ゴールポディウムで祝福される勝田貴元(トヨタ自動車提供) モータースポーツの世界ラリー選手権(WRC)最終戦ラリージャパンが11月10~13日、愛知、岐阜の両県の公道などを使って開催され、トヨタの勝田貴元が母国ラリーで3位表彰台を獲…

ゴールポディウムで祝福される勝田貴元(トヨタ自動車提供)

 モータースポーツの世界ラリー選手権(WRC)最終戦ラリージャパンが11月10~13日、愛知、岐阜の両県の公道などを使って開催され、トヨタの勝田貴元が母国ラリーで3位表彰台を獲得した。トヨタ、ヒョンデ、フォードの3メーカーで争われる最高峰カテゴリーにフル参戦して今季で2年目。自身初表彰台となる2位を昨年のサファリラリー(ケニア)で記録し、今年も2年連続表彰台の3位をマーク。通算では今回が3度目のトップ3フィニッシュとなる。

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 日本人でWRCの総合表彰台に立ったのは2人しかいない。もう1人は1991、92年のアイボリーコーストラリーを連覇し、1994年のサファリラリーで2位に入った篠塚建次郎(三菱)。のちにWRCと異なるラリーレイド競技のダカールラリーで日本人初勝利を挙げたことでも知られ、「ミスターパリダカ」とも呼ばれているレジェンドだ。

 1995年にサファリラリーで藤本吉郎が優勝し、1996年に神岡政夫が英国のRACラリーで2位を記録しているが、その時の大会はWRCとして開催されておらず、日本人のWRC記録にはカウントされていない。ちなみに篠塚、勝田とも過去の大会で表彰台を射止めたのはアフリカで開催されたラリーイベント。アフリカ以外の地で日本人がWRCの表彰台に立ったのは今回が初めてで、ターマック(舗装路)でのトップ3も初めてとなる。

「母国開催のラリーで表彰台に立つことができて、本当に特別な気持ちです。チーム、そしてステージやロードセクションなど、あらゆるところで応援してくれた多くのファンの皆さんに心から感謝します」。トヨタのトップワークス3人はいずれもパンクなどで後退しており、サテライトチームに所属する勝田がトヨタ勢の最上位に食い下がった。

ラリージャパンのコースを走る勝田貴元のトヨタ・GRヤリス・ラリー1・ハイブリッド(トヨタ自動車提供)

 勝田はラリーに本格転向する前はサーキットレースを主戦場としていた。2011年に登竜門シリーズのフォーミュラチャレンジジャパンでチャンピオンに輝いたほか、13年の全日本F3ではシリーズランク2位を獲得。レースの世界でも有望株だったが、祖父、父親ともラリードライバーというラリー一家に育ち、レースをするかたわら全日本ラリー選手権にもスポット参戦していた。

 転機になったのはトヨタがWRCに復帰するという噂が舞い込んだから。「難しさも分かった。レースもずっと好きなので両方やりたいという思いもあった。ただ、現実的な目標を立てていた時に、レースだと世界に行ける可能性がすごく低いと感じた。世界で活躍するにはラリー1本に絞るしかないと思った」

 するとトヨタが2015年に若手のラリードライバーを育成するプログラムをつくると発表。サーキットレースの活動を取りやめてすぐさまオーディンに応募して見事に合格。2016年にはWRCデビューを果たし、下部クラスで武者修行。めきめきと頭角を現し、トップカテゴリーへと突き進んだ。

 来季もトヨタチームの一員としてフル参戦する見通し。30年間なしえていない日本人のWRC優勝は時間の問題かもしれない。

[文/中日スポーツ・鶴田真也]

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