フランス対モロッコ戦は22時キックオフで、終了の笛が鳴ったのは、ほぼ午前零時ちょうどだった。会場のアル・ベイト・スタジ…
フランス対モロッコ戦は22時キックオフで、終了の笛が鳴ったのは、ほぼ午前零時ちょうどだった。会場のアル・ベイト・スタジアムは、今大会の8会場のなかでドーハ市内から最も離れた地にある。帰路を急がないと原稿を書く時間がなくなる。しかし会場を後にする気はなかなか沸かなかった。もう少しこの現場で試合の余韻を楽しんでいたい。後ろ髪を引かれる思いで記者席を後にした。
2-0でフランスの勝利という結果からイメージするのは順当勝ちだ。実際、下馬評で上回ったフランスが、下回ったモロッコに順当勝ちを収めた試合以外の何ものでもないのだが、予想どおりの結果に終わりながら、これほど感激、感動させられる試合も珍しい。
2点差で敗れたモロッコに、弱者らしさは少しも見えなかった。敗者でありながら敗北感が低い試合。ここ何年かの間に見た2-0というスコアの試合のなかでも一番の接戦。今大会これまで見た20数試合の中で最も美しい好試合。パチパチパチと、試合が終わるや無意識のうちにピッチに向けてスタンディングオベーションを贈らずにはいられなかった試合、となる。

モロッコを2-0で下し、2大会連続でW杯決勝に進んだフランスの選手たち
試合が動いたのは開始5分。ラファエル・ヴァランの縦パスを右に開いて受けたアントワーヌ・グリーズマンが折り返すと、真ん中にはキリアン・エムバペがいた。派手なアクションからシュートに持ち込むも、ボールは相手に当たり左サイドに流れる。そこに現れたのが左SBテオ・エルナンデス。左足を大きく伸ばし、そのインステップであわせると、次の瞬間、モロッコゴールは揺れていた。
モロッコのワリド・レグラギ監督は、この試合を、決勝トーナメント1回戦スペイン戦の後半でも披露した3バック(5-2-3)でスタートした。やり方次第では5バックになりにくい(守備的になりにくい)3バックだが、結果的に受けて立つことになり、開始早々に失点した。開始直前にロッカールームでミーティングした戦法が、いきなり崩壊したわけだ。
【果敢に打って出たモロッコ】
手を打ったのは前半21分。最終ラインを統率した主将のロマン・サイスを下げ、中盤にセリム・アマラーを入れ、布陣を5-2-3から4-3-3へ変更した。それは怖がらずに前進せよという号令そのものだった。
前半29分、スタジアムに備え付けのスクリーンに表示されたボール支配率はフランス37%に対しモロッコ52%(11%は中間)。モロッコが布陣変更を機に、あるいはその前から反撃ムードを全開にしていたことが判る。
スペイン戦は、PK戦には勝利したが、全体的にはよく耐えたという印象だ。ポルトガル戦(準々決勝)も同様。言うならば守備の強さを見せた試合だ。だが大会前、スペイン、ポルトガルよりわずかに下馬評の高かったフランスに対しては、それ以上に攻めた。「フランス何するものぞ」と、果敢に打って出た。
モロッコはフランスの元植民地だ。スタジアム行きのバスで一緒になったモロッコサポーターは、フランス語を普通に喋っていた。監督会見もフランス語で行なわれる。日本がそういう立場に置かれたことがないので、モロッコ人がフランスに対してどんな思いでいるかは知る由もないが、モロッコの存在感を発揮する時だと、一致団結したことは確かだった。
スタンド風景を見れば一目瞭然。モロッコサポーターの数が万を超えていたのに対し、フランスサポーターはその10分の1程度。フランスは欧州にあってはスペイン、イタリアなどとともに代表チームを応援する気質が低い国として知られるが、ここまで差がつくと、ピッチ上のプレーに影響が出ても不思議はない。
