2009年WBCでブルペンコーチの与田剛氏は毎日、投手陣のデータを集めた 超一流選手の集まりである代表チームを束ねる監督…
2009年WBCでブルペンコーチの与田剛氏は毎日、投手陣の“データ”を集めた
超一流選手の集まりである代表チームを束ねる監督、コーチは肉体的にも、精神的にも激務だ。侍ジャパンが世界一に輝いた2009年のワールド・ベースボール・クラシック(WBC)でブルペンコーチを務めた元中日監督で野球評論家の与田剛氏は「今思い出しても汗が出てきそう。もう10年以上も前の話ですけど、震える場面が多かったですね」と振り返る。神経をすり減らした戦いの日々。「選手は私に聞かれることが多くてイライラする場面もあったと思う(笑)」と明かした。
選手の性格を知る。与田氏は、まずそれに取り組んだという。「2008年の11、12月、それから2009年の2月、そういう時期に候補選手たちのチームの監督、コーチにいろんなお話を教えていただいた」。それを参考にして侍ジャパンの宮崎キャンプでは選手たちの“データ”を集めたそうだ。「毎日毎日、選手と会話しながら、あまり褒めても逆に駄目だなとか、ちょっと強い口調で言った方がこの選手にはいいのかもしれないとか……」。
この大会のメンバーは中継ぎ専門投手が少ないと言われていたが、その対応策もきっちり練っていた。「ジャイアンツにいた内海、オリックスの小松、ロッテの渡辺俊介、そういった先発で完投能力のある選手たちを中継ぎで待機させていく中で、何度もブルペンで準備をさせるのはできるだけ避けたかった。先発投手って1回しか準備しませんから。やっても2度まで、3度は絶対やめようと考えてましたね」。
何球で肩ができるかも個人差がある。「そのデータもとりました。でも数値化できないものもあった。天候が違ったり、特にアメリカに渡ってからは乾燥と湿気、このバランスが思った以上に難しかった。それによって、早く準備ができる選手もいたりして、我々もデータを変えていかないといけなかった」。そのためにも選手にとにかく聞いていくしかない。「顔を見ながら確認しなければいけなかった。選手には正直に答えてほしいとお願いしましたね」。
数十台のパトカーと白バイに先導されて深夜の米国をバス移動
念入りな作業が選手をいらだたせたかも、というわけだが、与田氏にとってはどれも貴重な経験だった。「山田(久志投手コーチ)さんには、どうしますか、というクエスチョンマークを絶対に伝えてはいけない、原監督にもそうです。“誰でいきます”、“誰を準備させています”と必ず“です、ます調”でね。うーとか、えーとかやっているうちにあっという間に時間が経ってしまうので。それを経験させていただいたことも財産になりましたね」。
思い出はいくつもある。「試合でのこともそうですけど、食事会場の雰囲気、バスの中の空気、試合では見せない選手たちの素朴な表情、素朴な会話とかもね」。とりわけ、第2ラウンドを終えて数十台のパトカーと白バイに先導されてサンディエゴから準決勝、決勝の舞台、ロサンゼルスまで夜中にバス移動した時のことも印象深いという。
「バスがハイウエーの真ん中で止まって、たぶん、サンディエゴの警察からロサンゼルスの警察に引き継がれたと思うんですけどね。そこからまたホテルまで先導されて。『こんなこと一生ないよな』とか言いながら、私も含めてバスの中でみんな、はしゃいでいましたからね」。それはまさしくグラウンドとは違う顔だった。「そんな特別なサポートをしてくれる、そういう期待を集めた大会なんだなということも、あの時は感じましたよね」。
侍ジャパンの優勝で幕を閉じた2009年大会。決勝の韓国戦ではイチローが劇的な勝ち越し打を放った。準決勝から抑えに回ったダルビッシュ有は魂のピッチングを見せた。ここ一番での岩隈久志の激投、馬原孝浩の踏ん張り、マウンドだけでなくブルペンでもチームを引き締めた藤川球児……。与田氏は「最終的には選手が我々をサポートしてくれたという感じがすごく残る戦いだったんですけどね」と笑みを浮かべた。そして、こう話した。「すべてが宝物です。経験させていただいた方に感謝の気持ちしかありません」。(山口真司 / Shinji Yamaguchi)