元オリックスの鈴木優氏、都立高校から甲子園を目指した理由 都立の雪谷高から2014年のドラフト9位でオリックスに入団した…

元オリックスの鈴木優氏、都立高校から甲子園を目指した理由

 都立の雪谷高から2014年のドラフト9位でオリックスに入団した鈴木優氏は、2度にわたる戦力外通告を経験したのち、昨季巨人でプレーしたのを最後に現役引退した。新たな道に進む前に、ここまでの野球人生を自らの言葉で振り返ってくれている。今回のテーマは「都立高野球部での日々と、超異例だったドラフト当日」だ。

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 都立の雪谷高を進学先に選んだ理由は、投手をしたかったからだ。これが一番強い。

 中学校のときはキャッチャーがメインで、投手をリードして抑えることにとてもやりがいを感じていたが、自分発信でないことに何か物足りなさを感じ、自分が投手として抑えてみたいという気持ちになっていった。

 身体能力的にも足が速く、肩も強かったため、球だけは当時から速かった。そんな中、キャッチャーとして私立高校からお誘い頂いたりはしたが、雪谷高は「投手として」考えていただけるのが決め手となり、都立高で投手としてチャレンジすることにした。

 中学時代も塾に通い、勉強もある程度して成績も取れていたため、雪谷高へはスポーツ推薦でなく一般推薦で入る道を選んだ。スポーツ推薦の枠を1つ自分が使わずに残すことで、自分の代が強くなるならと思い、甲子園に行きたいという気持ちからそうすることにしたのだ。

 当時の雪谷高には定時制もあったため、部活動は午後5時半までしかできなかった。授業も6限目まであると終わるのは午後3時半から4時。そうなると平日は1時間半しか練習することができない。強豪と呼ばれる私立高と比べると、練習時間の差はものすごくあるのだ。また定期テストの時期になると2週間前から部活動ができなくなり、赤点があると補習のため、部活動に出られない。

 こういったこともあり、勉強もしっかりやらないと野球ができなくなるシステムになっていた。なので僕は高校2年生の終わりまで「東進ハイスクール」という全国展開をしている塾に通っていた。部活が終わった午後5時半以降を有意義に使わないと、私立高に勝てるわけがないと思ったので、トレーニングジムに行く日と塾の日と、週2回ずつ通っていた。

もしオリックスの指名がなかったら…「アメリカで野球を選んだ」

 高校3年夏、最後の大会は東東京のベスト8で終わった。

 準々決勝の相手は関東一高で、当時は楽天から巨人に現役ドラフトで移籍したオコエ瑠偉がいた。序盤はリードした展開だったが、後半になって疲れと“私立高の意地”で逆転され、負けた(スコアは3-5)。真夏の神宮球場はサウナのような環境だったが、約150球を投げて完投した。

 夏の大会が終わり、プロ野球の11球団とメジャーの数球団から調査書のようなものが届いた。その前、高校2年生の時に大学へ進学するか、高卒すぐに直接プロ野球を目指すのか、進路を決めなくてはいけなかった。大学への進学を決断すれば、直接プロを目指すことはあきらめなければならない。

「ワクワクするのはどちらか」という点から、雪谷高では前例のないプロ野球を目指すというほうに決めた。

 もしドラフトで指名されなかったら、僕はアメリカで野球をすることを選んでいたと思う。当時からアメリカには興味があり、行ってみたいと思っていたからだ。ドラフトで指名されなかったら良い大学には進学できなかっただろうし、そうなっていたらまたすごく迷っていただろう。

 高校から大学へ進んだ後、ドラフト1位でプロ野球入りした東京の同級生、清水昇(ヤクルト、帝京高-国学院大)や高橋優貴(巨人、東海大菅生高-八戸学院大)が活躍しているのを見ると、もちろん2人がすごいのだが、大学に行くことを選んでいたらどんな野球人生だっただろうと思うことはよくある。

 また大学へ進み、社会人野球を経てプロ野球入りした同級生、伊藤優輔(巨人、小山台高-中大-三菱パワー)の話を聞いても、本当にいろんな環境があるなと思い、そのたびに想像がふくらむ。正解はないと思うし、それぞれの良さがあると思うが、大学へ進んだ人生も送ってみたかったし、野手としての野球人生も過ごしてみたかったな、なんて思う。

ドラフト当日は試験期間…指名の瞬間は異例の“自宅待機”

 ドラフトの日のことを回顧する。雪谷高からドラフトにかかる選手は初ということで、学校側も対応に戸惑っていた。

 10月23日のドラフト当日が高校の定期試験の期間ということもあり、ドラフト指名されても学校では会見をできないと言われ、実家で待つことにした。本心としては母校で同級生たちと待ちたかったのだが、当時の校長の判断なので仕方がないなという気持ちだった。

 それに加え、周りの同級生もドラフト当日はテスト期間なので、居合わせるのを禁止された。なのでなかなか見ることのない、実家で地元の友人と指名を待つという“特殊な”ものになった。今となっては、それはそれで良い思い出だ。

 9位で指名してくれたオリックスから言われたのは、潜在能力の高さについてだった。当時の僕は東京ではある程度のレベルだったが、全国で見ればそんなにすごい投手ではなかったと思う。その中で都立高という環境で育ってきたことや、身体能力の高さを評価してもらえたということだった。

 当時の編成部長の加藤(康幸)さんは「投手で伸びなかったら野手転向させる」ともおっしゃっていたので、そういったところも評価していただいたようだ。(「パ・リーグ インサイト」鈴木優)

(記事提供:パ・リーグ インサイト)