サッカーは無数のディテール(詳細)であふれている。サッカージャーナリスト・大住良之による、重箱の隅をつつくような、「超…

 サッカーは無数のディテール(詳細)であふれている。サッカージャーナリスト・大住良之による、重箱の隅をつつくような、「超マニアックコラム」。今回は、白い魔物のお話。

■孤軍奮闘のGK

 霧についてはイングランドに有名な話がある。濃霧で試合が中止になったことを知らされなかったGKが、15分間も無人のピッチの自陣ゴール前に立ち、相手の攻撃を待ち続けていたという話である。

 第二次世界大戦前の1937年のクリスマスの日、1部リーグのチェルシー対チャールトン・アスレチック。チャルシーのホーム、スタンフォード・ブリッジ・スタジアムで行われた試合は、キックオフ後しばらくして南のテムズ川方面から流れてきた霧に包まれ始めた。ビジターチーム、チャールトンのゴールを守っていたGKサム・バートラムは、すっかり霧に覆われた南側のゴール前に立つ相手GKビック・ウッドリーの姿が見えなくなった(この時点で「濃霧」である)が、試合は続けられ、試合は後半にはいった。スコアは1-1だが、チャールトンが優勢に進めている。バートラムはいつチェルシーのカウンターがきてもいいように集中を切らさなかった。

 だが、まったく相手がくる気配がない。バートラムは「うちの選手たちはチェルシーを圧倒し、相手ゴール前で攻め続けているに違いない。そのうちに勝ち越し点を取って自陣に戻ってくるはずだ」と考えていた。寒い日だったから、体を冷やしてしまわないよう、常に足を動かし、ときおりペナルティーエリアの外まで出て状況を見ようとした。しかし霧は濃くなる一方で、両チームの選手たちの姿もまったく見えない。

■「なんてこった!」

 バートラムの想像は無理もないことだった。チャールトンは前年に2部から1部に昇格していきなり2位の好成績を挙げ、このシーズンも上位争いに加わっていた「強豪」だったからだ。一方のチェルシーは低迷期にあり、リーグ中位がいいところだった。

 さて、バートラムの視野から両チームの選手たちが消えてからだいぶたって、濃霧の中から突然ひとりの男が現れた。驚いたことにそれは警官だった。ゴール裏からくるならわかるけど、なんでピッチの中に警官がいるんだ!? バートラムは混乱した。すると警官は大きな声でこう言った。

 「なんってこった! きみはここで何をしてるんだ!」

 「試合は15分も前に終わっているんだぞ。ピッチにはもう誰もいない」。警官はそう続けた。

 ようやくバートラムが更衣室に戻ると、選手の多くはすでにシャワーを浴びて私服に着替えており、彼の姿を見ると腹をかかえて大笑いしたという。

■霧の都での国際試合

 ロンドンは「霧の都」である。この試合から8年後の1945年11月には、有名なディナモ・モスクワ(当時ソ連)の英国ツアーでもうひとつ有名な「霧のゲーム」があった。日本の降伏で第二次世界大戦が完全に終結してから数か月後、ソ連は英国や米国など西側諸国との関係がまだ悪くなっていない時期だった。第二次世界大戦前には国際的に完全に孤立していたソ連のサッカーが、チームを初めて西側に送り出したのがこのツアーだった。

 まずロンドンでチェルシーと対戦し、続いてウェールズのカーディフでカーディフ・シティと、ロンドンに戻ってアーセナルと、そしてスコットランドのグラスゴーではレンジャーズと対戦する計画は、英国の国民に熱狂をもって支持された。ミステリアスなソ連チームというだけではない。英国ではまだプロリーグが再開されておらず、国民はサッカーの試合に飢えていたのだ。

 チェルシー戦は8万5000人の大観衆で埋まり、3-3の引き分けに終わった。試合の収益はドイツ軍の攻撃で壊滅的な被害を受けたソ連のスターリングラード(現ボルゴグラード)の復興支援に寄付された。初めて見るソ連のサッカーはスピーディーで非常にレベルが高く、英国のファンを喜ばせた。このディナモを相手に、翌年再開されるイングランド・リーグでは「3部南」となるカーディフはまったく歯が立たず、1-10という大敗を喫した。そしてやってきたのが、アーセナルとの第3戦だった。

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