入団5年目…中日・小松辰雄は内転筋を痛めて苦しんだ 野球評論家で、人気の飲食店「焼処 旨い物 海鮮山」(名古屋市中区)の…
入団5年目…中日・小松辰雄は内転筋を痛めて苦しんだ
野球評論家で、人気の飲食店「焼処 旨い物 海鮮山」(名古屋市中区)のオーナーでもある元中日エースの小松辰雄氏は1982年、胴上げ投手になった。勝てばリーグ優勝が決まる最終戦の10月18日の大洋戦(横浜)に先発して2安打完封。その年は開幕投手も務めたが、実はペナントレースで先発したのは、その1試合目とラストの130試合目の2試合だけだった。怪我に苦しみ、さらに……。まさに激動の年だった。
キャンプから花粉症に苦しみ、調子が上がらないまま迎えた開幕戦。敵地・広島市民球場で行われた4月3日の広島戦は雨天中止となった。開幕投手を告げられていた小松氏は「内心、良かったと思った」という。だが、首脳陣からはスライド登板の指示。仕切り直しの4月4日は「案の定、駄目だった」。2回5失点でKOされて敗戦投手になり、名古屋に戻ってからはミニキャンプ指令を出された。
「走って、遠投して、ピッチングをやって、3日目くらいかな。もう足はパンパンだったけど、遠投やってて、やっとボールが行きだしたと思った時にプチッときた。あれっ、変な感じだなともう1球、投げたら、倒れ込んでしまった」。内転筋を痛めて、投げられなくなった。「それから3日くらいで普通に歩けるようにはなったけど、横の動きが全くできなかった」
歯がゆい時期が続いた。だんだん治ってきて、キャッチボールを始めてもちょっと力を入れると痛みがぶり返し、またストップ。ようやくキャッチャーを立たせた状態でのピッチングができるようになったかと思ったら、また痛くなって、振り出しに戻る。その繰り返しだった。
「やっと治ったのはオールスター明けだったと思う」。中日は巨人と優勝争いを繰り広げていた。牛島、宇野、都、中尾ら若い力が躍動。そこに何とか合流できた。まずは中継ぎで復帰し、それから先発に戻るというプランだった。ところが「次は先発という時に、牛島が肘をやっちゃって、代わりに抑えをやれってなった」という。牛島が復帰しても、先発とはならず、ダブルストッパーとしてチームを支えた。
勝てば優勝、負ければV逸のシーズン最終戦に先発…完封で胴上げ投手に
忘れられないのは優勝へのマジック「12」が点灯した9月28日の巨人戦(ナゴヤ球場)という。「相手は江川(卓投手)さんで、2-6で負けていたんだけど、9回裏に打線が4点とって追いついた。それで10回表に登板したんだけど、マウンドで足が震えた。プロでそうなったのはあの時だけだね」。大投手・江川を攻略した試合を壊すわけにはいかない。負けるわけにはいかない。そう考えたら足の震えが止まらなかったのだ。
いつもと違うマウンド。とにかく必死だった。「2死一、二塁になったけど、何とか抑えた。その裏、大島(康徳)さんがサヨナラヒットを打ってくれて、マジックがついたんだ」。巨人との優勝争いは最後までもつれた。10月18日、勝てばV、負ければV逸のシーズンラストの130試合目の大洋戦。「先発が誰もいなくなって、俺が投げるしかない感じだった」。先発は開幕戦以来。しかも10月15日のヤクルト戦(神宮)に4番手で3回1/3を投げており、中2日だったが、関係なかった。
「試合当日(1軍投手コーチの)権藤さんが外野にピッチャーを集めて『今日、先発と思うもの、手を挙げろ』って言われたから、手を挙げたら『じゃあ投げろ』って。他に手を挙げた投手はいなかった。みんな、俺が投げると思っていたんだよ」。そんな中、2安打完封勝利で優勝を決めたのだから、すごいとしかいいようがない。でも、さらに過酷な戦いが待っていた。広岡西武との日本シリーズ。セ・リーグ優勝決定から中4日での先発を言い渡された。(山口真司 / Shinji Yamaguchi)