) 2005年に全日本女子プロレスが解散し、2006年にプロレスリングSUNを旗揚げした高橋奈七永。世界のプロレスと出合ったことで、対戦相手と"体の会話"ができるようになった。復帰後のスターダムのリングで、桜井まい(左)にラリアットをきめる…

 2005年に全日本女子プロレスが解散し、2006年にプロレスリングSUNを旗揚げした高橋奈七永。世界のプロレスと出合ったことで、対戦相手と"体の会話"ができるようになった。



復帰後のスターダムのリングで、桜井まい(左)にラリアットをきめる高橋 Photo by 東京スポーツ/アフロ

 2007年5月、アメリカでアメージング・コングを破り、AWA世界女子王者を奪取するなど活躍したが、翌年4月、夏樹☆たいようとともにフリー転向を発表。華名(現WWEのASUKA)も合流し、トリオユニット「パッション・レッド」を結成した。

 しかし、華名と確執があり、パッション・レッドは空中分解してしまう。

「無駄なことはひとつもないと思っていて。あの時があるから今につながっていることもある。最終的には喧嘩別れしちゃったけど、感謝してることもあるし、絶対にもう会わないとか、絶対にもう試合しないとか、"絶対"という言葉はプロレス界にはないと思っています」

 2010年7月、シュートボクシングの女子大会「Girls S-cup 2010」に参戦。風香とSBスペシャルエキシビションマッチを行なった。高橋の"挑戦する姿勢"が評価され、その年のプロレス大賞「女子プロレス大賞」を受賞する。デビュー14年目にして、念願の初受賞だった。

【勝つか負けるか。シンプルなのがプロレス】

 2011年1月、スターダムの旗揚げに夏樹と共に参加。当時のスターダムは、高橋、夏樹、愛川ゆず季以外の選手は生え抜きで、旗揚げ戦がデビュー戦。突然、表舞台に立ち、スター扱いされた新人たちに、プロレスの厳しさを教えられるのは高橋だけだった。同年2月、新人選手相手に連戦を行なう「情熱注入」シリーズを開始した。

「プロレスは闘いなんだよっていうことだったり、自分のプロレスへのパッションを少しでも相手に伝えようとしました。2011年2月頃の試合で、私が入場したら岩谷麻優がすでに号泣してて。あれはびっくりしました。みんな私のテーマ曲にビビッてましたね」

 しかし、2015年5月、スターダムを突如退団。きっかけとなったのは、世IV虎(現世志琥)vs安川惡斗戦。激しい殴り合いの末、安川がケガを負って物議を醸した試合だ。世IV虎に対する世間のバッシングは酷く、世IV虎は引退に追い込まれた。

「自分も含め、世IV虎を守ってあげられなかった。『リングで起きたことなのに、なんでこんなことになるの? こんなのプロレスじゃないよ!』という思いがありましたね。嫌になってしまった」

 6月、高橋は夏樹とともに新団体「SEAdLINNNG」を旗揚げ。頑張った人が正当に評価される場所を作りたかったという。

「結局は全女に戻っちゃうんですけど、やっぱり勝つか負けるかだし、強い人が勝つ。シンプルなんですよね。それがプロレス」

 社長として団体を運営しながら、看板レスラーとしても活躍。さらには、強さを求めてラウェイにも挑戦。2016年12月、ミャンマー・ヤンゴンで開かれた興行に出場し、現地の女子61-64キロ級王者であるシェー・シン・ミンにKO勝利した。しかしこの頃から、徐々に徐々に、精神が蝕まれていく。

【うつ病との闘い】

「プロレスのことを考えたくない」――いつしかそう感じるようになっていた。プロレスは大好きだが、頭が動かない。このまま考えられなくなるかもしれないという不安から、夜は眠れない。涙が止まらない。妥協できない性格で、社長業もプロレスもラウェイの練習も完璧にやりたい。しかし、どんどん心身のバランスが崩れていく。自分でもどうすることもできなかった。


自身のプロレス人生を振り返った高橋

 photo by 林ユバ

 3回目のラウェイの対戦相手は、元ボクサー。歯がボロボロになるまで殴られたが、ギリギリ引き分けに終わった。その選手と「もう一度やらないか」と言われたが、このままでは勝てない......。高橋の心は限界だった。心療内科に行くと、診断結果はうつ病。それでも、公表せずにプロレスを続けた。そのことが、高橋をさらに追い詰めていった。

「理解してくれる人もいたけど、全然わかってくれない人もいて、すごく傷つきました。ちょっと思いやりを持てば変わるのに......。上辺だけで判断しないでほしい。人の中身なんて絶対わからないから。想像力や思いやりを持つことが大切だと思う」

 今は病気はほぼ寛解(かんかい)し、減薬している段階だ。昨年末、うつ病を公表すると、「言ってくれて嬉しかった」というメッセージがたくさん届いた。人知れず悩んでいる人がこんなにもいるのだと驚き、以来、TwitterのリプライやDMで相談も受け付けている。

「自分も人に言えずにずっとつらかったんですよね。元気なふりをして、嘘をつきながらプロレスをやっているような気がしてつらかった。自分のこともわからないし、何が本当なのかよくわからない気持ちになりました」

