新日本プロレス オカダ・カズチカ インタビュー前編 2022年度のプロレス大賞(東京スポーツ新聞社制定)のMVPに輝いたオカダ・カズチカ。新日本プロレス旗揚げ50周年のメモリアルイヤーに、主役として団体をけん引した。 同賞の5回目の受賞は、…

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オカダ・カズチカ インタビュー前編

 2022年度のプロレス大賞(東京スポーツ新聞社制定)のMVPに輝いたオカダ・カズチカ。新日本プロレス旗揚げ50周年のメモリアルイヤーに、主役として団体をけん引した。

 同賞の5回目の受賞は、2022年10月に亡くなったアントニオ猪木さんの6回に次いで単独2位。さらに、8月18日の「G1 CLIMAX 32」決勝戦(日本武道館)のウィル・オスプレイとの試合はベストバウトを受賞。こちらは、天龍源一郎と並び歴代最多の9回目となる。

 節目の年をMVPとベストバウトのW受賞という最高の形で飾ったオカダに、50周年の今年の総括、そして1・4東京ドーム大会について聞いた。



今年のG1 CLIMAXを制したオカダ(写真提供/新日本プロレス)

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――IWGP世界ヘビー級王座初戴冠(2022年の1・4東京ドームで鷹木信悟に勝利)からスタートした新日本プロレスの50周年イヤーですが、あらためてどんな1年でしたか?

「濃い1年でしたね。チャンピオンとして4度防衛して、G1を獲って。50周年ということでOBの方が来てくれたり、そういう意味ですごく濃かったなと」

――今年の活躍を象徴するのが、真夏の祭典「G1 CLIMAX」での優勝。史上4人目のG1連覇となりました。

「今年のG1はキツかったですね。参加選手が史上最多の28名(2021年は20名)、最後はシングルマッチ3連戦という、近年にはない状況でした。でも、(IWGPの)ベルトを失った(2022年6月12日、ジェイ・ホワイトに敗れ王座陥落)あとだったので、『G1を獲りたい』という思いは誰にも負けていなかった。『50周年の中心から外れたくない』という思いが強かったので、ちょっと安心した部分もありましたね」

――IWGP世界ヘビー級王者とG1覇者、同じチャンピオンでも違いますか?

「まったく違いますね。IWGP世界ヘビー級王者は、ベルトがあるので初めてプロレスを見た人でも『この選手が一番強いんだ』とわかると思うんですが、G1覇者はベルトがないので。でも、IWGP世界ヘビー級王者も出る中で優勝したので、G1優勝のほうが価値があるのかなとも思っています」

――1・4東京ドームといえば、「プロレスファンの初詣」とも言われる大会ですが、2023年は元日にプロレスリング・ノアの興行もあります。やはり意識しますか?

「ノアにというよりも、グレート・ムタ(2023年2月に引退する武藤敬司の"悪の化身")、中邑(真輔)さんへの意識はあります。その2人の闘い以上にお客さんを呼べるカードは少ないでしょうし」

――新日本プロレス出身の両選手の試合が、ノアのリングで実現することについては?

「今、武藤さんはノア、中邑さんはWWE所属なので全然いいと思います。ただ、どこでどんな戦いが行なわれても、お客さんは新日本プロレスの魂を感じるでしょう。その試合が話題になって、またプロレスが盛り上がればいいですね」

――ムタ選手とは、2022年11月20日の6人タッグマッチ(Historic X-over~新日本プロレス×STARDOM合同興行~)でタッグを組みました。その時の印象は?

「初遭遇でしたが、やっぱり存在感がすごかった。"武藤敬司"とは違う存在感でしたね。アニメやゲームに出てくるようなキャラクターがリング上にいるという感覚。特別なことをしなくても、存在を証明できる選手は限られていますが、ムタ選手はまさにそれ。いろんなことを経験して、激しい戦いを重ねていかないとその域には辿り着けないんだと思います。

 でも、僕がそこに行くのは早い。まだまだ"レジェンド"にはならないぞと(笑)。元気よく動いて、第一線で活躍していきたいです」

【「超満員」へのこだわり】

――オカダ選手は、かねてから「東京ドームを超満員にしたい」と公言していました。まだコロナ禍の影響はあるものの、一時期よりはお客さんが戻ってきていると思います。

「う~ん......まだ難しいのかなと感じます。でも、超満員にできる可能性はゼロではない。そこに向けてプロレスが盛り上がるように、いろんなところで選手たちも情報発信をしていかなきゃいけないと思っています。もっといい意味で"にわかファン"に増えてもらわなきゃダメなんじゃないかと考えているので」

――熱心なプロレスファンだけでなく、ライト層をいかに拡大するか、ということでしょうか。

「そうですね。例えばサッカーW杯の盛り上がりでもわかるように、普段はサッカーを観ないけど、代表戦だけは観るという人がメチャクチャいるじゃないですか。プロレスも同じようなものが必要だと思うんです。『そのために何をしたらいいのか』というのは、具体的にはまだわからないですけど、同じようにライト層を拡大していきたいですね」

