広尾晃のBaseball Diversity:14 プロ野球では、日米ともにトップチームの下に、ファームがある。若手はファームチームで切磋琢磨してトップチームへの昇格を目指す。この点は、日米ともに変わらないが、アメリカのファームチ…

広尾晃のBaseball Diversity:14

プロ野球では、日米ともにトップチームの下に、ファームがある。若手はファームチームで切磋琢磨してトップチームへの昇格を目指す。この点は、日米ともに変わらないが、アメリカのファームチームが所属するマイナーリーグは、日本のマイナーリーグとは全く構造が異なっている。

上手くいくようになっている米マイナー球団

日本のファームは、NPB球団の直営であり、一軍チームと一体化して運営されているが、アメリカのマイナーリーグチームは、別個の独立した企業であり、MLB球団とはアフィリエイト(提携)契約を結んでいる。つまり、マイナー球団は独立リーグと同じ経営形態で、違いはアフィリエイトの有無だけと言ってよい(ただしアメリカ国内、ドミニカ共和国のルーキーリーグチームは、MLB球団の直営)。

米の独立リーグ球団は1901年9月5日、14リーグ・95球団からなるNA(The National Association of Professional Baseball Leagues)を組成し、1903年にMLBとPBA(Professional Baseball Agreement)と言う契約を結ぶ。これによって、MLB球団は独立リーグ球団を囲い込むことができ、そこから選手をメジャーにさせるシステムが出来上がった(NAは1999年Minor League Baseball=MiLBと改称する)。

しかしその時点では、独立リーグは自分たちで選手を獲得して育成し、提携球団に「売り込んで」いただけだった。

1920年代に、このシステムを一歩進めたPDC(Players Development Contract=選手育成)と言う契約の原型ができた。MLBが提携先の独立リーグ球団に選手を送り込み、育成させる契約だ。セントルイス・カーディナルスのGMになったブランチ・リッキーがこれを考案したと言われる。MLBと提携する独立リーグ球団が「マイナーリーグ」になったのは厳密にはこの時期からだと言える。

現在では、MLB球団がドラフトやドラフト外で獲得した選手は、PDCによって傘下のマイナー球団に派遣される。選手の給与や生活費は、すべてMLB球団が負担する。また、マイナー球団で選手を指導する監督、コーチなどもMLB球団から派遣され、人件費はすべてMLB球団持ちだ(ただしMLB球団はマイナー球団から入場料収入の一定額を得るような契約となっている場合もある)。

つまり、マイナー球団は球団運営スタッフ以外の人件費をかけることなく経営ができる。日本の独立リーグと異なり、人件費負担が極めて軽い。

その上に、本拠地球場は、地元自治体が所有、マイナー球団に無料あるいは格安で貸与されている。マイナー球団は日本でいう「指定管理者」として試合だけでなく、球場を使った様々な事業やプロモーションを行って収益を上げている。

アメリカのマイナー球団は、事業を行う才覚さえあれば、成功する可能性はかなり高いのだ。

球場を借りるために四苦八苦したり、薄給でも選手に給料を支払うために資金繰りをするような日本の独立リーグとは全く状況が違っている。

2020年関西独立リーグの観客席

日本でも独立リーグのマイナーリーグ化を

日本の独立リーグはNPBに対して「マイナーリーグとして契約してほしい」と言う働きかけを長年続けてきた。アメリカのようにPDCを結んで、選手や指導者を派遣し、そのコストをNPB球団が負担することで独立リーグの経営環境は劇的に改善される。

NPB球団にとってファームは「コスト」だ。入場料収入などは少ないのに、一軍に準ずる試合運営費、管理費がかかっている。独立リーグと提携すれば、それらのコストが軽減される。その上、独立リーグが収益を挙げれば、キックバックも期待できる。

1球団当たりのPDCのコストは多くても2億円程度と思われる。外国人選手一人を獲得する費用と考えれば、大きな負担とは思えない。

この考え方に賛同する球団もあるが「選手は自前で育成したい」と言う。「すでに大きなファームシステムを構築してしまった」球団が反対している。また「独立リーグの管理体制が信用できない」という声もあるようだ。

しかし、日本の独立リーグはすでにNPBの「補完機能」を果たしている。

厳しい経営環境で「野球の水脈」を維持してきた独立リーグの功績を考えても、NPBは独立リーグとPDCを結ぶ時が来ていると思われる。

2005年四国アイランドリーグ創設年の観客席

MLB球団よりお客を呼んだセントポールセインツ

アメリカの独立リーグ球団は、MLB球団とアフィリエイト契約、PDCを結んでいない。その分、経営環境は厳しいが、それでも大きな観客動員を実現し収益を上げている球団がある。

