背景に異色の球歴最初の高校を中退再受験高2で野球部引退 独立リーグのルートインBCリーグ・茨城アストロプラネッツは12日…

背景に異色の球歴…最初の高校を中退→再受験→高2で野球部引退

 独立リーグのルートインBCリーグ・茨城アストロプラネッツは12日、茨城・笠間市の球団事務所で会見し、35歳の元NHKテレビディレクター、伊藤悠一氏の監督就任を発表した。昨年10月、新監督選考のため前代未聞の「監督トライアウト」を開催すると発表。男女不問、年齢不問、野球経験不問、資格不問で参加者を募り、99人の応募者の中から伊藤監督が選出された。それにしても、伊藤監督は昨年いっぱいで退局したNHKでは「NHKスペシャル」「プロフェッショナル 仕事の流儀」「クローズアップ現代」「サンデースポーツ」など花形番組の制作を担当。このご時世に安定した職を投げ捨て、道なき道を進むことを決意したのはなぜか──。

 伊藤監督には、妻と1歳6か月の長女がいる。茨城の監督になることによって、収入はNHK時代に比べ「3分の1から4分の1になると思う」と明かす。「監督に内定した時は、正直言って迷いました。安定したところでやっていく方が、家族にとって幸せではないかとも考えました」と言うのは当然だろう。

 決め手となった判断基準が2つあった。「1つは、将来が見えないのはどちらか。テレビ番組でも、冒頭から結末の予想がつくものは面白くない。ずっとワクワクして、どんな結末になるのか見えない人生の方が、自分にとっていいのではないかと思いました」と語る。

「もう1つは、どちらの道を選ぶ方が後悔をしないか。私はNHKで運よく、東京五輪開催という追い風もあって、やりたかったことを全てやれました。ドキュメンタリーを中心に、思い描いていた通りの番組がたくさんできました。(NHKでは)もう野球の監督をやる以上の喜びは得られないと考え、最終的に家族も背中を押してくれました」とうなずく。

 一見無謀にも思える転職の背景には、異色の球歴も関係しているようだ。静岡・沼津市出身で、小3の時に軟式少年チームに入り野球を始めた。中学の軟式野球部を経て、強豪の日大三島高に進学するも、「当時は背が低く、パワーの違いに圧倒されました」。1年で中退し、「勉強との両立を志して」県立御殿場南高を再受験し合格した。改めて野球部に入ったが、高野連の規定でプレーができるのは18歳までのため、2年生の夏までしかプレーできなかった。

「同級生より早く引退しなければなりませんでした。不完全燃焼で、悔いが残りました。当時からテレビのディレクターになることが夢でしたが、同時に高校野球の指導者になりたいという気持ちも芽生えました」と振り返る。1浪後に進学した慶大では、俊足と肩の強さを生かそうと陸上の十種競技に転向し、インカレ出場も果たしたが、心の奥底にはずっと、高校野球を思う存分やり切れなかった後悔がくすぶっていたのかもしれない。

「ディレクターとして磨いてきた取材力は、監督としても自分の強み」

 野球の指導経験は皆無だ。色川冬馬GMは「『未経験者が監督をやるって、どうなの?』という声は当然あるでしょう。だからこそ楽しいんじゃないの、と思います」。

 伊藤監督を選んだ理由については「非常にスマートで、ご自身のお考えをお持ちの方です。番組のディレクターというポジションは、プロ野球チームにおける監督と非常によく似ているとも思いました。チームのルール、予算、環境に制限があり、上にフロントがいて、周りのコーチ陣をマネジメントしながら、主役の選手たちを生かしていくのが監督。ディレクターも会社の方針というものがあるでしょうし、カメラマンや音声さんといった、いわばコーチ陣に当たる人たちをまとめ、主役のタレントを1つのストーリーにのせていく作業ですから」と説明した。

「最初は取材者として、監督公募に興味を持った」と言う伊藤監督。「ディレクターとして磨いてきた取材力は、監督としても自分の強みになると思います。いろいろな方の話を聞き、人の表情、言葉の1つ1つを紡いできたことが自分の軸になっています」と一定の自信もうかがわせる。

 3月9日から茨城県内で春季キャンプに入り、開幕戦は4月8日、ホームで埼玉武蔵ヒートベアーズとの対戦(球場未定)が予定されている。前例のないタイプの監督だけに「どういう監督を目指すのか、と聞かれても、誰かを手本にするわけにいかないですし、真似もできない。自分なりの方法でやっていきます」とキッパリ。先が見えないことは楽しいこと──。実際の采配ぶりを早く見たくなってきた。(宮脇広久 / Hirohisa Miyawaki)