文武両道の裏側 第13回 入江聖奈(東京五輪ボクシング女子フェザー級金メダル) 後編(全2回) 2021年開催の東京五輪女子ボクシングフェザー級で金メダルを獲得した入江聖奈(日本体育大学4年)。2022年11月の全日本選手権で2年連続3度目…

文武両道の裏側 第13回 
入江聖奈(東京五輪ボクシング女子フェザー級金メダル) 後編(全2回)

 2021年開催の東京五輪女子ボクシングフェザー級で金メダルを獲得した入江聖奈(日本体育大学4年)。2022年11月の全日本選手権で2年連続3度目の優勝を果たし、その大会を最後にボクシングの世界から引退した。

 この春からは東京農工大学大学院の修士課程で、カエルの研究をスタートさせる。ボクシングで「武」を極め、これから「文」も極めようとしている入江がイメージする「文武両道」とは。



今春から大学院でカエルの研究を始める入江聖奈

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【緊張で死ぬかと思った試合】

ーー東京五輪ボクシング女子フェザー級では、5試合を戦って金メダルを獲得しました。一番苦しかった試合は?

入江聖奈(以下、同) 5試合で一番苦しかったのは、メダル確定がかかった準々決勝でした。緊張で死ぬかと思いました。初めての経験だったんですけど、計量後のご飯が食べられなくなっちゃったんです。メダルがあるかないかで、人生が変わると思ったので、すごく自分で自分にプレッシャーをかけてました。

 だからメダルが決まった時には、本当にホッとした、安心したという部分が大きくて、初めてボクシングのことでうれし涙を流せた瞬間でもあって。心の底から感動しました。

ーー逆に、東京五輪で一番楽しかった試合は?

 一番楽しかったのはメダルが確定して、「あとは決勝にいくしかない」と思って戦った準決勝です。メダルも決めたし、何もかかってなくて決勝にいけたらいいかなと。一番欲がない試合だったので、すごく気楽に臨めました。もしかすると、それがよかったのかなと思ってます。

ーー金メダル獲得後、変わったこと、変わらなかったことは?

 東京五輪のメダル獲得は、自分のこれまでの過程が形として表れた瞬間でもあり、誰でもわかってくれる価値ある瞬間だと思うんです。だから、まずはメダルというのが自分のなかでの線引きだったので、それが金メダルという最高の結果になったのは、本当にうれしかったんです。

 でも金メダルを獲ったからといって、自分自身は変えないように努めましたし、調子に乗らないようにしてました。いろんな意味で自分の周りの環境が変わっていきましたけど、自分の生活や好きなこととかは変えないように、というか変わらなかったですね。

【ラブリーなカエルために頑張る】

ーー高校、大学とどんどん強くなっていった印象です。2024年パリ五輪は2連覇を狙えるとも思うのですが、ボクシングを続ける選択肢はなかったのですか?

 基本的に0%でした。たぶん、ここでやめる機会を逃しちゃうと、私、永遠にボクシングをしていると思うので、それが嫌だったのもあったのかなと。

 ありがたいことに、周りには続けてほしいと言ってくださる方もいるんですけど、きつい練習するのは私なんです。「続けてほしい」と言うのは簡単ですが、そうなると私が頑張って、試合で死ぬほど緊張して、またご飯が食べられないくらいになってしまうかもしれなかったので(笑)。

 もちろん、大学院を受けるまではほんの少しだけ気持ちが揺れ動いたことはあったんですが、自分のなかで、大学院で勉強したい、カエルのために頑張りたいと決めてからは、もう揺れ動くことはありませんでした。



現役時代に使っていたグローブにはカエルのイラストが入っている

ーーボクシングにかけていた分を今度はカエルにかけるんですね。カエルをいつから好きになったんですか?

 高校生からなので、遅咲きです。高校生の時に両生類や爬虫類が好きな友達がいて、その子から教えてもらって好きになったんです。カエルはすごく繊細な生き物で、温度湿度、水まわりなどの管理が必要で飼うのは難しいんですけど、その分、初めてエサを食べてくれた時とかかわいいなって癒されます。

 カエルはいろいろな表情がとにかくラブリーなんですけど、それを友達に言ったりすると、サブーンと引いていくんですよ。そもそも共感してくれる人がいないので、カエルの話はそんなにはしないですけど(笑)。

【ボクシングは麻薬みたい、カエルは尊い】

ーー 一番好きなカエルは?

 やっぱりヒキガエルです。高校時代、学校の帰り道でヒキガエルに出会ってからは、完全に心つかまれたというか......。ヒキガエルの口がかわいいんですよ! 本当に愛おしくて、どんな大きさでも好きなんですが特に大きいヒキガエルを見ると、よく生き抜いてきてくれたと思っちゃうんです。

 だってヒキガエルはおたまじゃくしから1歳になるまでの間に、大体死んじゃうんですよ。だから、あの茶色の、いわゆるヒキガエルの姿は、本当に奇跡に近いんです。ヒキガエルのすべてが本当に尊いんです。

ーーちなみに、ヒキガエルは飼っているんですか?

