4年に一度の祭典が終わり、年も明けたが、早くも次のワールドカップに向けての動きは始まっている。日本代表は引き続き森保一…

 4年に一度の祭典が終わり、年も明けたが、早くも次のワールドカップに向けての動きは始まっている。日本代表は引き続き森保一監督に率いられることが決まり、2026年大会で新しい景色を見ることを目指す。その目標を今度こそ達成するためには、何が必要なのか。サッカージャーナリスト・大住良之が森保ジャパンの4年半の歩みを振り返りながら、次の3年半を考察する。

■当然だった森保監督の続投

 日本代表・森保一監督の次回ワールドカップまでの再契約が発表された。

 ワールドカップ・カタール大会での森保監督の采配はまるでマジックのように水際立っていた。4年間で見せてきたチームづくりの手腕に加え、この大会を経て監督としての能力は大きく飛躍したと見てよい。次の4年間、2026年にアメリカ・カナダ・メキシコの3か国共同開催で行われるワールドカップでベスト8、ベスト4を目指すチームの指揮官として、森保監督ほどふさわしい人材はいない。再契約は当然のことだと思う。

 ただ、代表監督というのは非常に消耗の激しい仕事であり、代表監督の4年間は普通の人の10年間にも15年間にもあたる。私としては1年間ほどの休養を与えてもいいのではないかと考えていた。まずサッカーから完全に離れて、心も体も、そして何よりも頭をリフレッシュさせ、その後は、森保監督自身がクロアチア戦の翌日に語っていたように欧州をはじめとした世界のサッカーの視察に費やしてから日本代表監督に復帰するスケジュールが理想だったのではないか―。

 だが日本サッカー協会(JFA)は森保監督に「次の4年間」を託すことに決め、森保監督も意欲を見せて再契約が決まった。今回は、2018年7月に日本代表監督に就任してからの「森保Japan」の「4年半」を総括し、2026年ワールドカップまでの「3年半」を考えてみたい。

■北海道の人々への感謝

 ワールドカップ・カタール大会を目指す日本代表の監督に森保氏の就任が発表されたのが2018年7月26日。ロシアで開催されたワールドカップで西野朗監督率いる日本代表がベルギーに2-3で逆転負けした24日後のことだった。前年の10月にオリンピック「東京2020」を目指すチームの監督となっていた森保氏は、2018年の4月にバヒド・ハリルホジッチ監督解任に伴って就任した西野朗監督のコーチも兼任していた。若い世代を率いてすでに活動を始めていたうえに西野監督の下でワールドカップも経験した森保の選出は、半ば当然のことだった。2020年オリンピックチームの監督との兼任という役割も、日程面での困難は予想されたが、注目すべき点だった。

 そして9月の親善試合から「森保Japan」がスタートするのだが、その道は思いがけなく多難なものとなった。

 まず初戦に予定されていた札幌でのチリ戦が、前日に北海道胆振地方東部で起きた大地震で中止になった。すでに札幌にはいってトレーニングしていた日本代表に直接の被害はなかったものの、北海道全域が数日間停電となり、宿泊ホテルではエレベータも止まった。このときに自分や家族が大変な状況にもかかわらず代表に不便をかけないようにと懸命に努力してくれた地元の人びとへの感謝の気持ちが、森保監督の「日本中のファンを笑顔にしたい」という強いモチベーションにつながった。

■コロナ禍での努力

 2018年秋のその後の親善試合は好調だった。南野拓実中島翔哉といった新しい世代の選手たちがロシアで活躍した大迫勇也らとからんで活気あふれる攻撃を見せ、ファンを喜ばせた。しかし明けて2019年1月にUAEで開催されたアジアカップではフルメンバーを揃えることができず苦戦。準決勝のイラン戦で攻守に会心の試合を見せて決勝に進出したが、カタールに完敗してタイトルを逃した。

 この年はオリンピック世代を中心にしたチームで南米の「コパ・アメリカ」に挑戦するなど若手に経験を積ませる努力も払ったが、2020年が明けるとコロナ禍ですべての社会活動がストップし、その後も国をまたぐ移動が大きく制限されたままだったため、19年秋にスタートしたワールドカップ・アジア2次予選の残り4試合はすべて延期され、秋から始まる予定だった最終予選がいつできるのかも不透明な状況となってしまった。

 そうしたなか、欧州各国のコロナ防疫防方針が緩和されたことを利用し、JFAは欧州のクラブ所属選手だけで欧州を舞台に強化のための親善試合をすることを計画、2020年10月と11月にオランダとオーストリアで計4試合を実施した。丸1年間代表戦がなくて当然だった年に2回の活動で戦術を再確認し、チームをまとめることができたのは非常に大きかった。

いま一番読まれている記事を読む