ハーフナー・マイク引退「17年間のプロ生活」を語る(後編)「自分のポテンシャルをフルに出しきれなかった」『ハーフナー・マ…
ハーフナー・マイク引退「17年間のプロ生活」を語る(後編)
「自分のポテンシャルをフルに出しきれなかった」
『ハーフナー・マイクが練習を無断欠席』の真相。
2014年ブラジルW杯出場は叶わなかったハーフナー・マイクだが、その年の夏には望んでいたラ・リーガに活躍の場を移すこととなった。ところが、新天地コルドバでは想定外の事態に陥ってしまう。
スペイン移籍の顛末、中国からの高額オファー、オランダでの復活劇、そして帰国後の心境など、これまで明らかにされていなかった真実を、本人が明かしてくれた。
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ハーフナーがヘルシンキに移籍したのは2015年3月
── コルドバで突然、出場機会を失ったのは、監督交代など競技面の理由ではなく、実はビザの問題という裏事情があったとは......。せめて引退後の今、ファンや関係者には伝えておきたいですね。ハーフナー・マイクは練習を無断欠席をするような人間ではない、と。
「ありがとうございます。でも、僕としては、それだけがスペインで活躍できなかった理由ではないというふうに受け止めています。
あの頃は自信もあったので、謙虚さが足りなかった部分もあったと思います。スペイン語ができなくてもノリと英語で十分にカバーできると思って通訳もつけませんでしたが、やはり言葉の壁は意外と大きくて、最初だけは通訳をお願いしたほうがよかったと、あとで思いました。
そういったいろいろなことを考えると、やっぱりあの時、フェイエノールトを選んでいたら違っていただろうなって思ってしまう自分がいましたね。ヨーロッパリーグでプレーする機会もあったでしょうし、その後の移籍先も違っていたと思いますし。
ただ、あの頃はスペインでプレーしたいという気持ちも強かったんです。そこは、自分の頑固なところが出たのかなって」
── 移籍は紙一重ですし、そういうこだわりもプロとしては当然だと思います。
「しかも運が悪いことに、コルドバで出場機会を失っていた時期に再びフェイエノールトからオファーをもらっていたんですけど、そのトラブルのおかげで移籍できなくて......。結局、冬の移籍マーケットがまだ閉じていなかったフィンランド(ヘルシンキ)で半年間プレーしたというわけです。
その間には、中国の上海申花から莫大な報酬のオファーもありました。当時まだ20代後半だったので断ったんですが、今考えると、お金だけを考えればもったいないことをしたなって(笑)。
でも当時は、中国でプレーすることは考えられなかった。フィンランドでコンディションを戻して、もう一度やり直したいと考えました。
実際、その夏にADOデン・ハーグからオファーをもらい、オランダに戻ってゴールも量産できて、それが日本代表復帰につながったので、悪い流れではなかったと思っています。少し長くなりましたが、オランダでの復活劇にはそんな背景がありました(笑)」
── そんな舞台裏があったとは思いませんでした。貴重なお話、ありがとうございます。その後、デンハーグで2シーズンプレーして、2017年夏にヴィッセル神戸に加入しました。ちょうどルーカス・ポドルスキと同じ時期の加入で話題になりましたが、思うような活躍ができなかった印象があります。その時は何が原因だったのでしょう?
「もっとやれると思っていたんですけど、僕を呼んでくれたネルシーニョ監督がすぐに退任してしまったことが、ひとつの分岐点だったかもしれません。ただ、それを言い訳にしたくないですし、チームのサッカーに合わせられない自分の問題だと思っています」
── 長くヨーロッパでプレーしていると、日本のサッカーとの違いに戸惑うことはあると思いますし、特にFWはフィットするまでに時間はかかりますよね。
「いや、それも含めて自分の問題だと思います。難しかったのは、当時からヴィッセルは選手にGPSをつけて試合中のデータをとるようになっていたんですが、あれは自分にとってマイナスになるかもしれないと感じました。
なぜなら、僕は真ん中に構えてゴール前で仕事をするスタイルでゴールを決めてきた選手なので、試合中の走行距離やスプリント数はそれほど伸びません。しかも、特別に足が速いわけではないので、自分がスプリントしたと思っても、それがデータとしてカウントされませんしね。
つまり、前田大然選手が7〜8割の力で走ってもスプリントとしてカウントされるんですが、僕の場合は一生懸命に走っても、数字として残らないことが多いんです(笑)。
これで評価されるようになったら厳しいなって、そう感じたのを覚えています。だったらもっと頑張って走ればいいじゃないか、という話になりますが、でもそうなると、自分のプレースタイルを崩すことになるじゃないですか。
守備に追われてゴールが減ってしまったら、自分の武器も失いますし......。ただ、これも言い訳にしか聞こえないですよね」
── ただ、カタールW杯の日本代表もそうかもしれませんが、最近は守備に主眼を置くのが日本のFW像になってきた一方で、守備をするFWでチームが強くなれるのかという疑問もあると思います。そもそもクラブも代表も、強いチームには必ずゴールを量産するFWがいるわけですし、そういう意味では、ハーフナーさんタイプのCFは貴重だと思います。
「実は僕も、それが一番言いたいことなんです(笑)。結局、W杯でも得点ランキングの上位はFWが占めていて、それはエムバペやメッシがカタールW杯で証明しましたし、ジルーも4ゴールを決めています。各国リーグを見ても同じで、ほとんどの場合は優勝チームから得点王が生まれていますしね。
でも、Jリーグは必ずしもそうではなくて、10点台前半で得点王になる場合もあります。もしかしたら、それはFWの守備に重点を置きすぎることが原因かもしれません」
── ゴール数にこだわるストライカーのメンタリティを持ったFWを育てることも、日本サッカーにとっては大切なことかもしれませんね。では、最後に今後の展望をお聞かせください。
「やっぱり今後もサッカーに携わっていきたいですね。昨年、ある高校で1日だけコーチをさせてもらったんですけど、以前は指導することにまったく興味がなかったのに、やってみたらそれが案外楽しくて。自分のアドバイスでその選手が少しうまくなったりするのを見ると、指導者ライセンスを取得する必要もあるかもしれないと思い始めています。
いずれにしても、まずはひととおり何でも経験することも大事なので、イベントの話もあるのでそれも前に進めたいですし、現役時代から毎日でもサッカーを見ていたいタイプだったので、解説の仕事にも挑戦してみたいですね」
── 海外経験も豊富で、海外サッカーもチェックしているとなれば、きっと解説のオファーもあるでしょうね。それも含めて、今後の活躍を期待しています。
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35歳で引退を決意したハーフナー・マイク。オランダのエールディビジで通算51ゴールを記録した本格派ストライカーは、これからどのような道を歩んでいくのか。
現役時代に証明したそのポテンシャルは、きっと第二の人生でもいかんなく発揮されることだろう。
【profile】
ハーフナー・マイク
1987年5月20日生まれ、広島県広島市出身。オランダ出身の父ディド・ハーフナーがマツダSC(現サンフレッチェ広島)在籍時に生まれる。コンサドーレ札幌と横浜F・マリノスのユースを経て2006年にトップチーム昇格。クラブ在籍歴は、横浜FM→アビスパ福岡→サガン鳥栖→ヴァンフォーレ甲府→フィテッセ→コルドバ→ヘルシンキ→ADOデン・ハーグ→ヴィッセル神戸→ベガルタ仙台→バンコク・ユナイテッド→甲府→FC.Bombonera。2022シーズンかぎりで現役を引退。日本代表18試合4得点。ポジション=FW。身長194cm、体重92kg。