元審判・家本政明が語るカタールW杯 後編前編「審判目線で感じたカタールW杯3つのポイント」>>Jリーグで最多試合数を担当…
元審判・家本政明が語るカタールW杯 後編
前編「審判目線で感じたカタールW杯3つのポイント」>>
Jリーグで最多試合数を担当し、2021シーズンいっぱいでレフェリーを引退した家本政明さんが語るカタールW杯。レフェリー視点で、面白かった試合が3つあったという。
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カタールW杯決勝の笛を吹いた、ポーランドのシモン・マルチニアク
【開幕戦は完璧と言えるレフェリングだった】
今大会、レフェリー目線で面白いなと感じたのは、開幕戦のカタール対エクアドル、準々決勝のオランダ対アルゼンチン、決勝戦のアルゼンチン対フランスの3試合です。
Jリーグのスーパーカップもそうなんですが、開幕戦というのは、その大会におけるレフェリー側のメッセージを汲み取ることができます。
今大会の開幕戦となったカタール対エクアドルは、イタリアのダニエレ・オルサートが笛を吹きました。前編で話したような追加時間やスローインのポイント、判断基準など、非常に基本に忠実でした。日本人的にはスタンダードで、教科書的とも言えるもので、「今大会はこういくんだな」というメッセージを汲み取ることができました。
テクニカルなところでは、スキャンダラスなミスはゼロでしたし、議論を呼ぶような判定、判断もゼロ。非常に高いクオリティのパフォーマンスだったと思います。
フィジカルなところでは運動量と質が非常に高かったです。それについては国際審判をやっている佐藤隆治さんからも「FIFAは今すごくフィットネスを高いレベルで求めている」と聞いていました。
ボールがある大事なエリアから15m以上離れるなと徹底されていて、ペナルティーエリアのなかではとくに正しい監視をするよう求められます。よくわざと低く腰を落として、いかにも「見てるぞ」という姿勢を取るレフェリーがいますが、そういう印象を周りの選手たちに与える意図があってやっています。
それもふまえて動きの質、ポジショニング、見る姿勢といったところで、すごく絵作りをしていました。ボールに当たるとか、選手の邪魔になることもなく、フィジカル的にもハイパフォーマンスだったと思います。
オルサートはセリエAやチャンピオンズリーグでも笛を吹いていて、W杯の大舞台でも非常に淡々と基準を示すレフェリングを披露して、メンタリティという意味でもすごく安定していたと思います。
開幕戦は世界中の注目度だけでなく、レフェリーサイドからのプレッシャーもかなり強いものがあります。そんななかでも完璧と言える内容で、大会を通してもトップ3に入るパフォーマンスだったと思います。
【決勝のレフェリングで見た「戦略的な怒り」】
オルサートに次いで非常にいいパフォーマンスを披露していたと感じたのが、ポーランドのシモン・マルチニアクです。決勝の笛を任されましたし、今大会のベストレフェリーの一人だと思います。
彼は個人的にも仲のいいレフェリーなんですが、抗議に迫ってくる選手を退ける強さと毅然と対応する強さがあって、アルゼンチンとフランスという世界トップの強者揃いの両チームを相手にしても、彼は一切臆しません。逆に受け止める優しさも持っていて、人間として非常に幅のあるレフェリーです。
フランスのシミュレーションを取ってイエローカードを出すシーンがあったんですが、笛を吹かれてフランスの選手が抗議に行こうとするわけです。普通のレフェリーであれば、手を前に止めて選手をかわすような形で、少し時間を作って最終的にイエローを提示するものです。
でもその時のシモンは、フランス選手の群衆の中に自ら突っ込んでいってイエローカードを出すんですよ。「シモンは強いなあ」と思いました。フットボールの魅力と価値を損なわせないという、彼のマインドの強さを見せつけられました。
テクニカルな面においてもとても優秀で、判定基準はトップ・オブ・トップです。決勝の2つのPK判定も最初はどうなのかなと思うところもあったんですが、リプレイで見てみると妥当なもので、その時の彼のポジショニングも見事でした。
フィジカル面でも、彼は非常に体が大きいんですが、すごく走れるんですよね。彼の動きやポジショニングは、世界のスタンダードとして日本の若いレフェリーにぜひ参考にしてもらいたいと思います。
Jリーグではシモンのような怒る表情をすると、選手やチーム、メディアがざわつくんです。審判たるもの怒るべきではない、聖人君子であれと。でもその怒りというのは、感情的なものではなくて、戦略的な怒りなんです。
怒った表情をすることで、選手が「やばい、レフェリーが怒った」と引くんですよ。シモンもそれを計算して怒っているわけで、シモン以外のレフェリーも何試合か戦略的な怒りを用いる場面はありました。
日本では常に笑顔でソフトな対応が求められて、ハードなレフェリングはよくないものとされるんですけど、世界からすると「それは舐められるよ」と言われるんです。私も実際に海外でレフェリーをやる時は状況次第で戦略的に怒っていました。
