礒部公一インタビュー(3)苦手だった投手5人(インタビュー2:「最後の近鉄戦士」坂口智隆の引退に喪失感。いてまえ打線「天才はいなかったけど、練習量がすごかった」>>) 球史に残る強打を誇った、近鉄バファローズの"いてまえ打線"。中でもリーグ…

礒部公一インタビュー(3)
苦手だった投手5人

(インタビュー2:「最後の近鉄戦士」坂口智隆の引退に喪失感。いてまえ打線「天才はいなかったけど、練習量がすごかった」>>)

 球史に残る強打を誇った、近鉄バファローズの"いてまえ打線"。中でもリーグ優勝を果たした2001年のチームは、スタメン6人が15本塁打を越え、「パ・リーグ史上で最強」との声も上がるほどだった。

 その打線において中村紀洋、タフィ・ローズ、フィル・クラーク、吉岡雄二らと共に中軸を担ったのが礒部公一氏。礒部は近鉄が消滅した2004年に楽天に移り、初代キャプテンとして黎明期のチームを支え、パ・リーグの好投手たちと対峙してきた。そんな礒部氏に対戦して苦手だった投手5人のランキングと、「番外編」の2名も併せて聞いた。



西口文也(左)やダルビッシュ有ら、エース級のピッチャーを挙げる中で1位は?

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【5位】ダルビッシュ有(日ハム、レンジャーズど)

彼の一年目から対戦しているんですが、本当に毎年成長して、引き出しも増えていきました。あれだけの球種があると、バッターからすると狙い玉が全然絞れないですよ。彼と対戦する時は、ダルビッシュを相手にしているというよりは"キャッチャーの配球と対戦している"ような不思議な感覚でした。

 もちろんストレートも速いんですが、僕がいいボールだと思っていたのはカーブですね。当時のNPBの投手はストレートにスライダー、フォークを多投する時代でしたが、ダルビッシュの場合はカーブの軌道が他の投手と違ったんです。あの頃のパ・リーグでカーブを投げる投手は本当に少なくて、私の記憶だと日ハムの岩本勉さんくらいですかね。ダルビッシュは投げるボールすべてが高水準でしたが、中でもカーブは強烈で、彼の一番のボールはカーブだったと感じています。

【4位】西口文也(西武)

 西口さんの場合はなんといってもスライダーです。西口さんのスライダーは何種類かあり、カウントを取りにくるボールや曲がり幅が大きいものなどありましたが、ここ一番で腕を振って投げ込む、左バッターの膝下に食い込むスライダーは別格でした。スピードもあるから、「ストレートだ」と錯覚してしまい、どうしても振ってしまう。

 私はもともと選球眼はいいほうだった、という自負はあるんです。普通のスライダーは山なりに来るので、球種に気づく。ただ、西口さんのスライダーはフォークのように落ちる軌道で、直前までまったくわからない。空振りして、「今のスライダーだったよな」と気づくような感じです。正直、手も足も出ないボールでした。あの豪快なフォームで、テンポよりリズムで投げ込んでくるし、チェンジアップもいい具合に抜けてくるので、西口さんにはいいようにやられた印象があります。

【3位】松坂大輔(西武、レッドソックスなど)

 大輔はごくまれに力んで投げる日と、脱力したフォームから投げる時がありました。力んでくれるとまだなんとかなるんですが、あのゆったりとしたフォームでアウトローにバンバン投げ込んでくる時はお手上げでしたね。

 ルーキーの時はストレートにスライダーと球種も多くなかったんですが、だんだんカーブやカットボール、チェンジアップにツーシームなど球種も増えてきた。当時、近鉄の打撃コーチは正田耕三さんだったんですが、ミーティングでは「27球で終わっていいからストライクゾーンに来たボールを強く振れ」と言われていました。つまり、追い込まれると打てないから、それくらいしか対策が出来ないというわけです。近鉄はかなりミーティングをしっかりして戦略的に打つチームでしたが、そんな指示があった投手は大輔だけでしたね。

