今から5年前、「日本一の下剋上」のキャッチフレーズで夏の三重大会の頂点に駆け上がったチームがあった。 三重県立白山高校…

 今から5年前、「日本一の下剋上」のキャッチフレーズで夏の三重大会の頂点に駆け上がったチームがあった。

 三重県立白山高校。その2年前までは10年連続で夏の三重大会初戦敗退の弱小校だった。甲子園出場を決めた選手たちのほとんどが第一志望の高校受験に失敗しており、自分に自信が持てない球児たちが起こした奇跡に高校球界は騒然となった。

 一時は部員が1名まで減って廃部寸前だった白山に赴任し、環境面から立て直したのが監督を務めた東拓司さんである。その東さんが今春、三重県立昴学園高校へと異動になった。



4月に三重・白山高校から昴学園に異動になった東拓司氏

【新たな赴任先は全寮制の公立校】

 2018年夏に甲子園に出場したあとも、白山はコンスタントに三重ベスト4、ベスト8へと進出。県内でマークされる存在になった。それでも、2度目の甲子園は遠かった。東さんは「全然納得していません」と振り返る。

「もっとやれたんやないか、と思うことだらけです。甲子園に届きそうな年もあったけど、甲子園に出た代のような強い流れはなかった。やっぱり力で甲子園に行くのは難しいなと感じました」

 昨夏限りでチームの指揮を後進の池山桂太コーチに譲り、東さんは「心機一転、新たな環境でやってみたい」と異動を願い出ている。そして新たな赴任先になったのが、昴学園である。

 昴学園は、公立高校ながら総合学科のある全寮制高校として唯一無二の存在である。

 校舎は三重県南部の多気郡大台町にある。大台町は町全域が生物多様性の保護を目的としたユネスコエコパークに登録されており、日本三大渓谷に数えられる大杉谷や清流日本一に選ばれた宮川がある。

 まさに秘境といった趣きの環境で、昴学園の生徒は寮生活を送る。だが、近年は1学年あたり80人という少人数の定員が埋まらない時期もあった。

 東さんにとって昴学園は「原点」ともいうべき場所だ。

 大阪体育大を卒業後、東さんは県の教員採用試験に合格するまでに6年もの時間を要している。講師として雌伏の時期を過ごし、6年目に寮監兼務で勤めたのが昴学園だった。今から17年前のことだ。

 夜は酒も遊びも断ち、空き時間のすべてを教員採用試験の勉強に費やした。東さんは「昴学園での1年間があったから、今の自分があります」と語る。

 コーチとして当時の野球部も指導した。部員数が少なく、力量的にも乏しいチームだったが、東さんはお構いなしに選手たちを鍛え上げた。同年夏の三重大会で1勝を挙げると、選手も保護者も大盛り上がり。昴学園はそれ以来、夏の大会で勝利を収められずにいる。白山が夏の連敗をストップさせた2017年の夏など、昴学園は初戦で0対29のスコアで大敗している。

【新たな下剋上物語がスタート】

 とはいえ、東さんが転任する前から昴学園の野球部は上昇機運にある。現任の高橋賢監督は、東さんの初任校である上野高時代の教え子でキャプテンだった。高橋監督の地道な活動もあり、現在は新3年生こそ2人ながら、新2年生は15人。新1年生は20人が入部予定だという。1年生は全生徒の4人に1人が野球部員という計算になる。

 公立高校ではあるものの、昴学園は全寮制のメリットを生かして県外からの生徒も募集している。少子高齢化が進む近年は、地方自治体が生き残りをかけて公立高校で越境入学生を募集する流れが加速している。東さんが赴任したことで、有望な選手が昴学園を選ぶようになる可能性もあるだろう。

 東さんが赴任する前日の4月2日、春季南地区予選で勝利した昴学園は県大会への出場を決めた。昴学園にとって県大会出場は開校以来初のこと。スタンドで勝利を見守った東さんは、なつかしい感覚を覚えた。

「保護者だけじゃなく、町長や地元の人まで、まるで優勝を決めたような騒ぎでいいなぁと思いましたよ。白山の初めて県大会に出た時のことを思い出しました」

 三重高、津田学園、海星、菰野、いなべ総合、津商。三重県内には甲子園を狙う強豪がひしめいている。白山で実績を挙げた東さんが赴任したといっても、昴学園が甲子園にたどり着くには険しい道が待っている。

 それでも、東さんはただ前を向き、目の前にそびえる強敵に挑むつもりだ。

「優勝するにはぶつかる壁もありますけど、白山の時よりもいいチームをつくりたいという気持ちは強いですね。自分にとって縁のある大台町で、恩返しをしたいです」

 赴任してまずやりたいことを聞くと、東さんは「グラウンドにベンチがないので、まず単管パイプでつくろうかと高橋と相談しています」と笑った。

 自然に囲まれた美しい町で、新たな下剋上が始まろうとしている。