキでしたよ」と振り返る。ドラゴンズ以外なら、プロ拒否のシナリオがあったからだ。

 近藤氏は享栄高3年の時にプロ注目左腕として騒がれ、春夏連続で甲子園に出場。春は1回戦で初出場の新湊(富山)に0-1負け、夏は1回戦で唐津西(佐賀)、2回戦で東海大甲府(山梨)を下し、3回戦で高知商(高知)に1-2で敗れたが、その評価は変わることなく、1986年11月20日、ホテルグランドパレスでのドラフト会議を迎えた。

「もともとは12球団、どこでも行きたかった。母子家庭だったし、プロに入って親孝行したいというのがあったのでね。でも(中日スカウトの)水谷(啓昭)さんの熱意に負けました。水さんに『ドラゴンズ1本にしてください』と言われて……。(当時のルール上)逆指名はどっちみちできないんですけど『もうドラゴンズしか行かないって言ってもらえませんか』みたいな話だった」。近藤氏はそれを承諾し、同時に中日以外に指名された場合の行き先を決めた。

「トヨタ自動車の試験を受けたんです」。中日以外の指名だったら、トヨタ入りすることが採用条件で内定をもらっていた。ところが、中日以外の球団はそれでも強行指名に踏み切った。当初のプロに行きたい近藤氏の気持ちを考え、交渉権さえ得れば何とかなると判断したようだ。だが、現実はそんな揺れ動くような状況では全くなかった。その場合、プロに行く可能性はゼロだった。

他球団に指名されて入団したら…「享栄からトヨタに行くことはなくなる」

「もし、僕が他球団に指名されてトヨタを蹴ったら、享栄からトヨタに行くことはまずなくなる。大卒でも享栄(出身)の選手はいらないよってなっちゃう。それは絶対できなかった。だから中日以外なら入団拒否だったんです」。それだけに、星野監督が当たりクジを引いた時は「もう僕は大喜びでしたよ、5分の1の確率だったんですからね」。

 星野監督も絶対、近藤氏の交渉権を取るという意気込みだった。そのために知人の住職に言われた通りの動きをした。クジを引く時、一人だけ違う方向を向き、懐に入れた扇子を触った。指示された金額の小銭を忍ばせ、クジは一番最初に手に当たったものを引いた。すると見事に……。闘将は歓喜のガッツポーズだ。

「それも運命ですよね」と近藤氏はしみじみと話す。もしも、プロを拒否してトヨタに行っていたら、どうなっていただろうか。プロ入りはしていないのだから、少なくとも1987年の大偉業はなかったことになる。まさにその後の人生を左右するクジだった。(山口真司 / Shinji Yamaguchi)