ヒューストン・アストロズの青木宣親が、6月11日(現地時間)に日米通算2000安打を達成した。日本で積み重ねた安打…
ヒューストン・アストロズの青木宣親が、6月11日(現地時間)に日米通算2000安打を達成した。日本で積み重ねた安打数は8シーズンで1284本。当時、ヤクルトでともにプレーしていた仲間から祝福の言葉が届いた。

プロ2年目の2005年にシーズン202安打を放ち、首位打者に輝いた青木宣親
青木がプロ野球選手になって初めて出会った打撃コーチは、八重樫幸雄コーチと杉村繁コーチのふたりだった。杉村コーチは感慨深げに話し始めた。
「青木がプロに入ってきたときは、2000本も打つ選手になるとは思ってもいませんでした。足が速い印象はあったけど、ドラフトは下位指名(4位)だし……。大卒(早稲田大)でしたが、即戦力ではなかったですからね。1年目にファームで打率.372を打ち、その年のオフに当時の監督だった若松(勉)さんが『稲葉(篤紀)が日本ハムに移籍したので、青木を使いたい』と。オレは八重樫さんに『青木を使うんですか? まだ力不足なので大変ですよ』と言ったのは覚えています。ただ青木は、足が速くて、逆方向に強い打球を打てた。そこで『まずは逆方向に強いライナーを打っていこう』と。それからティーバッティングとショートゲームに取り組むんだけど、開幕して1カ月はまったく打てなかった。ところが5月から急に打ちだして、プロ2年目にいきなりシーズン202安打を記録。首位打者も獲得するんだからね(笑)」
杉村コーチは青木について、「選手の見本です」と言った。
「野球に対する姿勢が素晴らしい。逆境から這い上がる精神力。練習をコツコツできる持続力。休みの日でもバッティングをしたいと言ってきたし、向上心が素晴らしかった」
そして杉村コーチは「なんて言えばいいのかな……。ゴムマリみたいな選手だよね」と笑った。
「体は小さいけど、がっちりしている。打ち方はスマートとは言えず、内野安打だろうが、ポテンヒットだろうが、とにかくヒットになればいいという考え。格好つけることなく、そこは徹底していたよね。青木がプロ入りしてから、もう14年になるんだね。当時のセ・リーグは球場が狭いこともあり、打つポイントを前にしてホームラン全盛の時代だった。そのなかで青木は、ポイントを近くに置いて、初球から積極的に打ちにいき、追い込まれたらファウルでカウントを整え、四球を選んでいた。あの頃に”現代の野球”をやっていたんだよね。まだまだやれるだろうし、泥臭く青木らしいヒットを打ち続けてほしいね」
宮出隆自(みやで・りゅうじ)打撃コーチは、現役時代の2004年から2008年まで青木と一緒にプレーし、プライベートでも食事に出かける間柄だったという。
「青木がプロ入りした当初は2000本を打つとは思わなかったですよ。でも、一軍で首位打者を獲ったときに、1500本は軽く打つだろうし、2000本にも届くだろうと思いましたね。一緒に練習をしていて、逆方向に強い打球を打ちたいという意識が伝わってきました。足が速いので、それを生かすための練習をしているんだろうなと。バッティング技術に対する向上心が常にあり、なによりバッティングの”コツ”をつかむのが早かったです」
――”コツ”ですか?
「説明するのは難しいんですけど、バッティングにはそういうのがあるんですよ。こうすれば、率はそこそこ残るとか……。1年目に二軍で打率.372打ちましたよね。ピッチャーとの間合いのなかで、ヒットを打つ感覚をつかんだのだと思います。二軍でその感覚をつかみ、一軍では最初こそうまくいきませんでしたが、対応力が高いんでしょうね。見ていても、ボールの見逃し方であったり、バットの面にボールをしっかり合わせるのがうまくなったり……。さらに、年数を追うごとに『こういう風にボールを捕まえたら長打が打てる』という感覚をモノにした。結果が出れば自信にもなるし、すべてがうまくかみ合ったんだと思います」
福地寿樹外野守備走塁コーチは、「青木はある意味、恩人です」と言った。
「僕は2008年に西武からヤクルトに移籍するのですが、まず青木にバッティングについて聞きたいと考えていて、実際に習うことになりました。僕は青木と同じ左打者で、逆方向にゴロを打ったりすることはできていたんです。ただ、引っ張ると一塁ゴロや二塁ゴロになってアウトになるケースが多く、その頃、青木はすでに超一流打者で、見ているとゴロが一二塁間を抜けていくか、野手のいない二遊間に飛んでいくんです(笑)」
ふたりの「打球の行方」の違いについて青木に聞くと、「ヘッドを返さないことです」という答えが返ってきたという。
「ただ、それがどうしても理解できなかった。よく『バットのヘッドを返せとか、インパクトの瞬間に力を入れる』とかは聞きますよね。それなのに青木は『ヘッドを返さない』と言うんです。そこでキャンプで一緒に練習をして、『こうやるんですよ』『こう?』『そうじゃないです』『1回じゃわからない。もう1回やってくれ』と。あのときの特打のことはよく覚えています。青木からは教わることが多く、それからですね。引っ張った打球が一二塁間を抜けていくようになり、ようやく『こういうことだったのか』と理解できました(笑)」
一二塁間を抜く”コツ”をつかんだ福地は、ヒットをコンスタントに打てるようになり、やがてヤクルトの1番打者としてレギュラーに定着。2年連続盗塁王という輝かしい成績を残した。そして3番を打つ青木とは、いい関係を築くことができたと話す。
「僕が一塁走者で、走ろうとすれば待ってくれる。二塁走者となれば『僕が返しますから』と。当時、日本でいちばんヒットを打つバッターでしたので、点は入りますよね。ただ、ランナーからすれば青木はスタートが切りにくい打者でした。なんせ、ボールを捉えるポイントが近いので、見逃すかなと思って見ていたら、バットが『ポン』と突然出てくる。慌ててスタートを切ったことが何度かありました。そのことも、今となってはいい勉強になりました」
福地コーチは青木と一緒にプレーした日々を懐かしみ、唐突に「本当に2000本安打おめでとうございます」と言った。
「本当に嬉しいことですし、ヤクルトのみんなも『やったな、アイツ』と喜んでいます。まだまだ先はありますし、これからもヒットを積み重ねていってほしいですね」
メジャー通算1000安打、メジャーでの打率.300……青木にはまだまだ目指すべきものがたくさんあるのである。