ビキニフィットネス・安井友梨 インタビュー前編 会社員として働きながらビキニフィットネスの国内大会で7連覇、世界大会で2度の準優勝を果たし、絶対女王の座に君臨する安井友梨さん。 磨き上げられたボディやハツラツとした笑顔、ポジティブな生き方が…

ビキニフィットネス・安井友梨 インタビュー前編

 会社員として働きながらビキニフィットネスの国内大会で7連覇、世界大会で2度の準優勝を果たし、絶対女王の座に君臨する安井友梨さん。

 磨き上げられたボディやハツラツとした笑顔、ポジティブな生き方が人々を魅了しているが、かつてはスポーツ嫌い、体重70キロのぽっちゃり体型で、「何の取り柄もないOLだった」と安井さんは言う。

 ビキニフィットネスとの出会いで、安井さんはどのように変わっていったのだろうか? 前編では、彼女の半生を振り返ってもらい、仕事と競技の二刀流で人生を輝かせる流儀を聞く。



ビキニフィットネスの国内大会で7連覇中の安井友梨さん

◆ ◆ ◆

【取り柄のない"ぽっちゃりOL"だった】

ーーいまやビキニフィットネスの絶対女王の安井さんですが、学生時代からスポーツが得意だったんですか?

安井友梨(以下、同) 実は、かつてはスポーツが大嫌いで......。

 一応、中学校からバレーボールを始めて、親に言われるがまま高校まで続けていました。でも練習に行かずにバイトばかり。

 たまに練習に行っても顧問の先生から「レシーブする気ないんか!」と呆れられるくらいでした。

 当時から背が高かったのですが(現在173センチ)、アタックのやる気もなくてブロック専門で(笑)。

ーー大学時代は?

 和菓子が食べたかったので茶道部です(笑)。その頃の趣味らしい趣味は、強いて言えば食べること。

 だからすぐ太るので炭水化物抜きダイエットを始めて。例えば、こんにゃくダイエット、りんごダイエットなど、あらゆるダイエットに挑戦するんですが、ことごとく失敗......。

 祖母は体重100キロ、母は80キロという太りやすい家系だったこともあり、20代の時はMAXで70キロでした。

 30歳でビキニフィットネスに出会うまでは仕事も体形も悩み続けた、何の取り柄もないただのぽっちゃりOLだったんです。



ビキニフィットネスと出会う前、20代の安井さん



ーー意外ですね。しかし、新卒で証券会社に入社。エリートだったのでは?

 メンタルが弱かったので厳しい環境に身を置かなきゃダメだと思って。大学時代に先生に相談したらおすすめされたので証券会社に思いきって飛び込んだだけなんです。

 事務職で入ったんですが、もっと厳しい環境を求めて男性しかいない総合職の営業部隊に自分から手を上げて入りました。

 でも結局、激務と目標の数字に追いつけなくなって、2年半で退職してしまいました。

 20代の頃はネガティブで、ダンスなどの新しい趣味を始めたくても「自分には無理だ」と思ったり、周りの目ばかりを気にして諦めてばかりでした。

 石橋を叩いて割って橋がなくなっちゃう、バッターボックスに立たなければ挫折しない、そういう感じで逃げてばかりいましたね。

【突然始まったビキニフィットネス優勝への道】

ーー自分を変えるきっかけとなるビキニフィットネスとはどのように出会ったのですか?

 30歳の時の私は相変わらずのぽっちゃりOL。でも、同じぽっちゃり体形の母が急にジムに通い始めて半年で約20キロもやせたんです。

 だから「私も!」と、母に連れられて通い始めたのが最初です。

 でもその時は「10キロやせる」という漠然とした目標しかなかったので、なかなかうまくいかず。

 トレーナーの方から「やせてどうなりたいのか、目標にしたい人物の写真を持ってきて」と言われたから米倉涼子さんの写真を持っていったら「それは芸能人だから無理!」と言われたり(笑)。

 そうして見つけたのがビキニフィットネスのコンテストで優勝した選手たちの集合写真でした。

 そのなかには普通の主婦の方もいたので、私にもできるかもと思って調べてみると、チャンピオンの住まいも通っているジムも私と同じ名古屋だということがわかって、同じジムに通うようにしたんです。



競技を始め体を磨き上げていった

ーーその時の家族からの反応はいかがでしたか?

