「史上最強の留学生ランナー」と言われる東京国際大4年のイェゴン・ヴィンセント。第99回箱根駅伝(2023年1月2、3日)の走りにも期待がかかるなか、ヴィンセントの指導に当たってきた中村勇太コーチに進化の裏側を聞いた。【ふたつの区間記録を持つ…

「史上最強の留学生ランナー」と言われる東京国際大4年のイェゴン・ヴィンセント。第99回箱根駅伝(2023年1月2、3日)の走りにも期待がかかるなか、ヴィンセントの指導に当たってきた中村勇太コーチに進化の裏側を聞いた。

【ふたつの区間記録を持つ史上最強ランナー】

 昭和最後の大会となった第65回大会(1989年)で、箱根駅伝に初めてケニアからの留学生が登場した。30年以上の年月が経ち、これまでに多くの留学生が箱根路を駆け抜けていった。

 そのなかでも"史上最強"の呼び声が高いのが、現役箱根ランナーである、東京国際大4年のイェゴン・ヴィンセントだ。



東京国際大4年のイェゴン・ヴィンセント

 現在箱根駅伝の10区間中、エース区間の2区とスピード自慢が集う3区、ふたつの区間記録を持っているヴィンセント。これが史上最強と言われるゆえんだ。

 1年時の箱根デビューは3区。8位でタスキを受けると、前を行くランナーをごぼう抜きし一気に先頭へ。その活躍はまさにワールドクラス。21.4kmを59分25秒で走りきり、従来の区間記録を2分以上更新するという衝撃の走りだった。

 2年時にはエース区間の2区に登場。14位でスタートしたヴィンセントは、中間点にも到達しないうちにトップに立つ。そして、相澤晃(東洋大〜旭化成)が前年につくった区間記録を8秒上回った。好記録が続出した前年とは異なり、向かい風に記録が伸びない選手が多いなか、ひとりだけ別次元の走りだった。

【箱根駅伝に向けて「いい状態」】

 しかしながら、今季の駅伝シーズンは、初戦の出雲駅伝を前に左脚のふくらはぎを肉離れし、出雲、全日本大学駅伝と欠場した。

 はたして、最後の箱根駅伝は走れるのか......。

「全日本のあとから箱根にフォーカスして練習ができているので、今の段階ではかなりいい状態です。皆さんの期待、チームの期待に応える走りができるんじゃないかと思います」

 質問に対して、東京国際大の中村勇太コーチはこう答えてくれた。

 中村コーチに話を伺った12月のある日、箱根前の最も重要な練習があった。ケガ明けのヴィンセントは余裕を持って16kmを走ったが、「7、8割にしては、非常にいい出来だった」と中村コーチは手応えをつかんでいた。

 ヴィンセント自身も好感触を得た様子だったという。

「本人も今日の練習はすごく不安をもってスタートラインに立ったと思うんですけど、終わったあとは健やかな表情をしていました」

 どうやら今度の箱根駅伝でもヴィンセントの爆走が見られそうだ。

 中村コーチは、東京国際大で留学生の指導に当たっている。



2022年6月のケニア選手権にて。左から中村コーチ、ヴィンセント、ケニアでのコーチのジョフリー・ロノ氏

 実業団・トヨタ紡織マネージャー、愛知の駅伝強豪校・豊川高コーチを経て、2017年に東京国際大コーチに就任。それまでのキャリアでケニア人選手と関わる機会が多かったため、ヴィンセントが入学したタイミングで中村コーチが留学生の指導を担当するようになった。

「日本人選手でも一緒だと思いますが、ストレスを抱えていたり、不安があったりすると、パフォーマンスに非常に大きな影響が出ます。まして留学生となると、身寄りのない異国の地に来て、ただでさえ不安や心配事も多いと思うんです。彼らが余計なストレスを感じずに、気持ちよく走るにはどうしたらいいのか、っていうことを常に考えながら接しています」

 練習メニューを立てる際には、その時々の目標に応じてアウトラインを決めたうえで、本人の意見を聞きながら、設定タイムなどの詳細を詰めていく。

 ちなみに、練習のことなどは英語でやりとりするが、日常のフランクな会話は日本語のことも多いという。

【知られざる留学生ランナーの苦労】

 その圧倒的なパフォーマンスゆえに、「留学生=助っ人」というイメージが根強いが、中村コーチが強調するのは、彼らの一学生としての側面だ。

「『走るために来ているんでしょ』って言われるのは仕方ないし、そう見られるのも当然だとは思うんです。でもヴィンセントや同級生のルカ・ムセンビ(仙台育英高出身)は、練習が終わって夜9〜10時まで留学生の勉強部屋で、大学のレポートや宿題に取り組んでいたりしますよ。『宿題が終わらない......』なんて言って頭を抱えながら。ヴィンセントはすごく真面目でストイック。実は、留学生はそういった苦労もしてきているんです。