――バラエティー番組に出演するオカダ選手を見て「プロレス会場に行ってみよう」という人が出てくる、という流れでもいいわけですね。

「そう思いますね。プロレスに触れるきっかけをドンドン増やしていかないといけない。それは僕だけじゃ無理だと思いますし、いろんな選手に発信してもらって、より多くの人がプロレスを観てみたいと思うようになってほしい。さらに、会場で観ることに意味を持たせたいですね」

――コロナ禍で一時期は試合が無観客になり、PPVの中継などで観ることも定着してきています。それでもやはり、会場で観てもらうことにはこだわりがある?

「家でゆっくり試合を観る人たちも増えたと思いますが、だからこそ"生で観戦する良さ"をすごく意識するようになりました。東京ドームでの試合では何万人というお客さんに一体感があって、どよめき、ざわめきなどを直に感じるからこそ自分の心も揺さぶられることがあると思うんです。他のスポーツも音楽もそうですが、お客さんがその場で感じられるものが一番のエンターテイメントなのかなと。だから、ぜひ会場に足を運んでほしいですね」

――同じ東京ドームでの興行といえば、2022年6月に行なわれた『THE MATCH 2022』(メインが那須川天心vs武尊)は5万6399人の観客を集めました。

「素直にすごいと思いました。会場で、生で観ることに大きな価値が生まれましたね。あれだけチケットが高額(最高額は300万円)でも売れていましたし、大会の運営側も『対戦カードによっては、こんなにチケットが高くても買ってもらえるんだ』ということに気づけた大会だったと思います。

 その『THE MATCH』に限らず、他のスポーツでも高額なチケットが売り出されるようになってきていますね。そこまで特別なイベントを何度も開催することは難しいでしょうが、高額チケットを買ったら選手の会場入りが見られるとか、何かしらの特典があって満足してもらえるような仕組みができればいい。『THE MATCH』は、スポーツ界のさまざまなことが変わるきっかけになったと思います」

【オスプレイvsケニーには「負けたくない」】

――1・4東京ドームのダブルメインイベントのひとつは、IWGP USヘビー級選手権試合のウィル・オスプレイvsケニー・オメガ。ケニー選手は2019年の1・4東京ドームを最後に新日本を退団してAEWの旗揚げに参加。4年ぶりの古巣マット参戦で話題を集めていますが、もうひとつのダブルメインイベントを務めるオカダ選手から見たその試合はいかがですか?

●第8試合 60分1本勝負

ダブルメインイベントⅠ レック Presents IWGP USヘビー級選手権試合

ウィル・オスプレイ(第16代チャンピオン)vsケニー・オメガ(チャレンジャー)

●第9試合 60分1本勝負

ダブルメインイベントⅡ IWGP世界ヘビー級選手権試合

オカダ・カズチカ(『G1 CLIMAX 32』優勝者)vsジェイ・ホワイト(第5代チャンピオン)

「バリバリ意識してますね(笑)。オスプレイvsケニーは夢のカードで、プロレスが好きな人には刺さる試合。2人の試合が"ライバル"というわけではないけど、試合の内容で負けたくない。メインに近づくにつれてお客さんの期待値も上がってくると思うので、締めのメインを戦う者として面白い試合をお見せします」

――「負けたくない」としながらも、オスプレイvsケニーというカードはファンを惹きつけるという点では強力ですね。

「大会を通していろんなフックがあったほうが、ファンの心に引っかかりますからね。オスプレイvsケニーに引っかかる人もいれば、『オカダって人、テレビで見たことあるから観てみようかな』って人もいる。あるいは、ジュニアの4人が集まる試合(第7試合 IWGPジュニアヘビー級選手権試合4WAYマッチ。石森太二vsマスター・ワトvs高橋ヒロムvsエル・デスペラード)に魅力を感じる人もいるでしょう。とにかく、オスプレイvsケニーという"大きい釣り針"がドーンときてくれたのは大きいので、当日も盛り上げていきたいです」

(後編:アントニオ猪木に聞きたかったこと。プロレス人気の拡大へ取り組む「育成」とその狙い>>)

【プロフィール】
◆オカダ・カズチカ(おかだ・かずちか) 
1987年生まれ。愛知県安城市出身。191cm、107kg。中学を卒業後、15歳でウルティモ・ドラゴンが創設した団体「闘龍門」に入門。2004年にメキシコでプロデビューし、2007年に新日本プロレスに移籍。2012年に棚橋弘至を破り、24歳でIWGPヘビー級王座を初戴冠。同年、「G1 CLIMAX」に初出場して最年少優勝記録を更新した。プロレス界にカネの雨を降らせる"レインメーカー"として活躍を続け、現在の日本プロレス界を象徴する存在となっている。