 ビキニフィットネスのコンテストを目指すと伝えたら大反対されました。「いい歳して何やってんだ、料理教室に通え」とか言われたり。

 その時に、自分がやろうとしていることに対して、周囲が必ずしも応援してくれるわけではないことを知りました。

 でも周りの目を気にして何でも諦めていた私がめげずに続けられたから、今があるんだと思います。

ーー家族は今では応援してくれていますか?

 国内大会(オールジャパンフィットネスチャンピオンシップス)で初優勝してから私の一番の応援団です。

 世界選手権(IFBB世界フィットネス選手権)がヨーロッパなどどこで開催されようが、必ずついてきてくれます。父も母も、旦那さんも、そのお母さんも。

 実は、そのジムに入会するのにふたつの条件がありました。ひとつは、大会に出るまでやめないこと。もうひとつは、「ビキニフィットネス優勝への道」と題して365日、ブログを更新し続けること。

【急にやせて肌も黒くなり「病気になったのか」と上司】

ーーいきなり「優勝への道」ですか?

 ダイエット目的で始めただけなのに......(苦笑)。

 やっぱり目標を示していたほうが長続きするからということで。最初の読者はトレーナーと家族だけでした。

 私は会社の同僚や友達にも内緒でトレーニングを始めていましたが、そのブログがきっかけで徐々にバレていって。

 証券会社をやめたあとに地元の外資系銀行の営業で働いていましたが、ある日、会社で上司に呼び出されました。

「急にやせて色黒になったし、病気にでもなったのか。それとも会社で噂になっている、コンテストで優勝を目指すという話は本当なのか」と問い詰められました(笑)。



ーー別に悪いことをしているわけじゃないのに(笑)。

 最終的には同僚も大会を見に来てくれたり、世界選手権へ出場する際は休みをいただいたり、会社ぐるみで応援してもらっていました。

ーービキニフィットネスを始めて、仕事面で変化はありましたか?

 証券会社の頃は、難しい案件、難しいお客様をなるべく避けたり、あと回しにしていた私が、転職先の銀行では積極的に険しい道を選ぶようになっていました。

 それは体力の限界のところでトライする最後の1回が一番成長できることをトレーニングを通して学べたからです。

 痛みなくして成長なし。ビキニフィットネスを始めて、気がつけば、「何をやってもどうせできない」から「頑張れば何でもできる!」というマインドに変わっていました。

 前職で落ちこぼれだった私でも、成績優秀者として表彰されるようになっていました。自分次第で、いつからでも自分と未来は変えられると思います。

ーーしかし、そんな会社も今年1月末に退職したと聞きました。

 勤めていた外資系銀行が日本から撤退することが決まり、同僚のほとんどは退職することになりました。

 私自身すごく居心地がよかったし、定年まで働き続けるものだと思っていたからかなり落ち込みました。

 でも今は切り替えて、新しいことをチャレンジできる環境になったとポジティブに考えています。

【5年間休みなしのストイックな生活】

ーー会社員時代からかなりストイックな生活をされていたとのこと。会社をやめた現在は生活が変わりましたか?

 勤めていた時は、朝5時起床でトレーニングをし、8時に出勤して18時の退勤後に3時間のトレーニングや各レッスンで睡眠時間は毎日4〜5時間でした。

 でも今も基本的に変わりませんね。会社の代わりに夫と共同経営している会社で健康食品や美容系の商品をプロデュースしたり、夕方から1日5、6件のレッスンに通う日もあります。

 それに、メディアの仕事をさせていただくことも多くなりました。もちろんトレーニングも欠かしません。



12〜3月頃はシーズンオフ。4月頃から秋の大会へ向けて体を作り上げていく

ーー多忙な日々ですね。

 おかげさまで5年間休みがありません(笑)。でも、今が人生で一番若いと思ってるので、どんどんいろいろなことに挑戦したいです!



ーーインタビュー後編では、安井さんのボディメイクについて詳しく話を伺います。

インタビュー後編<目指すカラダはディープインパクト! 「1日6食、ジビエ肉とおはぎ」でビキニフィットネス7連覇中の絶対王者・安井友梨のボディメイク術>

【プロフィール】
安井友梨 やすい・ゆり 
1984年、愛知県生まれ。30歳の時にビキニフィットネスを始め、競技歴10カ月で出場した2015年JBBFオールジャパンフィットネスチャンピオンシップスで優勝。以後、7連覇中。2019年アジアビキニフィットネス選手権優勝、2021、2022年の世界フィットネス選手権2年連続準優勝。勤務していた外資系銀行を今年1月末に退職し、現在は競技と並行して健康食品や美容品のプロデュースも手掛けている。年間1200個食べるおはぎ好き。