岩佐亮佑が再起戦で1053日ぶり白星、なぜ引退しなかったのか ボクシングの元IBF世界スーパーバンタム級王者・岩佐亮佑(セレス)は25日、東京・後楽園ホールの62.0キロ契約10回戦でゼネシス・カシミ・セルバニア(カシミ)に4回1分46秒K…

岩佐亮佑が再起戦で1053日ぶり白星、なぜ引退しなかったのか

 ボクシングの元IBF世界スーパーバンタム級王者・岩佐亮佑(セレス)は25日、東京・後楽園ホールの62.0キロ契約10回戦でゼネシス・カシミ・セルバニア(カシミ)に4回1分46秒KO勝ちした。世界王座陥落から1年半ぶりの再起戦で1053日ぶりの白星。前日計量を62.6キロで体重超過した末、再計量を拒否した相手を退けた。

 12月で33歳。昨年4月、人生を懸けた試合に中途半端な形で敗れ、現役引退と迷った末に再起した。危険があったことは承知していたものの、自ら志願して上がったリング。ボクサーとしての「死に場所」を探す戦いが始まった。戦績は岩佐が28勝(18KO)4敗、セルバニアが34勝(16KO)4敗。(文=THE ANSWER編集部・浜田 洋平)

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「怖い」という感情を押し殺し、念願のリングに立った。

 初回、サウスポーの岩佐は右ジャブで様子を見る静かな立ち上がり。「体重が重いとパンチも強いのは、世界の第一線でやってきて誰よりも知っている」。2回以降もジャブを中心に組み立て、ガードの隙間から的確なパンチを当てた。決着は4回。左アッパーで顎を跳ね上げた。尻もちでダウンした相手はそのまま立ち上がれなかった。

 レフェリーストップの瞬間、勝者は無表情。コーナーに戻ると、徐々に湧き上がる喜びを放出するように、バシバシとロープを叩いた。

「正直、この試合で勝っても負けても、『引退』という文字が頭にありました。やり切れれば、納得できればいつでも辞められる覚悟ができています。だからこそ、失うものがないから、怖いものがないから突っ込んでいける。

 やっぱり悔いを残したくない。ウズベキスタンで(完全燃焼)できなくて終わった。悔いだけは残さないように、打ち合う時は打ち合う、逃げないと思っていた。恐れず覚悟を決めていけたと思います」

 昨年4月のリングは、人生を懸けた大一番のはずだった。WBAスーパー&IBF統一王者ムロジョン・アフマダリエフ(ウズベキスタン)との王座統一戦。5回に打ち込まれたところでTKO負けを告げられた。「これからっていう作戦の中で止められてしまった」。中途半端なまま、あっけなく終戦。IBFの暫定王者だった岩佐は、2度目の世界王座陥落だった。

 レフェリーストップのタイミングに対し、「早すぎる」との声が多く上がった一戦。ただ、打たれていたのは確かで、止められることも想定して進められなかったのは反省点だった。本人も「どう見るかは人それぞれ」と否定しない。でも、やり切れなかった。

「プロになって13年、納得した死に方をしたいです」

 簡単には手にできない世界挑戦のチャンス。体も、心も再び燃え上がらせるのは並大抵のことではない。敗北から44日後。インスタグラムにつづった。

「ボクサー人生も終わりにむけて走り始めてるのは確か、プロになって13年、納得した死に方をしたいです」

 再起を決めた。1年半が経った今、当時の心境を明かす。

「あの負け方では自分のボクシング人生、18歳から始めたプロ人生は辞められない。納得できない。自分で納得するために、しっかり納得してボクシング界を去るためにも再起した」

 やり残しをつくりたくない。新型コロナウイルス感染を懸念し、ジムでも一人、時間帯を変えて練習。セレス小林会長は「あいつは、ほんとプロですよ」と舌を巻いた。中学生から見てきて約20年。歴戦のダメージもある。命の危険があるリングに中途半端な気持ちで上げさせられない。「正直、今回の試合で引退させようとしていた」

