生前、ブラジルに大きな贈り物をしてくれたサッカーの王様ペレ。彼の死は少なくとも3つのことを明白にした。ブラジルという国…

 生前、ブラジルに大きな贈り物をしてくれたサッカーの王様ペレ。彼の死は少なくとも3つのことを明白にした。ブラジルという国がいかに偉大な功績を残した者に対して薄情か、ブラジルの選手たちがいかに傲慢であるか、そしてブラジル人がいかに彼を愛したか――だ。

 まず、何より信じられないのは、ブラジルがペレのために、国として何もしなかったことだ。お隣のアルゼンチンでは、ディエゴ・マラドーナの死後、国葬を開いたのに、ブラジルは、ただ3日間、哀悼の意を示したのみだった。

 ペレの棺はサントスのスタジアムに24時間安置され、その後、サントスの町を巡り、墓地へと向かった。だがペレは、サントスだけのスターではない。ブラジル中、南米中、そして世界中のサッカーの王様だ。少なくとも首都のブラジリアで1日、そして彼が多くの勝利を挙げ、1000ゴールを達成したサッカーの殿堂マラカナン・スタジアムでも1日、人々と最後のお別れをすべきだった。



プレミアリーグをはじめ、世界各地でペレの追悼セレモニーが行なわれている photo by Reuters/AFLO

 1月1日に大統領に就任したルラは、ペレの葬儀に姿を現したものの、滞在時間はわずか18分、そのほかに政府からは大臣がひとり参列しただけだった。国内の主要クラブの会長のうち、出席したのはサンパウロのフリオ・カサレスだけ、フラメンゴは同じ時間にビトール・ペレイラ新監督のお披露目をし、大バッシングを受けた。

 ブラジルの現役選手や元選手たちも、ほとんどが葬儀に姿を現さなかった。サンパウロ州サッカー協会副会長のマウロ・シルヴァ、11月にサントスのスポーツコーディネーターに就任したパウロ・ロベルト・ファルカン、そのほかにはカレッカぐらいだった。多くの選手はペレが亡くなってすぐにSNSで盛大に追悼の意を表したが、ふたを開けてみたらこんなものだ。写真をアップしてコメントを書くぐらいなら誰でもできる。

 この一件で一番、評判を落としたのはネイマールだ。彼はペレと同じサントス出身、その絆はかなり深い。若い頃はかなり目をかけてもらった。彼は葬儀に参列しない理由を、「パリ・サンジェルマンがパリを離れることを許さないから」と言っていたが、同じ時にキリアン・エムバペとアクラフ・ハキミがニューヨークに行っていたことが発覚。ネイマールのウソがばれてしまった。それどころか葬儀が行なわれている同じ時間にパーティーを開き、歌を歌っていた。

【ペレをよく思っていなかった選手たち】

 ロナウド、カフー、ロナウジーニョ、ロベルト・カルロス、ベベトらの姿も一切なかった。皆、来なかった理由について「国外にいたから」「病院に行かなくてはならなかったから」「ショックでメンタル的にやられていたから」など、なにかにつけて言い訳をしている。

「飛行機をうまく乗り継ぐことができなかった。でもだからといって、ペレへの思い、ペレがサッカー界を代表する存在であることに変わりはないだろう?」

 カフーはそうコメントしたが、こうした言い訳を人々は信じない。デビッド・ベッカムは女王に最後の挨拶をするために何時間も並んだのに、ブラジルの選手たちは王と呼ばれた人物に最後の別れを告げるのも億劫がったのだ。

 カカはこの12月に「ブラジル人は他の国に比べてレジェンド選手を大事にしない」と不平を漏らしていたが、自身の行動でそれを証明してしまった(のちにカカは自身のインスタで、その発言と、葬儀に参列しなかったことを謝罪した)。

 グローボTVで解説を務める元ブラジル代表のワルテル・カサグランデは、「金持ちの選手たちは、金をもらわなければ何もしない」と揶揄した(ちなみに彼自身も、『ショックだから』と参列しなかったのだが)。

 胸に5つの星をつけ、サッカー大国の選手として大きな顔をしている選手たち。彼らはペレから受けたその恩を忘れている。胸に着ける星のアイデアはそもそもペレが提案して実現したものだし、そのうちの3個はペレがもたらしたものだ。彼らは結局のところ、金儲けとタトゥーとヘアスタイルにしか興味を持たないのだ。

 それにしても、これだけ選手が葬儀に来ないことには、何かわけがあるのかと勘繰ってしまう。先のカザグランデは、かつてペレがテレビ解説者を務めていた時、ブラジル代表のパフォーマンスを批判していたからではないかと言っている。

 確かにある年代の代表選手たちは、ペレにいい印象を持ってはいない。その筆頭が94年アメリカW杯の優勝チームだ。

【唯一評価していたのは82年のセレソン】

 ペレはこの時、グルーボTVで解説をしていたが、大会前「ブラジルはいいチームではない。実力はコロンビアのほうが上だ」と発言し、当時のメンバーとの間に確執が生まれた。ドゥンガは激怒し「ペレは現役の選手たちを妬んでいるんだ」と発言、ロマーリオは「ペレは口を開かない時だけ、詩人になる」と言った。余計なことは言うなという意味だ。

