「ボミちゃん! がんばって!」 2023年シーズン開幕戦のダイキンオーキッドレディスに主催者推薦で出場したイ・ボミ。日本でのラストイヤーということもあり、多くのギャラリーがそのプレーをひと目見ようと詰め掛けていた。 イ・ボミは、今季限りで日…

「ボミちゃん! がんばって!」

 2023年シーズン開幕戦のダイキンオーキッドレディスに主催者推薦で出場したイ・ボミ。日本でのラストイヤーということもあり、多くのギャラリーがそのプレーをひと目見ようと詰め掛けていた。

 イ・ボミは、今季限りで日本女子ツアーから引退すると発表した。今季開幕戦を前にしての公表は、彼女なりのファンへの配慮だった。

「何試合出るかはわからないけど、全国にいるファンの皆様に、今までの感謝の気持ちを挨拶したくて、早く言ったほうがいいかなと思っていました」

 それにしても、今シーズンを最後に日本ではもう彼女のプレーする姿を見られないと思うと、正直寂しい。それだけ、日本女子ゴルフ史に大きなインパクトと功績を残した選手だったからだ。

 2010年に韓国女子ツアーの賞金女王となり、母国でついた愛称は"スマイル・キャンディ"。小さくて笑顔が可愛らしい選手として、韓国でも絶大な人気を誇り、ファンクラブまで存在していた。

 そんななか、彼女は日本ツアー参戦を決断。韓国での実績や名声をすべて"ゼロ"にして、日本に渡ってきた。

 日本ツアー初参戦を果たしたのは、2011年。当時、イ・ボミのことを知る人はほとんどいなかった。彼女の周りには、数人の日本人ファンが取り囲んでいる程度だった。

 筆者が現場取材で初めて会った時は、隣にいた母ファジャさんも帯同していた。親子二人三脚での日本ツアー参戦は、それなりの覚悟があってのこと。その頃、ファジャさんからは「娘のことを、これからたくさんメディアで取り上げてくださいね!」とよく声をかけられたものだ。

 当時はまだ、イ・ボミが2度も賞金女王になることなど想像もしていなかった。


来日当初の

「小さな夢」を叶えて、多くのギャラリーに囲まれてプレーするようになったイ・ボミ

 来日当初、彼女はよくこんなことを口にしていた。

「日本の人たちに応援してもらうことが小さな夢」

 理由は、自分のバーディーよりも日本選手のパーのほうが、拍手が大きかったことにショックを受けていたから。韓国人だが、日本人選手と同じように応援してほしい――彼女の秘めた思いだった。

 優勝こそ果たせなかったが、賞金ランキング40位で1年目からシード権を獲得した。転機が訪れたのは、2年目の2012年シーズン。2戦目のヨコハマタイヤ PRGRレディスカップで、ツアー初優勝を飾ったことがきっかけとなった。

「ここから、私に声をかけてくれたり、名前を知ってくれる人が増えて、すごくうれしかったのを覚えています」

 初優勝から勢いに乗った同シーズンは、計3勝を挙げて賞金ランキング2位と躍進した。以降、ツアーの中心選手として活躍。2013年シーズンは賞金ランキング7位、2014年シーズンも同3位と好成績を残して、賞金女王へあと一歩というところまできていた。

 2014年シーズンは一時賞金ランキングトップを走っていたが、父ソクチュさんが亡くなったことが重くのしかかかり、逆転を許した。トレードマークである"笑顔"が彼女から消える時期も長かった。

 迎えた2015年シーズン、父親のことを思い出しては涙にくれる日々も多かったが、当時専属キャディーだった清水重憲氏、トレーナーやマネージャー、母ファジャさんらに支えられ、イ・ボミは強くなった。

 女子ツアー屈指のショットメーカーと言われ、狙ったところに面白いようにボールが落ちていく。出場した試合は必ずと言っていいほど、優勝争いに絡んだ。彼女を追うギャラリーは日増しに増え、契約を結ぶ本間ゴルフのクラブやキャップは飛ぶように売れた。

 ホールアウト後のファンサービスでサインなどをする際、イ・ボミは「どこから来てくれたんですか?」と聞いては、ファンの顔と名前を覚えるのが習慣だった。結果、多くのファンが彼女の虜になった。そうしたファンのことは「イボマー」と呼ばれ、一種の社会現象となったことは有名な話だ。

 彼女は、それほどファンやギャラリーのことを大事にしていた。あるトーナメントでは、列をなしたおよそ300人のファン全員にサインをして帰ったというエピソードもあるほど。

 そうして、韓国に次いで日本にもファンクラブが誕生。年末には日韓両国でファンクラブ忘年会が開催され、イ・ボミ本人もどれだけ忙しくても必ず参加していた。

 AKB48のような「会いに行けるアイドル」ならぬ、「会いに行けるプロゴルファー」。それまでの日本女子ツアーでは見られなかった光景が各トーナメント会場で見られ、ファンサービスの在り方に一石を投じた選手でもあった。

 結局、人気爆発となった2015年シーズンは、トータル7勝を挙げて悲願の賞金女王の座に就いた。平均ストローク1位、メルセデス最優秀選手賞も受賞。年間獲得賞金は2億3049万円に上り、2001年の国内男子ツアーで伊澤利光が獲得した賞金額(2億1793万円)を更新し、男女を通じて日本ツアーでの最高獲得賞金額記録(当時)まで樹立した。

 翌2016年シーズンも、快進撃は続いた。年間5勝を挙げて、2年連続の賞金女王に輝いた。

 もはやこの頃は、外国人選手よりも日本人選手をメインに扱うスポーツ紙でさえ、イ・ボミを"韓国人選手扱い"することはなかった。過去、国内女子ツアーで韓国人選手が勝っても大きく取り上げられることはなかったが、イ・ボミはスポーツ紙の一面を何度となく飾った。韓国人アスリートでは、おそらく初めてのことだったのではないだろうか。

 頻繁にゴルフ雑誌の表紙も飾って、著書や写真集まで発売。外国人アスリートしては、かなり異例のことだった。

 とにかく、自分を支えてくれる人をとても大切にするイ・ボミ。スポンサー、メディアからもとても愛された選手だった。

 スポーツ選手にはいずれ坂を下る時がくるもので、イ・ボミも2017年シーズンのCAT Ladiesでの優勝を最後に勝利からは遠ざかっていった。長らくスイングとショットの不安定さに悩まされていた。そして、引退を決めた理由についても「成績が出ないままで、なかなかゴルフを楽しめなくなった」と、正直に語った。

 2019年12月に俳優のイワンさんと結婚し、現在34歳。「いずれ子どもがほしい」とも語っていたことを思えば、自らの家庭を築いていくことを、これからの人生の最優先と考えるのも当然のことかもしれない。

 実のところ、昨シーズンを最後に日本から去る気持ちもあったそうだ。だが、そこはファンのことを第一に考えてきた彼女。「ファンの前でもう一年、最後に踏ん張ってみたい」と決意した。

 日本では、残り数試合の出場。最終戦は、所属先の大会でもあるNOBUTA GROUPマスターズGCレディース(10月19日~22日/兵庫県)となる。「そこが、自分が引退する最後の試合。感謝の気持ちで終わりたい」とイ・ボミ。

 日本ツアー最後の闘いに向けて、彼女が言う。

「悪くても、すごく悩んでも、頑張っていくこと。本当に最後の年なので、頑張ってるところを見てほしいです」

 多くのファンはきっと、成績より何より、イ・ボミが楽しく笑顔でプレーする姿を見たいと思っているはずだ。出場試合は残りわずか。彼女の雄姿をしっかりと見届けたい。