 はい、鳥取の実家で飼っています。もともと、「ジャイ子」の1匹だったのが今は2匹。「マルちゃん」が仲間入りしました。私に影響されたお父さんがカエル好きになって「マルちゃん」を拾ってきたんです。

 実家に帰った時に見てみると、みんな図々しいんですよ。「マルちゃん」なんて、本当にふてぶてしいです(笑)。私は家を空けちゃうことが多いので、実家でお父さんに面倒をみてもらっているんです。

ーーカエルについて、これからどんなことを学んでいきたいと考えていますか?

 今はヒキガエルの防御行動に対して、フォーカスしていきたいと思っています。ヒキガエルの防御行動は31種類あると論文に書かれていて、そのひとつにわかりやすいものでは「毒を出す」というのがあります。その毒の白い液体について研究してみたいです。

ーーあらためて、ボクシングとカエルについて、両者の魅力は?

 ボクシングの魅力は何だろう、負けたらボクサーとしての存在価値がなくなるかもしれないというプレッシャーがあると私は勝手に自分で考えちゃうんですよね。そういうプレッシャーを乗り越えて、勝利の瞬間に手を挙げられるのは、自分を証明できた気がするというか。だから「ボクシングは麻薬みたい」だとか言われるんだろうなと。

 カエルにしかない魅力は......。私はただカエルが好きで、守りたいっていうだけなんですよ。カエルからしたら、たぶんありがた迷惑だとは思うんですが(笑)。

 私を通じて、最近、カエルが目につくようになったとか、カエルが好きになったとか言ってもらえると、めちゃくちゃよかったなと思います。やっぱりカエルってけっこう気持ち悪いと言われることも多いので、もちろん苦手な生き物がいるのはしょうがないと思うんですが、カエル自体の個体数が減少しているなかで、興味を持ってもらえたらうれしいですね。

【文武両道は「自分の好き」に正直になること】

ーーカエルの研究を現時点ではどこまで極めていきたいと思いますか?

 研究自体が初めてなので、まず修士をとってから、就職するのか、博士課程に進むのかを決めたいと思います。でも自分の希望としては博士課程にいきたいなと。今だと、就職のイメージが全然わかないですが、カエルに関わる仕事が絶対です。

 たとえば、ハードルは高いんですが、環境省とかでカエルは当然なんですけど、両生類や爬虫類を含めて、生物の保全に携わっていける人間になるのも、面白いかなと思っています。

 どちらにしても、まずは修士でカエルの専門性を深めないといけないと思ってますし、それからですね。

ーーでは、入江さんにとって「文武両道」とは?

 その「文武両道」が教えてもらうものだったら意味がないと思うんです。だって私からすれば、ボクシングもカエルの研究も、自分がしたいからやっているだけであって、誰かに強制されたわけじゃないんです。

 誰かに強制されて、その選択肢を選んだとしたら、それは意味がないですよね。自分がしたいからしている。それが「文武両道」なんだと思います。

 だから別に勉強だから意味があるとか、スポーツだから意味があるとかじゃなくて本当に自分の好きなことを、人それぞれがたぶん持っていると思うんですけど、それを自分が大切にして、続けていけば、どこかで何かやってきた意味を見つけられるんじゃないかなと。

ーーそんな「文武両道」に挑む学生たちに、アドバイスをお願いします。

 そうですね、うーん、難しいな......。何かを始める時や何かを目指す時って、絶対に悪いことがつきまとう気がしているんです。たとえば私が五輪で金メダルを獲りたいと言った時も、誰もたぶん興味を持っていなくて、獲れるわけないじゃんという感じでみんな見ていたと思うんです。でもコツコツ目指してやってきたら、実際に叶っちゃうんです!

 カエルの研究をしたいと大学院進学を考えた時にも、自分は高校生からカエルを好きになったので、幼少期から生き物が好きな人たちのなかで自分は遅すぎるんじゃないかなとか思ったこともありました。

 そういう悪い感情や悪い言葉とかがつきまとうと思うんですけど、やっぱり何かをやるのに遅いことはない! 私はそう思っているんで、みんなにも自分の好きなことに正直になって、一歩目を踏み出してほしいなと思います。

終わり 

インタビュー前編<東京五輪ボクシング金の入江聖奈「過去の栄光にすがらない」。大学院でのカエル研究のため「生理的にダメな数学を克服しないと...」>

【プロフィール】
入江聖奈 いりえ・せな 
元ボクシング選手。日本体育大学4年。2000年、鳥取県生まれ。小学生の時にボクシング漫画『がんばれ元気』(小学館)を読んだことをきっかけに競技を始める。2018年、高校3年で全日本女子選手権初優勝。2019年、世界選手権に初出場しベスト8入り。2021年の東京五輪では女子フェザー級で日本ボクシング史上、女性初となる金メダルを獲得。2022年11月のアジア選手権で2位。同11月の全日本選手権2連覇を最後に現役引退。2023年4月からは東京農工大学の大学院でカエルの研究を始める。