1986年選抜2回戦、拓大紅陵は新湊から4点リードを奪った 高校野球は、新型コロナ禍の影響で制限されていた観客席の声出し…
1986年選抜2回戦、拓大紅陵は新湊から4点リードを奪った
高校野球は、新型コロナ禍の影響で制限されていた観客席の声出し応援が今春の選抜大会から解禁された。甲子園大会では2019年夏以来、3年半ぶりの解禁。ヤクルト、楽天で活躍し、ゴールデングラブ賞を7度受賞した野球評論家の飯田哲也氏は、声援がどれ程の力を持つのかを体感している。拓大紅陵(千葉)の捕手で出場した1986年選抜2回戦で、新湊(富山)に4-7で大逆転負け。「魔物にやられたとしか言いようがありません」。今も語り継がれる“新湊旋風”を振り返った。
拓大紅陵は前年秋の関東王者として選抜大会へ。「東の横綱」「優勝候補」の呼び声が高かった。洲本(兵庫)との1回戦は8-0と下馬評通りの強さを発揮した。
飯田氏は先制タイムリーに盗塁も決めた。当時あったラッキーゾーンに放り込む本塁打も放つなど3安打。捕手としても5回に二塁走者の離塁が大きくなったところを逃さず2度も刺し、相手の送りバントを俊敏に処理して二塁封殺と、1イニングの3つのアウト全てを自らの肩で奪う離れ業を演じた。後にプロ野球で外野手に転向し、ゴールデングラブ賞を7度受賞、盗塁王を1度獲得した素質を既に見せつけていた。
新湊は前年秋のチーム打率が出場32校中で最下位。初戦の相手、享栄(愛知)の大型左腕・近藤真一(元中日)は大会屈指の投手の評価を得ていた。実際、中日入団1年目の1987年、初登板でノーヒットノーランの快挙を達成している。だが、新湊は12三振を喫しながらも、エースの酒井盛政が自らの適時3塁打で挙げた1点を守り抜く“大金星”。春は初出場で、バックネット裏の鉄傘の下まで押し寄せた地元の大応援団の歓声が響き渡った。
迎えた2回戦で両校は激突。飯田氏は「油断はなかったです」と断言する。一塁側の新湊は、この日も大応援団が初回から大音声。拓大紅陵は臆することなく着実に試合を運び、4-0とリードして6回表を終えた。
6回裏に一挙6失点「僕が思う魔物は緊張感。普段通りできない」
しかし、その裏に事態は一変した。新湊の先頭打者が初球に詰まりながらも左前に落とす。次打者は止めたバットに投球が当たり、ぼてぼてのゴロ。拾った投手が二塁封殺を狙ったが、セーフとなり野選。新湊を後押しする大声援のボリュームがさらにアップし、どんどん広がっていった。
「僕たちは、委縮したつもりはないんですけど……。新湊が乗っちゃったという感じでした」。無死1、2塁。飯田氏は続く打者がバントの構えからバットを引いた時に飛び出した二走を刺すべく送球するが、またまた際どくセーフとなった。
「球場全部が新湊ファンのイメージ。凄い雰囲気でしたよ」。この回、バッテリーは間を取ったり、けん制球を投げたり、ウエストしたり。内野陣も投手に声を掛けた。小枝守監督も伝令を出して懸命に対処した。だが、3本の適時打に押し出し四球で一挙6失点。「あれー、あれー、何でってという感じで。魔物ばっかりでした」。
甲子園には魔物が棲んでいる――。飯田氏は「よく聞くじゃないですか。僕が思う魔物は緊張感です。普段通りできない。9回に大逆転とかありますよね。そういうのは緊張しまくって、自分じゃなくなってしまうから。テレビ中継もないし、あんな声援を受けたことがないですし」と述懐する。
「いやー、絶対に勝てましたよねぇ……」。それでも「新湊の酒井君は良いピッチャーでした。低めにしかボールが来なかった」と認める。新湊は準々決勝も京都西を延長14回の末に2-1で倒し、ベスト4に進出した。「大旋風ですよね」。飯田氏は爽やかに称えていた。(西村大輔 / Taisuke Nishimura)