小学校5年生で、代表としてオリンピックに向けての一貫指導オーディションに参加、アスリートとしての歩みを始めた杉山美紗には、葛藤があった、◆【前編】マーメイド・ジャパンからシルク・ドゥ・ソレイユへ “表現者”杉山美紗が駆け抜けた日々の軌跡アス…
小学校5年生で、代表としてオリンピックに向けての一貫指導オーディションに参加、アスリートとしての歩みを始めた杉山美紗には、葛藤があった、
◆【前編】マーメイド・ジャパンからシルク・ドゥ・ソレイユへ “表現者”杉山美紗が駆け抜けた日々の軌跡
アスリートとしてオリンピックを目指してきた日々、杉山は点数や順位を付けられるから「勝たなくては」「負けてはいけない」という強迫観念のようなものがあったという。しかし、シルクとの出会いによって「表現をすること」そして、それによって「人が喜んでくれることが好き」という自分自身の中にある根源的な思いと向き合うことになり、自分が目指すべき光がそこにあることを強く自覚することになった。
杉山美紗(すぎやま・みさ)
●元アーティスティック・スイミング日本代表 1990年9月25日生まれ。神奈川県出身。幼い頃からアーティスティックスイミングを始め、日本代表で世界選手権やワールドカップに出場。2014年に選手引退後、15年からシルク・ドゥ・ソレイユ“O”に7年間出演し、昨年から日本に拠点を移し、水中空中モデル・講演活動等、表現の幅を広げて活動している。
■シルク・ドゥ・ソレイユだから得られた喜び
思い起こせば、子供の頃、保育園でそこに生えている葉っぱをちぎってチケットとし、ブランコや滑り台から飛び降りたり、柔軟性の高い自分の身体を友達たちに披露したりして、拍手をもらうことが大好きだった。だが、アーティスティック・スイミングの選手として活動していた時には、周りが喜んでくれることという意味を含めての結果が欲しくなり、フェアなジャッジとは何かという疑問や、結果が求められていると感じる自分自身に苦しめられた。
時を経て、競技結果だけでない違う物差しもあるということがわかってからは表現に対してより自由になったが、そんな時にシルク・ドゥ・ソレイユという、満場の拍手とともに、演者も観客も全員が満足できる究極のエンターテインメントがあることを知り、そこで繰り広げられる世界に強く感銘を受け、憧れた。
その出会いから、シルク・ドゥ・ソレイユは杉山にとっての光の世界となった。そしてその光を一途に求めて飛び込み、「O(オー)」の演者としてのポジションを得て幸せをかみしめることができたのだ。しかしなんとそこで杉山は「目標がなくなってしまう悲しみ」に苛まれることとなる。
■「夢が叶った時が夢を失う時」
「夢が叶った時が夢を失う時でした。夢があった時の方が苦しくなかった。次の光がわからなくなってしまったんです」。そして、舞台の上では幸せだけれど、舞台を降りて1人になった時の孤独感。会場中が沸いたスタンディング・オベーションの後に家で1人きりになった時に際立つ孤独を感じ、「これでいいのか」という思いからどうしても抜けだせなくなりました。そして、アスリート、エンターテイナーとしての自分がいる一方で、人としての自分は何をしたかったのか、という疑問を持ち始めたり・・・。“孤独”と真正面から向き合いすぎたのか、不眠症になってしまった時もありました。でもその治療としてヨガをやって眠れるようになり、またある日、どんな時でも人はみんな一人なんだと気付き、孤独を肯定できるようになりました」。
目標に到達した時に目標を失う、というのは、さまざまなトップアスリートが経験するのと同様の苦しみではあり、また一流の選手は常に孤独とともにあるということは、スポーツ界でも言われてきたことではある。
“孤高”という言葉があるが、「その孤独感は高みを知ってしまった嘆きだったのでは…」という問いかけに、「高みという感覚は全然なく、たんなる自分の追求心です。自分の理想は自分の胸の中にあります。そしてそれを掴むために努力をしたんだね。と言われたりもしますが努力という言葉にも違和感があって、目標に向かって努めることは当たり前で、やりたかったからやっただけ、という気持ちです」という答えが戻った。
結果を出したトップアスリートに「自分は努力してきた」という人が少ないのと同様に「やりたかったから当たり前のことをやっただけ」という言葉はやり遂げた人だけが放つ輝きと重みをもって胸に響くこととなった。
世界中から集められた個性的なアーティストがそろうシルク・ドゥ・ソレイユで7年間切磋琢磨してきた経験は今後のアスリート・表現者としての杉山美紗を強く、広く支え続けるに違いない。
その確かな実績と共に、杉山は「今後もアスリートとしての社会貢献を続けながら、心が動くことに丁寧に向き合ってゆきたいです。人と接して生まれてくるものに惹かれるので、いろいろな人と接しながら表現の幅を広げてゆくことができたらと思っています。」と語ってくれた。
ミュージックビデオやファッションショーへの出演の他、講演活動、ヨガの講師まで、幅広いアウトプットをこなしながら「努力と真面目は杉山美紗と対義語だと思っています」と笑う彼女の確かな歩みはこれからも続いていく。
◆【前編】マーメイド・ジャパンからシルク・ドゥ・ソレイユへ “表現者”杉山美紗が駆け抜けた日々の軌跡
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著者プロフィール
Naomi Ogawa Ross●クリエイティブ・ディレクター、ライター
『CREA Traveller』『週刊文春』のファッション&ライフスタイル・ディレクター、『文學界』の文藝編集者など、長年多岐に亘る雑誌メディア業に従事。宮古島ハイビスカス産業や再生可能エネルギー業界のクリエイティブ・ディレクターとしても活躍中。齢3歳で、松竹で歌舞伎プロデューサーをしていた亡父の導きのもと尾上流家元に日舞を習い始めた時からサルサに嵌る現在まで、心の本業はダンサー。