リーグVから中4日で突入した82年日本S…小松辰雄氏は5試合に登板した 昨今はセットアッパーやクローザーが1イニングを超…

リーグVから中4日で突入した82年日本S…小松辰雄氏は5試合に登板した

 昨今はセットアッパーやクローザーが1イニングを超えて投げると“イニングまたぎ”とか“回またぎ”と言われる。先発は中6日が基本で、リリーフも3連投はさせない時代になってきた。そう考えると昔はすさまじかった。元中日投手の野球評論家・小松辰雄氏は現役時代、先発も抑えもこなしたが、現在の常識では到底、考えられない使われ方をしていた。

 中日がセ・リーグ制覇を成し遂げた1982年。小松氏はリリーフで3回1/3を投げてから中2日で先発マウンドに上がり、2安打完封で胴上げ投手になった。10月18日のことだったが、そこから中4日で10月23日の広岡・西武との日本シリーズ第1戦に先発した。

「18日に優勝して、星野(仙一)さんがピッチャー陣を銀座に連れていって(19日の)朝に帰ってきて、名古屋に戻って、テレビ局回りをして、20日が完全休養日。先発を言われたのが21日。日本シリーズまでは2日間しか練習できなくて、それでまた投げろだもん。ええかげんな時代だったね」

 その年の小松氏は開幕投手を務めたが、内転筋を痛めてリタイア、球宴後にリリーフで復帰し、優勝を決めたシーズン最終戦の130試合目は、開幕以来の先発マウンドだった。

 病み上がりで抑えでフル回転した上に、久しぶりの先発をこなしたばかり。その力を評価されてのこととはいえ、条件は過酷すぎた。10月23日の第1戦(ナゴヤ球場)は2回0/3、5失点でKOされた。やはり調整不足が響いたが、その後もさらにリリーフで、第2戦(1回無失点)、第4戦(3回無失点で勝利投手)、第5戦(2回2/3、3失点)、第6戦(1回無失点)と登板したのだから……。

中日には痛恨の“石ころ事件”「流れを変えた」

 このシリーズの中日先発は第1戦・小松、第2戦・都、第3戦も都、第4戦・三沢、第5戦・鈴木、第6戦・三沢。現在ではあり得ない起用法といっていいが、みんなそれを乗り越えて強くなっていった時代でもある。「内転筋を痛めてからは、引退するまでテーピングして投げていた。怪我したら何とかして治せって感じだったしね。今の選手は怪我したらどうするんだって感じで大事にしてもらっているけどね」。

 4勝2敗で西武が日本一になったが、2勝2敗で迎えた第5戦(西武球場)には珍しい出来事もあった。0-0の3回表2死二塁で中日・平野謙の一塁線を抜ける打球が村田康一一塁塁審に当たり、二塁手・山崎裕之の前へ。山崎が三塁へ送球し、三塁を回っていた走者の田尾安志が戻れずにアウトになった。

 審判は石ころと同じということで「石ころ事件」と言われた。小松氏も「抜けていたら先制だからね。あの時はそんなに思わなかったけど、やはり流れを変えた事件だったね」と悔しそうに思い返した。

 そんな小松氏が17勝8敗1セーブ、防御率2.65、172奪三振の成績で、最多勝、最優秀防御率、沢村賞と投手タイトルを総なめにしたのが1985年シーズンだ。オールスター前では7勝6敗で「タイトルなんて考えてもいなかった」。それが変わったのは「ゾーンに入っちゃったんだよね」という。(山口真司 / Shinji Yamaguchi)