2022年シーズン、出雲駅伝2位、全日本大学駅伝2位と堅実なレース運びで結果を残してきた國學院大。箱根駅伝では駒澤大、中央大、青学大とトップ3入りをかけて、真っ向勝負を挑んだ。主将であり、「外さない男」の中西大翔(4年)を中心にまとまったチ…
2022年シーズン、出雲駅伝2位、全日本大学駅伝2位と堅実なレース運びで結果を残してきた國學院大。箱根駅伝では駒澤大、中央大、青学大とトップ3入りをかけて、真っ向勝負を挑んだ。主将であり、「外さない男」の中西大翔(4年)を中心にまとまったチームは、"中西ファミリー"のような団結力で戦ったが、あと一歩及ばなかった。総合4位の成績を収めた箱根駅伝、そして、きたる2023年シーズンについて、前田康弘監督に話を聞いた。
國學院大・陸上競技部監督
前田康弘インタビュー前編
今年の箱根駅伝7区で区間6位と好走した上原琉翔(1年)
──箱根駅伝の区間エントリ―までは、チームは順調だったのでしょうか。
「全日本大学駅伝が終わってから伊地知(賢造・3年)と平林(清澄・2年)が故障気味になって、練習ができなくなりました。特に伊地知は5区を想定し、11月下旬に上りを考えたトレーニングを予定していたのですが、左膝を痛めていたのでできなかったんです」
──主将の中西選手は、区間エントリ―からも漏れていました。
「大翔は12月の熊本甲佐10マイルが終わってからも調子がよかったんですが、大会の2週間前にアキレス腱に痛みが出てしまったんです。別調整でやっていて、12月30日はいい練習ができていました。でも、31日の朝に再び痛みが出てしまいました。大翔は4区の予定でした。チーム戦略では1、2区は粘って上位にくらいつき、3区の(山本)歩夢(2年)と4区の大翔で攻撃し、5区の伊地知でしとめるイメージでいたんですけど、ベストな布陣を組めなくて残念でした」
──往路区間では1区、2区、4区で当日の選手変更がありました。
「平林は、伊地知に何かあった場合、5区に入れる予定だったので、補欠に入れていました。5区に平林が入ると2区に藤本(竜・4年)か大翔が入る感じです。1区は青木(瑠郁・1年)でいく予定でしたが、吉居(大和・中央大3年)君がくるかもしれないというのもあったので、まずは他校の様子を見てみようと。リスクヘッジとして偵察要員を入れたということです」
──1区は、当日変更で予定どおり青木選手でした。
「吉居君が出なかったので、スローテンポになったんですが、レースは六郷橋を下ったあとのラストの勝負になると思っていました。でも、青木はその前の段階で先頭から離れてしまって、それでも最低限できてくれたのですが......。ただ、往路を獲るためには、駒澤大、青学大、中央大よりは前でつなぎたかった。2区の走者を見るとうちよりも明らかに3校が上なので、1区でアドバンテージをつくり、2区で追いつかれたらついていくというシナリオだったんですが、そのプランが早々に崩れてしまいました」
──1区は区間12位、駒澤大とは23秒差で2区の平林選手が前を追う展開でした。
「田澤(廉・駒澤大4年)君の調子がよくわからなかったですが、それでも66分半ぐらいでくると思っていました。平林は67分半ぐらいの設定だったので、ある意味設定どおり(67分32秒/区間7位)に走ってくれたと思います。吉居君と田澤君、近藤(幸太郎・青学大4年)君の競り合いからタイムが上がり、想定以上のタイム差(首位の中央大と1分24秒差)をつけられてしまったのは痛かったですね」
──3区で順位を上げました。
「歩夢がけっこう突っ込んで入って、2人抜いて4位になったんですが、駒澤大と中央大、青学大の3チームが抜けてしまっていて、前が見えなかったんです。30秒からせめて1分以内の差であれば、前が見えるので我慢比べか、タイムが縮まっている感覚を持ちながら攻められたと思うんですけど、かなり差があったので展開的には恵まれなかったですね。順位は上げたんですけど、タイム差が縮まらなくて、この時点で往路優勝は厳しい状況になりました」
──4区、5区の走りはどう見ていましたか。
