異例の変更を自覚「自分の希望で数が増えるのはあまりないので…」 異例の背番号変更だ。西武の今井達也投手は1日、所沢市の球…

異例の変更を自覚「自分の希望で数が増えるのはあまりないので…」

 異例の背番号変更だ。西武の今井達也投手は1日、所沢市の球団事務所で契約更改交渉に臨み、600万円減の年俸4500万円(金額は推定)でサイン。さらに同日、背番号をプロ入り後6年間付けてきた「11」から、自身の希望で「48」に変更すると発表した。「48」は今季限りで15年間の現役生活に終止符を打った左腕投手・武隈祥太氏(現球団スタッフ)が付けていたナンバーだ。

 今井が渡辺久信GM、飯田光男球団本部長に背番号変更を申し出た際には、「本当にいいのか? (後になって)やっぱり11番がいいとか言うのはやめてくれよ」と念を押されたという。「若い数字へ替わるのはよくあるパターンですが、自分の希望で数が増えるというのはあまりないので、驚かれたのだと思いますが、自分の気持ちは揺るぎませんでした」と今井は話す。

 11月23日に本拠地ベルーナドームで行われたファン感謝イベント。今井は武隈氏自身から、引退セレモニーで花束を渡す役割を任され、号泣しながら全うした。「武隈さんとは昨季オフに自主トレを一緒にやらせていただきました。ただ一人、僕に『おまえ、こうやって投げろ』と技術的なことを言ってくださる先輩でした。尊敬しています。背番号のことは(ファン感謝イベントの)前から考えていましたが、他にも付き合いの深い選手がいる中で、花束を渡す役をやらせていただいて決心しました」と明かす。

引退の武隈祥太氏から継承「自分が付けて恩返しをしたい」

 今井は作新学院高(栃木)3年時に夏の甲子園で優勝投手となり、2016年ドラフト1位で西武へ入団。楽天へFA移籍した岸孝之投手のあとを受ける形で、栄光の背番号11を譲り受けた。6年間で通算91試合に投げ28勝27敗、防御率4.07。今季は先発3本柱の一角として計算されながら、開幕直前に右内転筋の張りを訴え戦線を離脱。さらに2軍戦で左足首を捻挫し、復帰が遅れた。7月に1軍復帰し好投を重ねるも、8月末には扁桃腺炎による発熱でまたもや実戦を離れた。それでも9試合5勝1敗、防御率2.41の数字を残せたのは、抜群の潜在能力があればこそだ。

「正直言って、11番をいただいてから6年間、あまりチームに貢献できていない部分が大半だったと思います。心機一転と言うか、先輩(武隈氏)の番号をいただいてマウンドに立つ時、今まで以上にモチベーションを持てるのではないかと考えました」と述懐。今井自身、この6年間はもどかしさに苦しんでいたのだろう。「ドラフトで新しい選手が入ってきて、武隈さんを知らない選手が48を付けてプレーするくらいなら、自分が付けて武隈さんに恩返ししたい」とも付け加えた。

 武隈氏からは「おまえ、スゲーな。でも、(球団から)絶対に断られる。無理だからやめておけ」と促されたそうだが、気持ちは変わらなかった。また、渡辺GMは「彼に11を付けさせた時の思いも説明し、彼の決意を確かめるために『48でも結果が出なかったら、どうするんだ?』と問いかけたが『どうしても48を付けたい』ということだった」と明かす。その姿を見て渡辺GMも「今井には来季、相当プレッシャーがかかると思う。自分にプレッシャーをかける覚悟があるなら、いいのではないか。彼の野球人生の潮目が変わる年になるかもしれない」と了承した。野球人生の流れを変えるため、周囲の反対を押し切った男の来季ががぜん、楽しみになってきた。(宮脇広久 / Hirohisa Miyawaki)