もっとも、赤と緑のレプリカユニフォームに身を包んだモロッコサポーター全員が、モロッコ人だったわけではない。シリア人もいれば、サウジアラビア人もいた。エジプト人もいたし、もちろんカタール人もいた。アラビア語を話す人たちが、総出でモロッコを応援していたのだ。モロッコの健闘を語る時、このホームの利を外すわけにいかない。
【猛攻にも慌てなかったフランス】
1990年イタリアW杯、ミラノのジュゼッペ・メアッツァで行なわれた開幕戦で、カメルーンがアルゼンチンを破ったとき、これからはアフリカの時代が到来すると言われた。しかし、アフリカの時代は到来しなかった。これまでの最高成績は、カメルーンが1990年イタリアW杯、セネガルが2002年日韓共催W杯、そしてガーナが2010年南アフリカW杯で残したベスト8だった。
モロッコはその壁を崩し、アフリカ勢として最高の成績を収めたことになる。しかしかつてアフリカと言えば、カメルーンであり、セネガル、ナイジェリア、ガーナ、コートジボワールだった。アラビア語を話す北アフリカ勢は、「アフリカの時代が到来する」のアフリカに含まれていなかった。
だがモロッコの選手に目を凝らせば、ハキム・ツィェク(チェルシー)、ヌサイル・マズラウィ(バイエルン)、アクラフ・ハキミ(パリ・サンジェルマン)など、欧州の上位クラブで活躍している選手が目立つ。サッカーそのものに目を凝らしても、いわゆるアフリカ勢に不足しがちな要素(ひと言でいうのは難しいが、ずる賢さ)を備えている。強かった頃のトルコにも通じる、半分、欧州的な匂いもする。
一方、相手のフランスは、いろんな匂いがする。エムバペの母親は北アフリカのアルジェリア系だ。中部アフリカの臭いもあれば、西部アフリカの臭いもする。フランス本国と同じくらいアフリカの匂いがする。
そうした背景を持つフランスとモロッコが、カタールという無国籍色の強い国で行なわれたW杯の準決勝を戦う図も、独特の味わいがあった。
いろんな血が混じったフランスは、その分だけバランスが取れているように見える。対応の幅が広い。懐の広いサッカーに見えた。モロッコがアクション激しく果敢に攻め入れば、少々慌てたプレーを見せ、パニックに陥っても不思議はない。それがフランスにはないのだ。エムバペという特別な選手の存在も見逃せないが、バランス論で言うならば、各選手のポジショニング、布陣にも穴がない。オーソドックスな攻撃的サッカーを、どの国より大きな展開力を持って遂行する。
2-0とする追加点が決まったのは後半34分。得点者は交代で入ったランダル・コロ・ムアニだったが、ゴール前で8割方、お膳立てをしたのはエムバペだった。
エムバペ対メッシ。決勝はパリ・サンジェルマンに所属するふたりの対決であるかのように報じられるだろうが、フランスにはもうひとり、グリーズマンという文字通りの10番がいる。彼がいる分だけ、フランス有利。筆者にはそう映る。
6分と表示されたロスタイム。モロッコは交代で入ったヤヒヤ・アティヤット・アラーが左サイドを強引にえぐる。その折り返しをアゼディン・ウナヒがシュート。さらにそのこぼれをアブデルザラク・ハムダラーがシュート。決まってもおかしくないチャンスを掴んだ。
強者フランスに最後まで正々堂々と撃ち合うその姿勢に、周囲の日本人記者も感激しきりだった。日本代表にもこうした終わり方をしてほしかった。誰かが呟く声もその中に混じっていた。
「W杯は敗れ方を競うコンテスト」とは筆者の持論である。勝者はわずか1チーム。他の31チームはすべて敗者だ。優勝チームがすばらしいのはわかっている。見解が分かれるのは美しい敗者だ。そのナンバー1はどこか。2050年までに協会はW杯で優勝する目標を立てているらしいが、そんな途方もない話をする前に、目標にするべきは、世界ナンバー1の敗者だ。「目指せ、モロッコ」との思いを強くしながら、アル・ベイト・スタジアムをあとにした。