「藤本は、イェゴン・ヴィンセント(東京国際大4年)に抜かれてからもすごい差をつけられていなかったですし、単独走でよく走りました。初めての箱根でしたが彼なりにすばらしい走りをしてくれたと思います(区間4位)。5区の伊地知は、直前の故障と山上りの練習ができていないのを考慮しても71分半ぐらいできてほしかったですね(区間7位)。彼は汗っかきなんですが、前半で汗をかいて後半、上っていくなかで体が冷えてしまい、かなり固まっていました」
──往路4位という結果は、どうとらえていましたか。
「選手たちはよく頑張ってくれました。1区の12位からよく盛り返したと思いますし、選手はそれぞれの持ち場でしっかり走ってくれたと思います。底力を感じましたが、まだ上に立つような力は、選手層も含めて上位3校と比較しても足りていなかったなと思いました」
目標設定は、3位内だった。万全でのオーダーではないなか、4位という順位は復路で盛り返すことは十分可能だった。だが、問題は上位校とのタイム差だった。
──復路は駒澤大とは4分、3位の青学大とは1分57秒差でのスタートでした。
「駒澤大はともかく、3位の青学大との差は何があるかわからない差でしたので、3位内を狙ってのスタートになりました。6区の島﨑(慎愛・4年)はスタート前は調子がよかったんですけど、途中で足を痛めてしまい(後日診断を受け疲労骨折)ちょっともったいなかったですが、よく走りきってくれました。7区の上原(琉翔・1年)は、1年生でしたけど、勝負根性があり、早稲田のキャプテン(鈴木創士)を相手にしてもビビらず、相手をリードして走っていましたからね。たくましさを感じましたし、将来うちの顔になる選手だなって思いました」
──上原選手の快走(区間6位)の要因は?
「彼は大翔の部屋っ子(同部屋)なんです。ふたりにしかわからない気持ちの支えがあったのかもしれません。8キロ地点で大翔が応援していたんです。そこで上原は手を挙げて応えて、ペースを上げました。1年間、大翔といるなかで、いろいろ学び、育ててもらったのを感じていたんだと思います。誰かのために走るとかカッコつけるのではなく、大翔の姿を見て、意気に感じて走る姿を見られたのは、指導者としてすごくうれしかったです」
──上原選手が3位に押し上げて、8区の高山(豪起・1年)選手も3位をキープしましたね。
「高山は、すごく緊張していましたね。彼は背中が固まると、どうしようってモードに入るんですけど、この時は8キロ地点でそうなっていたんです。その時、伊福(陽太・早大2年)君がきてくれて、一緒に走るなかで我に返って助けられました。よく粘ったと思うんですけど、もっと走れる選手なので、来年に期待ですね」
──8区が終わった時点でチームは3位でした。3位内という目標は見えていましたか。
「10区には、自信があったので、このままいけばイケるかなと思ったんですけど、9区の坂本(健悟・4年)は、大丈夫かなという状態だったんです。というのも実は、1月2日の朝、トイレで倒れたんですよ。僕はその時、大手町の読売新聞社に来ていてスタート前にその連絡を受けたので、心中、めちゃくちゃになっていました。大翔が様子を見てくれて、午前中に休んで午後動かしたら大丈夫になったのですが、その動画を見たり、コーチやトレーナーと話をして、本人もやりますということで9区に決めたんです。坂本はギリギリだったと思うんですけど(区間10位)、僕らもギリギリの勝負でしたね。単独走だとヤバいなって思っていたんですけど、9区でまさかの集団走になり、誰かのうしろについて走ればよかったので、そこはラッキーでした。最後に岸本(大紀・青学大4年)君がドカンときて、全部かっさらっていきましたけど(苦笑)」
──10区の佐藤(快成・2年)選手は、区間4位の走りで総合4位までもってきました。
「佐藤は11月からぐっと上がってきていたので、起用したいと思っていました。駒澤大、中央大が前に行ってしまって、青学大と最後36秒差になったので、もうワンプッシュかなと思ったんですが、そんなに甘くなかったですね」
──総合4位という結果をどうとらえていますか。
「目標の3位よりも下ですけど、内容はよかったと思います。駒澤大を少しでも慌てさせようと思っていましたが、攻める駅伝ができなかった。結局のところまだまだ力が足りないと感じましたね」
後編に続く>>「國學院史上最高だよねって自分たちで喜んでいてもダメ」