 会長も元WBA世界スーパーフライ級王者になったボクサー。闘争心を再燃させる難しさを知っている。

「上に行けば行くほど、登れば登った人ほど、次の試合に向けた気持ちの作り方って凄く大変。僕も(2度目の防衛戦で)負けた後に世界戦の話もあった。でも、やらなかったのは、あれだけのことをしても勝てなかったから。『あれ以上のことをしないといけない』という気持ちになるでしょ。『もう一回』という気持ちをつくるのが凄く大変。ボクシングは命が懸かっているから。だから僕は辞めたんです」

 ただ、ミットを持つと苦楽を共にした愛弟子の仕上がりに身震いした。「やっぱり一日でも長く見ていたいと思えてくる」。過去最高にフィジカルトレーニングをやってきた岩佐。今回も2人でああしよう、こうしようと作戦を考えてきた。一緒に世界王座を2度手にした快感をもう一度。2人の覚悟は一致した。

試合直前の控室、チームに伝えた「もう長くない」

 1つ重いフェザー級(57.1キロ以下)に転向した再起の道。しかし、セルバニアは減量できないこと悟り、59キロ、62キロと2度も契約体重を上げるように要求してきた。「何だよ。遊びじゃねぇんだよ」。苦しみを乗り越えたからこそ、リングで湧き上がる闘争心。戦うために最も大切なものを削がれた。

 結局、相手は62.6キロと体重を守れず。岩佐はフェザー級での世界挑戦へ、リングで試したかった技術、知りたかった感覚は多々あった。5キロも重ければ状況は大きく変わる。それでも、また気持ちをつくり直した。

「やってきた事実は変わらない。応援してくれる人のためにも、全身全霊で集中して切り替えた。良い姿を見せるために頑張ろうって。試合にあたっていろんな方に動いてもらって、お金も動いている。その責任もある。1年半も試合をしていなくて、これで試合が飛んだらまた体を作り直して、交渉もしないといけない。それが嫌だった。だから、試合を成立させてほしかった」

 試合直前の控室、チームに伝えた。

「もう長くない。今回で引退だと思いながらやってきた。一戦、一戦が全て。厳しい、つらいところに自分から戻ってきたんだから、やるしかねぇだろ」

 理想とは違う形の再起戦だったが、盤石な試合運びで勝利を収めた。通常ならあり得ない体重でリングに上がった危険性も承知している。「スポーツのルールに則るのは大前提。ただ、それ以上に僕が生き急いでいる」。12月で33歳。時間がない。決して試合の強行開催が肯定されるべきではないが、自ら志願してリングに上がった。

 ボクサーとしてどうすれば「納得」できるのか。渋みの増したあご髭をさすりながら言う。

「やっぱり自分の中で『もう無理だな』『どんなに頑張っても実力的にもう勝てねぇな』って感じたら、辞めれるんだろうなと思います。でも、あの試合(アフマダリエフ戦)は確かに相手が強かったですよ。あの場で間違いなく強かった。逆にあのままやっていて、しっかり負けていたら引退していたんだろうなって。それくらい強かった。でも、何か煮え切らないというか……」

 少し言葉を詰まらせた後、視線を上げて続けた。

「僕のわがままです」

 後悔したままリングを降りられない。死に場所を探すボクサー人生の最終章。終戦のゴングは自らの拳で打ち鳴らす。

〇…25日の試合後、岩佐はインスタグラムを更新。ファンに向けて以下の想いをつづった。

「応援ありがとうございました! 文句無しのKO勝ちで勝てたと思います。体重の件色々ありましたが、僕が完璧に勝てたので丸く収めてください。実際逃げ出さずリングに上がったセルバニアにも感謝してます。この試合やるべきだったのか疑問かと思いますが、まず僕が何とか試合を成立させてくれと言いました!

 実際僕には時間が無いので、なんとでも試合はやりたかったんです。色々動いてくれた方本当に感謝してます、応援してくれている全ての方に感謝しています! 本当にありがとうございました!!」(原文まま)(THE ANSWER編集部・浜田 洋平 / Yohei Hamada)