11月5日〜6日、兵庫県神戸市で「第24回全日本身体障害者野球選手権大会」(以下、選手権大会)が開催された。全国から各ブロックを勝ち抜いた7チームが集まり、2日間で計9試合が行われた。   関東甲信越代表の千葉ドリームスターは、初日に身…

11月5日〜6日、兵庫県神戸市で「第24回全日本身体障害者野球選手権大会」(以下、選手権大会)が開催された。全国から各ブロックを勝ち抜いた7チームが集まり、2日間で計9試合が行われた。

 

関東甲信越代表の千葉ドリームスターは、初日に身体障害者野球創設のきっかけとなった名門チーム「神戸コスモス」と対戦した。

 

(取材協力:千葉ドリームスター 以降 文:白石怜平 以降、敬称略)

発足から11年、千葉県唯一の身体障害者野球チーム

千葉ドリームスターは2011年に本格始動。同県出身の巨人・小笠原道大3軍打撃コーチが現役時代の08年オフに上述の神戸コスモスの練習を訪れたことがきっかけに誕生した。

 

チーム名も小笠原コーチが“夢を持って野球を楽しもう”という想いを込め命名。居を構える市川市の名を冠し、「市川ドリームスター」が誕生した。今も”GM”という肩書きでチームの活動を見守っている。

 

20年からは、千葉県全域で更なる地域貢献を強める想いから「千葉ドリームスター」と改称して現在に至っている。

 

昨年・今年と地元の小学校へ訪問し、身体障害者野球の体験授業を行うなど積極的に地域との交流を図っている。

12月には地元の小学校へ訪問するなど社会貢献活動も行なっている

チームには26名の選手が在籍。先天性の障害を持つ選手や事故などによる後天性の障害を持つ選手などさまざま。

 

今年も新たな選手が入団。野球をする場を探していたという高校生から、50歳を超えもう一度白球を追いかけたい想いを持ち続けていた大人など3名の選手がその門を叩いた。

 

年代も障害の度合いも異なる選手がつくり出すのはチームの”活気”。練習や試合、グラウンドから離れても冗談や叱咤などを交わし合い、常に選手たちの声で賑わっている。

 

新入団した選手たちもその明るい雰囲気にすぐに溶け込み、初日から笑顔でキャッチボールをするなど、活気はチームの代名詞である。

明るい雰囲気が力の源である

チームは14年に「NPO法人日本身体障害者野球連盟」へ加盟以降、年々力をつけてきた。

 

発足10周年の昨年に関東甲信越大会を初制覇し、秋の選手権大会にも初めて出場を果たした。そして、今年も全国大会の常連である「群馬アトム」「東京ブルーサンダース」に勝利し連覇。この選手権大会の舞台に再び帰ってきた。

初戦の相手は全国大会最多優勝の「神戸コスモス」

ドリームスターの相手は「神戸コスモス」。

 

コスモスは冒頭の通り、身体障害者野球誕生のルーツとなったチーム。きっかけはかつての”世界の盗塁王” で今もNPB記録の1065盗塁を記録している福本豊氏(元阪急ブレーブス)である。

 

福本氏が現役時代、社会貢献活動の一環で神戸市内の医療施設を訪問。

 

その医療施設に入院していた故・岩崎廣司氏が福本氏との交流をきっかけに、かねてから大好きな野球をやりたいと、81年に初の身体障害者野球チームである神戸コスモスを創設した。以降、全国へと広がり現在に至っている。

 

コスモスは春の選抜大会優勝18回・秋の選手大会優勝16回という圧倒的な強さを誇っている。昨年も春は準優勝するなど、全国屈指のレベルは創設時からずっと変わらず40年以上の歴史を刻んできた。

21年春の選抜では準優勝の神戸コスモス(写真は打席)

佐野が投打に活躍もコスモス打線に屈する

試合は13:00にプレーボール。先発はエース・山岸英樹。17年から4年間、関東甲信越大会の決勝の先発を務め、打撃でも主軸を担う。

 

昨年春からはパラ陸上(走幅跳・やり投)にも参戦し、現在は競技の”二刀流”として24年にパリで行われるパラリンピック出場を目標に、日々鍛錬を重ねている。

ドリームスター先発の山岸

初回から早くもコスモス打線が襲い掛かる。無死一・二塁からこの試合先発の3番・堤佑真が走者一掃のタイムリーを放ち2点を先制される。

 

イニングの途中に小笠原一彦監督がマウンドに直接向かうなど、波乱の幕開けとなった。

ピンチでは小笠原監督(写真右)がマウンドに駆けつけた

2回はコスモス打線は球を慎重に見極める選球眼を見せ、四球で塁を重ねていく。満塁から1番・小寺伸吾のタイムリーで2点を失ったところで、ドリームスターは2番手・佐野賢太郎にスイッチ。

