2022年はサッカーW杯など様々な競技で盛り上がったスポーツ界。スポルティーバではどんな記事が多くの方に読まれたのか。…

 2022年はサッカーW杯など様々な競技で盛り上がったスポーツ界。スポルティーバではどんな記事が多くの方に読まれたのか。今年、反響の大きかった人気記事を再公開します(2022年3月11日配信)。※記事は配信日時当時の内容になります。

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柏木陽介(FC岐阜)インタビュー@後編

 柏木陽介は、決して罪を犯したわけではない。ルールを守れなかっただけにすぎない。もちろん、ルールを守れなかったことは非難されるべきことだ。社会的影響の大きいプロのアスリートであればなおさらだろう。

 しかし、犯した過ちを反省し、やり直しの利く世の中であるべきだ。その意味で、柏木は助けられた。FC岐阜が救いの手を差し伸べてくれたことで、サッカー選手のキャリアをやり直すことができたからだ。

「まさか本当に必要とされなくなるとは...」



岐阜をJ2昇格させるべく全力で臨む柏木陽介

「すぐに声をかけてくれたのが、岐阜の小松(裕志)社長でした(当時はGM)。J3でよければ、来てほしいと。僕のなかではJ1でやりたい気持ちもあったし、興味を持ってくれるクラブがあったのも確かです。

 ただ、コンプライアンス的な問題だったり、金銭的な問題もあって、オファーにまでは至らなかったんですね。でも、岐阜はすべてをひっくるめて、来てくれと声をかけてくれました。そんなに求めてもらったことが何よりうれしかったですし、だから割と早い段階で岐阜に行くことを決めていました」

 J1から一気にJ3へ──。レベルはもちろん、クラブの規模も違えば、環境も大きく異なる。それでも柏木は、プライドを捨てて、情を取り、覚悟を持って岐阜へと向かった。

「苦しい戦いになると思っていました。でも、その環境に身を置くことが、今の自分には必要なんじゃないかって。実際に行ってみて本当にしんどくて大変でしたけど、自分に足りない部分を補えたと思うし、まだまだ成長させてもらえるとも感じています。だから、小松社長はもちろん、受け入れてくれたチーム、サポーター、岐阜の街も含めて、感謝の気持ちしかないですね」

 拠点とする練習場はあるが、別会場で練習することもあり、洗濯も自分でしなければいけない。バス移動の遠征も、30歳を超える柏木には楽なものではなかった。

「それも含めていいのかなと思ったし、楽しんでやっていこうって。今まで何もかもが満たされていたなかで、そういうことを経験することが、今の僕には必要なこと。本当に難しい環境と言われるなかで、どれだけできるかというのも見せてやろうと思っていました」

【イライラすることもあった】

 しかし、その想いは打ち砕かれることになる。長くJ1で実績を積んできた柏木であっても、J3の戦いは苦労の連続だった。あらためて感じたのは、「サッカーはひとりではできない」ということだ。

「そこは昔から思っていたことですけど、やっぱり周りがいてこそ、自分も輝けるんです。これまでみんなにうまい、うまいと言われていたけど、『結局、俺ってこんなもんやな』って思うことが去年は多かったですね。

 個人の力でなんとかできるタイプではないですから。周りを使いながら自分も生きるタイプなので、それができない以上は、持ち味を出すのは難しかったです」

 フィジカルが重視されるJ3では、ロングボールを主体とするサッカーが多かった。岐阜も安間貴義監督の下で、ボールを大事にするサッカーを目指しながら、結果を求めるためにはロングボールを併用するゲームも少なくはなかったという。

「ボールが頭上を越えることが多かったので、しんどかったですし、イライラすることもありました。でも、そこを態度に出しても意味がない。それよりも、どうしたらチームがよくなるかということを日々考えながら、過ごしていましたね。

 たとえ自分がうまくいかなくても、ハードワークする姿を見せることで、みんなに響くんじゃないかって。浦和時代にベテランの選手がやっていたようなことを、岐阜に来て、多少できるようになってきたんです。だから、自分で言うのもなんですけど、めっちゃ成長したと思いますよ(笑)」

