女子格闘家ファイル(6)晝田瑞希(ひるた・みずき)インタビュー 前編(ファイル5:K−1ファイターで美容師の菅原美優。「最初は格闘技だけ」のはずが、なぜ「二刀流」の選手になったのか>>) 華やかなピンクの髪、キラキラしたポンチョ…

女子格闘家ファイル(6)

晝田瑞希(ひるた・みずき)インタビュー 前編

(ファイル5:K−1ファイターで美容師の菅原美優。「最初は格闘技だけ」のはずが、なぜ「二刀流」の選手になったのか>>)

 華やかなピンクの髪、キラキラしたポンチョ型のガウン、華やかなピンクのコスチューム。勝利後にバック宙を披露したかと思えば、リング上でのインタビューでは大号泣するなど、晝田瑞希(三迫)は入場から退場まで観客を魅了する女子プロボクサーだ。

 エンターテインメント性だけでなく、アマチュアで培われた実力も一級品。昨年12月、プロボクシングWBO女子世界スーパーフライ級王座決定戦で判定勝ちを収め、世界王者に輝いた。2021年10月のプロデビューから、わずか4戦目での戴冠は日本女子ボクサーの最速タイ記録となる。

 2月22日に行なわれた、ボクシングの2022年度年間表彰式では、「プロ女子の部」の最優秀選手賞を受賞。そんな晝田へのインタビュー前編では、「まったく知らなかった」ボクシングを始めた理由など、波乱万丈なボクシング人生について語ってもらった。


ピンクの髪や鼻ピアス姿なども話題の女子ボクシング世界王者・晝田瑞希(ひるた・みずき)

【家族からは

 

「ベルトを獲ったら終わり?」】

――あらためて、世界王座の獲得おめでとうございます。

「ありがとうございます! ただ、自分の実力だけで掴み取ったとは言えません。運とタイミングもよかった。現時点での自分の実力を認めたくないというか、この先の自分に期待している部分もあるかもしれません」

――リング上での姿を見る限り、自信満々な印象があったので少し意外でした。

「もちろんリングに上がる時は自信満々で、100%の力を出しきると決めています。『絶対に勝つ』と思って闘っているから、自信があるように見えるのかもしれませんね。私は常に『見ている方たちにプラスのエネルギーを与えたい』と思っているので、自信なさげな表情を見せるわけにはいかないですから」

――プロとして"魅せる"ことにはこだわりが強い?

「そうですね。アマチュアとプロはそれぞれのすごさがありますが、全然違う世界です。アマチュア時代は"魅せる"ことをまったく考えていなくて、試合で審判に対してどう優位に見せるかを意識していたくらい。でも、プロはそれじゃダメだと感じています。ボクシング以外の日常生活でも、プロボクサーとしてのあり方を考えるようになりました。

 世界王者になって、周囲からは『すごくお金をもらっているの?』『人生が変わった?』と言われるんですが、実際はそんなことはありません。でも、私は夢を与える側だし、普段の生活でも大変なところや苦労はできるだけ見せたくない。たとえ強がりでも、世界王者としてキラキラした世界を作り上げたいです」

――世界王者になった時の、ご家族の反応はいかがでしたか?

「家族は『これで引退』と思っていたみたいです(笑)。そもそも、世界戦が決まったことを伝えた時も、『ベルトを獲ったら終わり?』みたいな感じでしたから。もちろん応援はしてくれていますが、やはり心配なんでしょうね。でも私は、世界王者になっても満足していないし、まだまだ上があると思っているので『もうちょっとやる』と言いました」

――街中で声をかけられることも増えましたか?

「ありがたいことに、最近は地元の岡山のテレビなどが取り上げてくれて、帰省した時には『頑張って』と声をかけてもらうこともあります。岡山では、髪がピンク色で鼻ピアスをしていると目立ちますから、それで覚えてもらっているのかもしれませんね。すれ違った子供が、ちっちゃい声で『うし......』と言って去っていったこともありました(笑)。東京ではわりと普通でしょうが、地元の友達などは"宇宙人"だと思っているんじゃないかと」

【高校内で迷う→ボクシング部に入部】

――晝田選手のルーツをお聞きしたいのですが、子供の頃のスポーツ歴は?

「いろいろやりましたが、1番長かったのは器械体操です。5歳くらいから小学6年生までやっていました」

――勝利後にやるバク宙は、その時に身につけたんですね。

「振り返ると、ただ楽しく習っていた感じですけどね。追い込むまで練習をしていたわけではありません。中学ではバスケ部に入りましたが、そこでも全国大会などを目指していたわけではありませんでした」

――運動神経抜群な印象がありますが?

「よくそう言われるんですが、球技は下手です。走るのは速くて、部員が少なかったので一応はレギュラーでしたが、バスケもうまくはなかったですね。ポジションはガードかシューティングガードだったのに、利き腕じゃない左手でドリブルすることもできませんでしたから」

――ボクシングではサウスポーですが、右利きなんですか?