 ペレはこれに対し「私はキリスト教徒だから、無知な者を許す」とコメントを返した。このようにペレは、天才ゆえなのか、自分の思ったことを正直に言ってしまうという点があった。それが普通の人間の口から発せられたものなら、聞き流すこともできるだろうが、王の口から出た言葉となると重みは増し、誰もがそれに耳を貸す。ペレが何気なく言った言葉に傷つき、それを忘れられない選手も多かったのかもしれない。

 ペレは最近では、あまり現役の選手たちについてはコメントをしたがらなかった。それはこうした痛い思いをしたことがあるからかもしれない。

 自身の引退以降、ペレが唯一評価していたチームは82年スペインW杯のセレソンだ。残念ながらパオロ・ロッシのイタリアに敗れたが、この時のチームは、W杯史上最強と言われた70年ブラジル代表に似ていた。70年には5人の背番号10(所属クラブでの背番号、役割。ペレ、トスタン、ジャイルジーニョ、リベリーノ、ジェルソン)がいたが、82年にも4人のファンタジスタ(ジーコ、ファルカン、ソクラテス、トニーニョ・セレゾ)がいて、皆に夢を見せてくれるチームだった。

 実際のところ、ペレは選手たちにとっては煙たい存在だったのかもしれない。彼らは自分たちの力でセレソンが名声を勝ち取ったのだと信じたがるが、実はそのほとんどはペレがお膳立てしてくれたものだ。いや、サッカーだけではない。ペレが活躍する前のブラジルは自信のない野良犬のような国だった。貧しく、政治も混乱し、特に誇るものはなかった。その国にサッカーというアイデンティティーを与えてくれたのはペレだった。58年、62年、そして70年の優勝で、人々はブラジルに拍手を送り、ブラジルはサッカー大国となり、国際社会の一員になることができたのだ。

【決勝までカタールW杯を観戦していた】

 たぶんペレは歴史上、一番有名なブラジル人だ。「知っているブラジル人の名を挙げてください」と国外で老若男女に聞いたなら、特にサッカーファンでなくとも、挙がってくるのは紛れもなく「ペレ」の名前だろう。ブラジルの大統領の名前は知らなくても、ペレの名前は知っているはずだ。私は職業柄、地球のあらゆるところに行くが、私がブラジル人と知ると決まって笑顔になり、返ってくるのが「おお、ペレの国か」だった。ブラジルとペレは同義語でさえあった。

 ペレの国葬をしなかったブラジル、参列しなかった選手たちは、そのことをすっかり忘れてしまっている。

「葬儀は生きている人のためにあるのであって、死んだ人のためにあるのではない。多くの選手たちの欠席は、彼らの精神が貧しいこと、そして彼らのせいでブラジルのサッカーが小さくなってしまったこと、文化を失いつつあることを物語っている。彼らは自分のヘソの先のことしか目に入らない。ペレの偉大さを認めないことで、彼らは自ら、自分たちを矮小な存在にしてしまっている」

 USP(サンパウロ大学)体育・スポーツ学部のカティア・ルビオ准教授の言葉だ。

 一方、市井の人々はペレの偉大さを十分理解していた。サントス市の人口は43万人だが、その75%以上がペレの弔問に訪れるか、もしくはパレードに加わった。ペレの棺が町中を進む中、人々は花を降らせ、ずっとペレへのチャントを歌っていた

「1000ゴール、1000ゴール、1000ゴール、達成できるのはペレだけ、1000ゴール!」

 多くのテレビはその様子を中継し、1週間にわたってペレのビデオを流し続けた。

 ペレは11月24日に入院したが、カタールW杯の決勝までのほとんどの試合を観戦していたと、彼の娘は語っている。ペレは80歳を超えていたにもかかわらず、SNSを駆使していて、大会中も更新を続けていた。リオネル・メッシを称え、エムバペに賛辞を送った。ネイマールが自身と同じ代表77ゴールを決めた時には「ずっとあなたの成長を見ていた」「自分があなたにインスピレーションを与えていたとしたら嬉しいし、あなたも若い他の選手たちにインスピレーションを与えてほしい」とメッセージを送っている。

 そしてブラジルが敗退した時には、こうコメントしている。

「W杯のブラジルの敗退で、多くの人は痛みを覚えたろう。でもそんな今だからこそ、ブラジルの人々に思い出してほしい。何がこの胸に輝く5つの星をもたらしたかを。私たちを感動させるもの、それは愛だ。何がこれほど我々をサッカーに駆り立てるのか。それはこのスポーツの周囲に愛と友情があるからだ。『ゴール!』という叫びはすべての悩みを忘れさせてくれる。それがたとえ90分間だけだとしても」

「今、大切なのは団結すること。我々とこの国の間にある気持ちはすぐに消えるものではないと思いたい。選手たちの夢がこれで終わったわけではない。ちょっと先に延ばされただけだ。選手の皆に、チームのスタッフに、私の賞賛、連帯感、そして愛を送る。すべてのブラジル人へ、スポーツで結ばれた絆と愛が、生涯を通じて貫かれることを祈る。夢は私たちみんなのものだ。愛・愛・愛」

 彼を忘れようとしている選手たちにも、そしてサッカーの世界にも、ペレは最後まで愛を残してくれた。