佐野は下肢障害があり、投手と内野(一・三塁)を守っている。常にベンチ、グラウンドから大きな声で鼓舞し時にはスタンドにも響き渡る。

 

現在は小児科の医師として、医療現場の最前線で日々奮闘している。

 

ここで佐野は、緩急を織り交ぜた投球を見せる。2番・重入義宣の遊ゴロを一塁そして本塁と連携プレーを見せダブルプレー。次打者を三ゴロに打ち取り、ピンチを切り抜けた。

 

ナインも総出でベンチから佐野を迎えた。

ナインで好投の佐野を出迎えた

そして佐野は裏の回に打撃でも意地を見せた。二死一・二塁のチャンスで打席に回ると、初球を腕だけで振り抜いた。打球は三遊間を抜けるタイムリーとなり、1点を返した。

 

佐野も、打者代走(※)で走者を任せる代わりにホームでチームメートを出迎えた。

 

(※)主に下肢障害の選手に適用される制度で、打者の代わりに打者走者として走る選手のこと。

佐野は自身でタイムリー安打を放った

ここで勢いづき追い詰めたいところであったが、堤をこれ以上打ち崩すことができず打線は沈黙。

 

3回以降もコスモスに追加点を許し、ドリームスターは1−7で敗戦。翌日の順位決定戦へ臨むことになった。

連敗するも2人の選手が照らした今後の可能性

迎えた2日目。ドリームスターの相手は「阪和ファイターズ」。大阪府を拠点に活動しているチームで、今回は東近畿代表として参戦した。

 

小笠原監督はこの試合のオーダーを組むにあたり、「貴重な全国大会の舞台。当然勝つつもりで臨むが、みんなに緊張感のあるゲームを経験してもらいたい」そう考え、前日とはラインナップを変えて臨んだ。

 

初回、ドリームスターが試合を動かす。まずは2番・二塁でスタメンした三浦敏朗。下肢障害のある三浦はチームが本格的に始動した11年から在籍するメンバーの1人。

 

主に投手を務め、5月の春の選抜大会ではついに公式戦初登板を果たすなど、入団から10年以上経った今も一歩一歩技術を向上させている。

 

打つ方では両腕のみでスイングできるようバットを振り続け、公式戦初安打に向け練習を重ねてきた。

 

ここでは、しっかり球を見極め四球で出塁。公式戦初出塁となった三浦は監督の想いに応え、ベンチはハイタッチで迎えた。

三浦が選んだ四球が先取点のきっかけとなった

そして、ニューフェイスも公式戦デビューを果たした。7月に入団した山田龍太。現在高校1年生の16歳である。

 

山田も下肢障害を持ち、日常でも車いすで移動している。幼少期から野球が好きで自分もプレーしたい。その想いを持って晴れてチームの一員になった。三浦同様に練習には必ず参加している。

 

自ら”もっと打ちたい”・”もっと振りたい”と申し出て、時には1日400スイング以上行うなど、毎週熱心にグラウンドへと出ている。

今回公式戦デビューを果たした山田龍太

ここでは三振だったが、ベンチから「思い切って振って来い!」の言葉通り、3回しっかりスイングした。なお、山田は12月の練習試合、健常者との試合で三遊間への”初安打・初打点”となる内野安打を放った。

 

相手も全力投球だったことから、努力の成果が徐々に花開こうとしている。

 

なお、試合は初回にクリーンアップが機能し先制。三浦の選んだ四球が得点へと繋がった。

 

しかし、その裏に走者を溜めての痛打を浴びるなど4点を奪われ、3点のビハインドを追うことに。ドリームスターらしい勢いづける野球で逆転したいところであったが、試合時間の100分を迎え1−5でゲームセット。

 

昨年の5位(6チーム中)に続き、6位で大会を終えることになった。

来年5月の神戸に向けた課題とは

2年連続で立つことができた秋の選手権の舞台。しかし、ドリームスターは悔しくも昨年のリベンジとはならなかった。

 

小笠原監督は「関東甲信越大会で我々ができた”先行逃げ切り型”で勝ちきる力はついてきましたが、今回は逆にビハインドから押し返せなかった。毎回は難しいのですが、そこが課題ですね」

 

と振り返った。

 

2022年の大会は終えたが、来年5月に再びここ神戸で「第31回 全国身体障害者野球大会」が行われる。ドリームスターも参加権を得ており、また全国の舞台で戦うことができる。

 

早くも5月に向けて大会の翌週から始動。健常者とのリーグ戦といった実戦と練習を組み合わせて切らすことなく鍛錬を重ねている。

 

ドリームスターの再挑戦の舞台は来年すぐにやってくる。