「ボクシングだけは、たまたまサウスポーになったんです」

――「たまたま」の理由が気になりますね(笑)。元世界王者で"神の左"の異名を持つ山中慎介さんも、小中学校時代にやっていた野球では右投げ右打ちだったそうですが、高校でボクシングを始めた時に顧問の先生の指示でサウスポーに変えたそうです。晝田選手もそんな感じですか?

「そうですね。高校のボクシング部に入部した日に、先生から『両足を揃えて立って』と指示されて、うしろからパッと背中を押されたんです。そうしたら右足が前に出て、『サウスポーだな』と言われたんですよ。入部当初はボクシングの知識がゼロで、サウスポーの構えは右足が前ということも知りませんでした。なんなら、裸足で闘うと思っていたくらいです(笑)」

――そこまで何も知らなかったボクシングを、なぜ始めようと思ったんですか?

「制服採寸のために母親と一緒に高校に行く途中、車の中で学校のパンフレットを読んでいて部活の欄を見たら、男子が多い工業高校(岡山工業高校)ということもあって女子が入れる部活が少なかったんです。そこで『ボクシング』という文字が目に入って、言葉の響きと好奇心だけで『入ろうかなぁ』って適当に話していたんですよ。

 本当に入るとは考えていなかったんですが......制服採寸が終わって帰ろうとしたら、私も母も方向音痴なので学校の中で迷子になってしまって。駐車場を探しているうちに、屋外にあるボクシングのリングを見つけたんです。ちょっと廃墟みたいな雰囲気でした(笑)。そこで、母が駐車場の場所を聞くついでに、『女子も入れるんですか』と先生に聞いたら、『女子はひとりもいませんが、入れますよ』と。それで私も、『じゃあ、入ろう』みたいな感じで入部することになりました」

――方向音痴がきっかけでボクシング部に入り、今では世界王者になったわけですね(笑)。

「そうですね(笑)。だから、何かを始める時のきっかけは、どんなことでもいいんだと思っています。今、たまに子供たちを相手に話をする機会もあるんですけど、『やりたいと思ったらとりあえずやってみよう。うまくいかなくても、それはそれでいいから』と伝えています」

【「1勝1敗の女」がオリンピックを目指すまで】

――女子部員がひとりだと、スパーリングなどはどうするんですか?

「男子部員とはマススパー(対面の実戦形式でパンチを相手に当てない、もしくは軽く触れるか当てる程度で行なう)などをやっていましたね。でも、みんなライト級以上でしたし、強く打ってくることも多かったので毎日泣きながらやっていました。女子とのスパーは、近くの高校のボクシング部にいた子や、たまに遠征合宿で他県に行った時にやるくらいでした」

――過酷な環境ですが、辞めようとは思わなかったんですか?

「幼い時からやっていた機械体操で毎日練習する習慣が染みついていたのと、負けず嫌いなので、『中途半端で辞めるのは嫌だ』という思いもあって続けられたんだと思います」

――当時の目標は?

「私が在学中はインターハイの競技になっていなかったので(2016年から正式な競技ではない「公開競技」として実施)、年に1回の全日本女子ボクシング選手権大会を目指していました。先生には、その全日本で『優勝したい』と口では言っていたんですけど、実際は『3位以内に入れたらいいかな』くらいの感じでした」

――晝田選手の視界に、オリンピックが入ってきたのはいつ頃からですか?

「周囲からは、早くから『オリンピック行けるよ』って言われてたんですが、全日本の壁が厚かったんです。高校の時は、1勝した次の試合で負ける"1勝1敗の女"だったんです(笑)。2015年に自衛隊体育学校に入って初めて出場した全日本も1勝1敗。その時は『もう辞めようかな』と思っていましたし、オリンピックは遠い存在で意識することもありませんでした。

 ただ、自衛隊で出会った恩師のコーチのおかげで、2016年に初めて全日本の決勝まで上がることができて。その時、初めて本気で『全日本で優勝したい。もっと高いところまで行けるかもしれない』と思うようになったんです」

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 そうして東京五輪を目指すことになった晝田の前に立ちはだかったのは、のちに金メダルを獲得する入江聖奈だった。

(後編:「オリンピックを目指すのは時間がもったいない」入江聖奈に敗れ東京五輪出場ならず→プロボクサーに 新しい夢はアメリカの大舞台>>)

【プロフィール】
晝田瑞希 (ひるた・みずき)

1996年4月12日、岡山県岡山市生まれ。現WBO女子スーパーフライ級王者。身長163cmのサウスポー。岡山工業高等学校でボクシングを始め、卒業後は自衛隊体育学校に進学。全日本女子選手権はフライ級 (2018年)、フェザー級 (2019年)で優勝。東京五輪出場を目指したが最終選考で入江聖奈に敗れた。2021年3月に自衛隊を除隊し、三迫ジムに入門。 同年5月にプロテストに合格し、10月にプロデビュー。2022年12月のプロ4戦目で世界タイトルを手にした。アマチュア成績は45戦29勝(13KO/RSC)16敗。プロ成績は4戦4勝。