その代表格が、ミネソタ州のセントポールセインツだ。

ミネソタ州はアメリカ中西部、五大湖に面した人口570万人余の州。セントポールは州都で人口28万人。

セントポールにはすでに1884年にセインツと言うプロ野球チームがあり、短期で終わったMLBリーグのユニオンリーグに所属していた。さらに1894年から1899年まで独立リーグのウェスタンリーグに在籍した2代目セントポールセインツはその後シカゴに移転し、シカゴホワイトソックスの前身となった。さらに1915年に設立された3代目セントポールセインツは60年まで独立リーグアメリカンアソシエーションに所属していた。

現在のセントポールセインツは4代目。1993年に設立された。日本の独立リーグと異なり、アメリカの独立リーグ球団は、長い歴史を有し、地域住民にしっかりと溶け込んでいるケースが多い。

現在の4代目セントポールセインツは独立リーグの一つノーザンリーグの球団として誕生した。隣接するミネソタ州最大都市のミネアポリスにはミネソタツインズがあり、興行的には疑問を呈する人も多かったが、ユニークなプロモーションを次々と打ち出して、アメリカの独立リーグ屈指の成功を収めた。

根鈴雄次氏は2001年にセントポールセインツに在籍したが、ミネアポリスにレッドソックスが遠征した際に、当時レッドソックスに在籍していた野茂英雄に会うために、ミネアポリスのツインズ本拠地メトロドームに行ったことがある。

根鈴氏は「ツインズ対レッドソックスの試合よりも、セインツの方がお客がたくさん入っていたので驚いたよ」と言った。

セインツのこの時期の観客動員は不明だが、当時の独立リーグ球団本拠地球場の観客席は数千人程度であり、セインツは常に観客席を満員にしてきた。この年のミネアポリスでのツインズ対レッドソックス戦は1.5万人から2万人程度の入りであり4.6万人収容のメトロドームの半分にも満たなかった。
観客席の「賑わい感」では、セインツの方が圧倒的に上だったのだ。

セントポールセインツのプロモーション

セントポールセインツ経営者のマイク・ヴィークはシカゴカブスの社長を務めたウィリアム・ヴィークを祖父に、シカゴホワイトソックスなどの経営者として手腕を振るったビル・ヴィークを父に持ち、1993年からセインツの経営に参加している。そして観客動員のための「あらゆる手を打った」と言われている。

一例をあげるならば、

・ジャグジーで野球観戦

・ボールボーイならぬボールピッグの採用

・試合終了後にファンに「終球式」をさせる

・子供だけしか入場できない日を設ける(大人は外でバーベキュー)

・女子の左腕投手アイラ・ボーダーズを入団させる

・試合を見ながらマッサージを受けることができる

など。またMLBのかつての有名選手を獲得することも多く、殿堂入りしたミニー・ミノーソ、ケビン・ミラー、ダリル・ストローベリー、J.D.ドリューなどの名前が過去のロースターには並んでいる。

2009年、セインツは市内に新球場を建設すると発表。これに対しセントポール市は、ミネソタ州議会に2,500 万ドルの拠出を求め、議会は承認。セインツは2014年から、州が建設した新球場CHSフィールドを本拠地としている。

CHSフィールドの定員は7210人。1試合当たりの動員数は2014年4962人、2015年8091人、2016年8270人、2017年8130人、2018年8178人、2019年7899人、2020年1061人(コロナ禍の影響)、2021年6051人、2022年6036人を動員している。2015年から19年までは定員を上回るお客を動員していた。「セインツの試合はチケットが取れない」と言われていた。

セントポールセインツの取り組みは、2018年には「For The Fun Of The Game」と言うドキュメント映画になっている。

MLBツインズ傘下になったセインツ

セントポールとミネアポリスは隣接するだけでなく「ツインシティ」と呼ばれ、経済、文化的にも一体化した地域と見なされている。

それだけにMLBアメリカン・リーグに所属するミネソタツインズにとって、セントポールセインツは気になる存在だった。事実ツインズが好調な時はセインツの観客動員が落ちるなど、ライバル関係にあったとされる。

2020年、MLBは参加のマイナーリーグとの関係を見直し、多くのマイナー球団とのアフィリエイト(提携)を解除したが、当時独立リーグだったセインツは、ミネソタツインズとアフィリエイト契約を結び、ツインズのマイナーリーグ球団となった。

現在のセントポールセインツはAAAインターナショナルリーグに所属している。ツインズがドラフトなどで獲得した選手がセインツに派遣されている。監督のトビー・ガーデンハイヤもツインズから派遣された。

ツインズが傘下に収めたのも、セインツが経営的に優秀で、ツインズにとってもメリットが大きいと判断したからだろう。

2008年に四国アイランドリーグに参加した長崎セインツは、長崎市がセントポール市の姉妹都市であることと、セントポールセインツの成功にあやかって同じニックネームとしたが、3年で撤退した。

日本の独立リーグとアメリカでは事情が大きく異なる。そのまま真似をすることができないだろうが、独立リーグでも「お客を一杯にし、経営的に成功することができる」事例として、学ぶことは多いのではないか?

2001年のセントポールセインツ本拠地(根鈴雄次氏提供)