例えば猛獣を扱うのに、調教師が優しいだけで扱いきれるかという話なんです。アメとムチが必要なわけで、それがあってお互いによい関係やいい緊張感が生まれるわけです。
フットボールの本当の戦いの場における選手とレフェリーは、猛獣と調教師の構図と同じだと思っています。だからレフェリーは優しい仏様だけでは成り立たないんです。そういった意味でも、シモンがW杯決勝という極限の舞台で、あれだけ見事に両選手たちをコントロールしたのは、本当にすばらしいパフォーマンスだったと思います。
【オランダvsアルゼンチンは誰がやっても難しかった】
レフェリング的にも好ゲームが多かった今大会ですが、もっとも荒れた試合は両チーム合わせて18枚のイエローカードが乱れ飛び、そのうち一人が退場となった準々決勝のオランダ対アルゼンチンだと思います。
この試合の主審はスペインのアントニオ・マテウ・ラオスが務めましたが、試合が荒れる火種というのは前日の会見からありました。オランダのルイス・ファン・ハール監督が挑発するような言葉を会見で並べ、アルゼンチンの選手たちは怒りの火種を抱えた状態で試合に臨んでいました。
結果、試合はかなり荒れました。マテウ・ラオスはラ・リーガの名物レフェリーですが、おそらく誰がやっても近い状態になったと思います。それくらいそもそもコントロールの難しい試合だったと思います。
そういうことがわかっていたので、この試合を注目していたら想像以上にレフェリングが軽く、ファウルをとる基準や懲戒罰の基準がちょっと低いところにあったので、これはまずそうだなと思いました。案の定、バランスが崩れることになるわけですが、前編でも話したように裏のメッセージとして極力11人対11人でやらせるというのがあったと思われるので、マテウ・ラオスも迷いながらやっていたと思います。
ここはカードを出すのに、ここは出さないんだ。そういう場面が続くと、選手たちはフラストレーションをどんどん溜めていくので、彼自身が試合を難しくしてしまった側面もありました。彼は経験豊富で実力者だし、私が話しているようなことは当然わかっているにもかかわらず、ああいったパフォーマンスになってしまった。非常に難しかったと思います。
ただ、オルサートやシモンが担当していたら少し違った内容になっていただろうとも思います。実際に決勝ではアルゼンチンもフランスもシモンに対してなにも言わなかった。言いそうになってもシモンは深い愛情と力ずくでねじ伏せたわけです。
だから主審はソフトに対応するばかりでなく、力に対して時には力で対応することも必要ですし、非常に効果的だということがよくわかると思います。とくに南米やヨーロッパの選手たちは闘争心むき出しの人たちなので、それに対して優しさだけでコントロールするのは不可能です。
そうした学びの機会として非常に有益な試合だったと思います。個人的には一番笛を吹いてみたかったのがこの試合です。猛獣と化したアルゼンチンがどんなものなのか、レフェリーとして体感してみたいというのが本音です。
【日本人もW杯で笛を吹くチャンスはある】
今大会はアジアの躍進が目立ち、拮抗した試合が多かったのでフットボールファンとして過去最高に面白かった大会でした。ただ、日本人の山下良美さんが第4審判員として参加しましたが、主審という意味ではブラジル大会の西村雄一さん以降、W杯で日本人レフェリーは笛を吹いていません。
それでもカタールW杯での基本に忠実なレフェリングは、日本人に有利な傾向になってきていると思います。動きの量と質、丁寧さや基準の一貫性は日本人が劣っているとは思いません。
ですから今の若いレフェリーは世界の最新のトレンドや方向感、求められているものをしっかりと理解してトライすれば、W杯で笛を吹くチャンスは大いにあると思います。
そのためには、繰り返しますがレフェリーの"力"の部分をどう身につけるか。Jリーグではよくないものとされてしまいがちですが、海外では必須の要素になります。それと言語能力とプレゼンス。ここの課題をクリアできれば、世界のトップに行ける可能性は十分に見込めると思っています。
現状では日本人レフェリーが欧州のリーグで笛を吹く機会が、仕組みとしてないので難しいところがあります。過去には各国間や各リーグ間で提携をして、レフェリーの交換という形でやったことはあります。
今後は日本サッカー協会とJリーグが本腰を入れて戦略的に欧州や南米のリーグとパートナーシップを結んで、日本人レフェリーが笛を吹ける機会を創出できたらいいなと。今後、レフェリーの側面でもそうした世界戦略を日本サッカー協会とJリーグに期待したいと思います。
家本政明
いえもと・まさあき/1973年6月13日生まれ。広島県福山市出身。2002年からJ2、2004年からはJ1で主審を務め、2005年からはJFAのスペシャルレフェリーとなり国際審判員も務めた。2021年にJリーグの最多担当試合数を更新し、同年シーズンを最後にレフェリーを引退。現在はJリーグに入り、リーグの魅力向上の活動をするほか、さまざまなメディアに出演。レフェリー視点から語るサッカーが人気だ。