【2位】涌井秀章(西武→ロッテ→楽天→中日)

 西武にゆかりがある投手ばかりになって申し訳ないです(笑)。それでも西武時代の涌井は強烈でしたね。投げるボールも強いし、スライダーもよくキレるんですが、何よりもあのフォームです。足が地面についてから投げるまでがかなり長くて、タイミングが異常に取りづらい投手でした。若い頃はスピードもありましたから、バッターは体感速度が実際の急速よりもずいぶん速く感じる。正直、涌井が投げる時は「打てないな」という印象を持ってしまっていました。

 今はベテランになりさすがにスピードは落ちていますが、それでもタイミングが取りづらくて差し込まれるバッターも多い。技巧派と言われる投手の粋に入っていますが、彼の場合はボールを速く見せる技術、バッターのタイミングをズラすということに長けていた。これだけ長く現役を続けて結果を残せるのも、そういった引き出しの多さや技術の高さがあるからだと思います。

【★番外編】

・橋本武広(ダイエー→西武→阪神→ロッテ)、

・吉田修司(読売→ダイエー(ソフトバンク)、バファローズ)

 お2人ともタフィ(ローズ)や私のところで左のワンポイントリリーフで登板されていたんですが、1打席勝負だとほとんど打てなかったですね。いいように抑え込まれた印象です。共通しているのは抜群のコントロール。吉田さんはカーブとカットボール、橋本さんはスライダーと球種は決して多くないんですが、それがコースにバンバン決まるので厳しかった。左のワンポイントは左バッターにとっては鬼門ですが、特にコントロールがいい投手には苦労しました。中でも橋本さんと吉田さんは、アナウンスがあると「また来たか」と、強い苦手意識がありました。

【1位】下柳剛(ダイエー→日ハム→阪神→楽天)

 私の中では、下柳さんが圧倒的な一位です。左バッターにとって一番嫌なのは、インコースをグイグイ攻められることなんです。下柳さんはどちらかといえばシュートとスライダーが軸の投手でしたが、インサイドに来たボールがさらにシュートしてきた、かと思えば今度はアウトコースに逃げるスライダーを投げ込んでくる。左バッターはどうしてもインコースに残像が残るから踏み込めない。腰が逃げ腰になっちゃって、手打ちのようなスイングになってしまう。すごく苦手なタイプの投手でしたね。

 下柳さんは阪神時代の晩年のイメージから、コントロールがいい技巧派という印象を持っている方も多いと思いますが、パ・リーグにいらっしゃった頃はけっこう荒れ球でした。そういうタイプの左投手はインコースに投げることをためらうんですが、下柳さんは躊躇なくガンガン攻めてくる(笑)。試合前の練習でかなり投げ込んで試合でも投げる、というタフネスな方でしたが、そういったハートの強さがピッチングスタイルにも出ていました。

 下柳さんと対戦すると、どうしても踏み込めないからバッテイングの調子も狂わされた記憶があります。一試合を通してもそうだし、シーズンを通して考える方というか、とにかくもう下柳さんとの対戦はまともに打てた記憶がなくて、誰に聞かれても「下柳さんは一番苦手な投手でした」と迷いなく答えているくらいですよ。

【プロフィール】
礒部公一(いそべ・こういち)

1974年3月12日生まれ、広島県東広島市出身。三菱重工広島時代、1996年のドラフト会議で近鉄バファローズから3位指名を受け入団。2年目からレギュラーに定着して"いてまえ打線"の一角を担い、2001年には12年ぶりのリーグ優勝に貢献した。2003年から選手会長を努め、翌年の近鉄とオリックスの合併問題・球界再編問題の労使交渉に奔走。2005年に東北楽天ゴールデンイーグルスに創設メンバーとして加入し、初代選手会長に就任。2008年に引退するまで「ミスターイーグルス」としてチームを牽引した。引退後はコーチとして球団に残り2017年まで後進の育成に努めた。2018年からは解説者として活躍中。
現役時代の通算成績・・・1311試合出場、打率.281、1225安打、97本塁打、517打点