 しかし、柏木のアプローチもむなしく、昨季の岐阜は6位に終わり、J2復帰の目標は叶わなかった。もっとも、柏木は自身のチームに厳しい目を向けていた。

「こういう言い方が合っているかわからないですけど、去年の岐阜は昇格に値するチームではなかったかなと思っています。もちろん、昇格させたいと思ってプレーしていましたけど、それ以上にどうやってこのチームを、まとまりのあるいい集団にできるのかと考えていました。そこができなかったのは僕の力不足ですけど、それがないまま昇格しても、またすぐに降格するだけですから」

【35歳になった調子乗り世代】

 まとまりを出すためにどうすればいいのか。そう考えながら過ごしたなかで、柏木がここでも感じたのは「ひとりではどうしようもできなかった」という想いだ。

 しかし、今年はチームを変えられるという希望が生まれている。浦和時代のチームメイトである宇賀神友弥と、海外でのプレー経験もある同年代の田中順也が加入。ほかにも菊池大介や石津大介といった経験豊富な選手が加わったことは、柏木の負担を軽減することになりそうだ。

「今年は順也とか、ウガが来てくれたので、プレー面もそうですけど、そういう部分にも力を貸してくれると思っています。周りからしたらおじさんばかりと思うかもしれないですけど、J3を勝ち抜くにはベテランと若手の融合が一番必要かなと思っているので、彼らの存在は大きいですよ。

 技術的にも考え方にしても、人間的にもすばらしい選手たちなので、チームにとっても自分にとってもプラスになることしかない。このメンバーが揃ったなかで、どういうふうにチームとしてまとまっていけるか。そこが一番大事かなと感じています」

 1987年生まれの柏木は、今年で35歳となる。"調子乗り世代"も、すっかりベテランの仲間入りである。

「もちろん疲れは取れにくくなっていますし、毎年オフ明けの練習はかなり厳しいですよ。だから、(小野)伸二さんとか、ヤットさん(遠藤保仁)とか、イナさん(稲本潤一)も、本当にすごいと思いますし、自分はそんな長くできないなとも思っています」

 それでも、引退を考えるのは、まだ先の話だ。

「やれる間はやりたいし、今1歳の子どもが(自分を)サッカー選手として認識してくれるまではやりたいなとは思っています。フィジカル系のトレーニングは30歳を超えてから始めたので、最近身体をどう使うのがやっとわかってきたんですよ。フィジカル的なものは確実に上がっているので、身体の状態に関しては、今が一番いいと思っています」

【背番号42に込められた意味】

 子どもが生まれたことで、早寝早起きの生活にもなった。食に対する意識を高め、身体のケアやオフの過ごし方にも気を遣っているという。

「完全に身体を休ませることはしなくなりました。休ませすぎると、逆に動かなくなっちゃうので。身体のケアに関しても、浦和時代にお世話になったトレーナーさんが今年ふたりも来てくれたので、心強いですね」

 岐阜で1年を過ごし、"岐阜愛"は日増しに高まっているという。

「いいところがいっぱいですよ。山と川しかないですけど(笑)。あと温泉も。ご飯もおいしいですし、人も優しい。公園もたくさんあるので、子育ての環境としては最高ですね。奥さんも、ずっと岐阜にいたいと言っていますしね」

 柏木が岐阜で背負う「42」という番号にも意味がある。

「県内の42市町村がサポートしてくれているクラブなので、この番号にしました。もっと地域に根づいたクラブにしていきたいんですよね。今はコロナ禍なので、できないこともありますけど、学校訪問だったり、サッカー教室だったり、それぞれの町に出向いていくことをもっとやりたいなって。

 今もSNSを通じて、42市町村の魅力を伝えていくこともやっています。その魅力を伝えながら、岐阜県全体が心から応援したいと思えるようなクラブにしていきたい。もちろんサッカー選手としては、J2、J1に行けるようなチームにすることが目標ですね」

 人は誰もがミスを犯す。そして、人生は何度でもやり直すことができる。決して華やかな舞台でなくてもいい。過ちを糧に、柏木陽介は今年もサッカー選手であり続けている。

【profile】
柏木陽介(かしわぎ・ようすけ)
1987年12月15日生まれ、兵庫県神戸市出身。2006年、サンフレッチェ広島ユースからトップチームに昇格。プロ1年目からレギュラーとしてプレーし、翌年のU−20W杯では10番を背負って「調子乗り世代」の主軸として活躍する。2009年に浦和レッズに移籍。2010年には日本代表デビューも果たす。2021年よりFC岐阜に所属。ポジション=MF。身長176cm、体重73kg。