 ルカが通訳をしているのを見て、日本語を勉強していないんじゃないかと思っている人もいるかもしれませんが、彼は聞くほうはほぼ日本語を理解できて、チームメイトとは日本語で会話しています。ただヴィンセントはすごくシャイなので、インタビューなどでは日本語をあまり話しません。

 いろんな意見があって当然なので留学生ランナーへの批判的な意見はなくならないと思うんですけど、彼らは能力が高いというだけで走れているわけではないんです。相応の努力をしてきた結果なんです。彼らが一生懸命頑張っている姿を身近で見てきました。そこはご理解いただきたいと思っています」

 こんなこともあった。例年であれば、ヴィンセントは夏に帰国しケニアでトレーニングをしていたが、今夏は帰国せずに日本で過ごした。その理由のひとつには、大学の授業の補講があった。今季の前半戦は海外遠征が相次いだため、4年間で卒業するには夏に補講を受けなければならなかったのだ。

 学生であるからには学業を疎かにもできない。中村コーチが言うように、彼らがひとりの大学生としての側面を持ち合わせていることを忘れてはならない。


中村コーチがプレゼントした

「無敵」Tシャツがお気に入り

【なんであんなに強いんですかね】

 では、ヴィンセントの強さはどこにあるのか、中村コーチにストレートに聞いてみた。

「今回の取材の話をいただいた時から、ずっと考えていたんですけど、そんなのわかんないよ!って思いました。なんであんなに強いんですかね(笑)。でも、もっともっとポテンシャルがある選手なので、それを引き出してあげなきゃいけないなとも思っています」

 指導者にとっても、未知数の可能性をヴィンセントは秘めているという。

 ケニアは多民族国家だが、ヴィンセントは、男子マラソン世界記録保持者のエリウド・キプチョゲと同じカレンジン族。ただ、キプチョゲが身長167cmなのに対し、ヴィンセントは184cmもある。中村コーチが初めてヴィンセントに対面した時にも、そのシルエットに驚いたという。

「実業団や大学問わず、日本で活躍している選手を見ても、あんなに大柄なケニア人選手って、あまり見たことがなかった。珍しいタイプの選手だと思いました。

 体が大きい分、まだまだ体を使いこなせていないところがあるので、大学4年間で無理をさせない練習をずっと課してきました。一回一回のレースでの負担も大きいので、レースの間隔もなるべく空けるようにスケジュールを組んでいました」



184㎝の長身

 箱根駅伝は、どの区間も20km超走らなければいけないが、にわかには信じがたいことに、大学1年目のヴィンセントは20km以上の距離を走る練習を一度もやっていなかったという。レースペースではもちろん、ゆっくりとしたジョギングペースでも、だ。

 初めて20km以上を走ったのがいきなりの実戦。しかも、箱根駅伝予選会だった。そこではハーフマラソン(21.0975km)を1時間2分23秒で走り、3位という成績だった。その後のヴィンセントのパフォーマンスを知れば、調子がイマイチだったのかなと疑ってしまうが、中村コーチの話を聞いて合点がいった。

 そして、その次の20km超のレースが、あの衝撃の箱根デビューだった。

【日本人選手にも大きな刺激】

 ヴィンセントが日本人選手に与える影響も大きかったに違いない。ヴィンセントの1年時に4年生だった伊藤達彦(現Honda)はその後、10000mで東京オリンピックに出場した。

「達彦は、同学年の相澤選手に挑み続けて、あそこまで成長しましたが、チームメイトにヴィンセントがいたので、ひとりではできない練習ができました。それに、ヴィンセントについていけば、ここまでいけるっていう指標にもなっていたと思います。

 箱根駅伝は昔から『箱根から世界へ』と銘打っていますけど、その世界とは何ぞやって考えた時に、ヴィンセントっていう世界が実態としてあるんですよね。つまりは、世界が見える、というか......。

 彼に勝たなきゃ世界で勝てない。彼に挑まないと世界に挑めない。そういった気持ちにさせてくれる存在なのかなと思います」

 駒澤大の田澤廉(4年)は、ライバルを聞かれて「しいて言えばヴィンセント」と答えている。田澤にとっても、ヴィンセントは世界を目指すうえでの指標となっているのかもしれない。

 とはいえ、ヴィンセントもまた世界のトップを目指すひとりのランナー。今季たびたびケガに苦しんだのは、具体的に世界を意識し始め、練習の質を上げたことも一因にあった。彼自身、殻を破ろうとしている最中にあるのかもしれない。

「練習を見ていて、彼の限界が見えることはなかったんです。全力疾走しているのではなく、ゆっくり巡航しているような感じで。いつもクルージングしているって思いながら見ています。彼がもっと出力を上げられるような能力を身につけたら、もっともっと上にいけるんじゃないかなってすごく感じますよね。時間をかけて世界のトップ選手になってほしい」

"ヴィンセントという世界"。その走りを箱根路で見られるのも、今回が最後となる。12月29日の区間エントリーでは補員に登録されたが、おそらく当日変更で往路の主要区間に起用されるはずだ。絶対に見逃すわけにいかない!

写真提供/中村勇太(東京国際大)