【関わらなければ、勝つことも負けることもない】

 2015年に第一段階の手術をした「左変形性足関節症」。その手術はプロレス界では症例がなく、他競技でプロとして復帰した選手もひとりだけ。術後も日常で歩くのも痛い状態が続いたが、それでもプロレスを続けていた。しかし精神的にも限界で「休みたい」という気持ちもあり、2020年2月に「左足首結合手術」をすることを決意。足首の関節を取って骨をくっつけることで、可動域がなくなる大きな手術だ。

 手術前、プロレスをやめる覚悟をして、やりたいことは全部やろうと決めた。2019年11月2日、カルッツかわさき大会にて中島安里紗と髪切りマッチを行なう。高橋が負けて坊主になったが、相手が中島安里紗だったから「これが最後でもいい」と思えるくらい思いきり闘えた。そして2020年2月、手術をして長期欠場に入る。

「手術をしたあとも『やりたいな』という気持ちに全然ならなくて。やめるならちゃんと引退してやめたいと思って、リハビリやトレーニングをしたら調子がよくなってきたので『リングに上がれるな』と。引退するために復帰した部分は少なからずありました」

 2020年12月、復帰戦でSareeeと世志琥の持つタッグタイトルに水波綾と組んで挑戦。30分時間切れ手前で負けてしまうが、ケガの痛みがないプロレスは楽しかった。「思いきり闘えるって幸せだな」と思った。

 2021年10月には左足首のボルト除去、ならびに右ヒザの手術のため2カ月の欠場。精神的な落ち込みが改善されることはなく、限界だったが、引退という決断はしなかった。うつ病の時に大きな決断をして、後悔したくなかったからだ。ある人から「背中に背負ってる荷物を降ろした時に、もっと飛べるんじゃないか」と助言され、「死んでるように生きてるのなら、前に進まなきゃだめだ」とやっと思えた。

 12月末、SEAdLINNNGを退団。2022年4月、GLEATにて復帰した。7月にはスターダム大田区総合体育館大会にて、ワールド・オブ・スターダム王者の朱里に挑戦表明。8月、スターダム名古屋大会で朱里と死闘を繰り広げるも、敗れた。

 古巣スターダムのリングに上がることについて、ファンから誹謗中傷を受けた。しかし、"女子プロレス界の人間国宝"の心が折れることはなく、10月から始まったリーグ戦「ゴッデス・オブ・スターダムタッグリーグ」に優宇とのタッグで出場した。

「リーグ戦に出るには、覚悟を持たなければいけない。もっと踏み込まなければいけないから。関わらなければ、勝つこともなければ負けることもない。傷つくこともない。でも私は挑戦したかったんですよ」

 高橋と優宇のタッグは「最低でも優勝」という合言葉のとおり、優勝を果たした。

「今のスターダムというか、女子プロレスはヌルいです。私は全女の厳しい時代に生きてきたから、もはや違うものだと思ってる。でも、私が生きてプロレスをやっている時代に、それを違うものだと認めちゃいけないとも思っているから、声を上げています」

【一番大切なのは、思いやり】

 やるなら厳しいところでやりたいと、全日本女子プロレスからスタートしたキャリア。これまでは常に厳しいほう、しんどいほうを選ぶ人生だった。しかし今、デビュー26年目の高橋が考えているのは、「楽しく生きて、自分を肯定したい」――。そう思えるようになってよかったと、心から思っている。

「ある時までは、全女の名前を出すのも嫌だったんですよ。そこの歴史がないとプロレスを語れない人になりたくなかった。でも、今はもう、全女もパッション・レッドも、SEAdLINNNGもそうだし、『すべて自分が、その時々で一生懸命やってきたことだ』と思える。それらを自分で肯定するためにも、全部の歴史を総動員して闘っていきたい」

 プロレスをする上で、一番大切にしていることはなにか。

「思いやりです。お客さんの気持ちになることだったり、自分がいろんなところに立ってみることだったり。対戦相手に対しても、思いやりを持って、ぶっ倒す。ぶっ倒すことも、思いやり。思いやりだと思ってます、いつも」

【プロフィール】

■高橋奈七永(たかはし・ななえ)

1978年、埼玉県川口市生まれ。プロレスラーを志し、高校を中退。1年間、アニマル浜口ジムに通う。1996年7月14日、全日本女子プロレス後楽園ホール大会にて、対中西百重戦でデビュー。全女解散後、プロレスリングSUNを旗揚げ。2008年4月にフリーに転向し、夏樹☆たいよう、華名(現WWEのASUKA)とともにトリオユニット「パッション・レッド」を結成。2010年、プロレス大賞「女子プロレス大賞」を受賞。2011年1月、スターダム旗揚げに参加。2015年5月に退団し、6月にSEAdLINNNGを旗揚げする。2021年12月、SEAdLINNNG退団を発表。うつ病を患っていることを告白する。2022年4月、GLEATにて復帰し、8月から古巣スターダムのリングに上がる。10月、優宇とのタッグで「ゴッデス・オブ・スターダムタッグリーグに出場し、優勝を果たした。Twitter:@nanaracka

【著者プロフィール】

尾崎ムギ子(おざき・むぎこ)

1982年4月11日、東京都生まれ。上智大学外国語学部英語学科卒業後、リクルートメディアコミュニケーションズに入社。求人広告制作に携わり、2008年にフリーライターとなる。「web Sportiva」「集英社オンライン」などでプロレスの記事を中心に執筆。著書に『最強レスラー数珠つなぎ』『女の答えはリングにある』(イースト・プレス)がある。Twitter:@ozaki_mugiko