■中村俊輔の日本代表での足跡を振り返る 10月23日14時、J2リーグ最終節、ロアッソ熊本対横浜FCの試合がキックオフさ…
■中村俊輔の日本代表での足跡を振り返る
10月23日14時、J2リーグ最終節、ロアッソ熊本対横浜FCの試合がキックオフされる。日本サッカー界のレジェンドはそこで――。
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中村俊輔が現役を引退する。そのニュースに触れた瞬間、記憶のなかでたくさんのシーンが立ち上がった。
所属クラブでの彼を番記者のように追いかけたことはないが、日本代表ではもれなく見てきた。2000年2月の国際Aマッチデビューから10年の南アフリカW杯まで、出場した全試合を現地で取材した。
Aマッチ出場は「98」を数える。ゴールも「24」ある。印象的な試合は数多い。そのどれもが、中村俊輔というプレーヤーの技術の高さ、戦術眼の高さ、それにサッカーへの愛を示している。
そのなかでも、個人的に印象深い試合やゴールをピックアップしてみた。素晴らしいゴールを決めたなどの個人的なパフォーマンスはもちろん、彼のキャリアにおいての重要性、その試合の位置づけや対戦相手なども考慮した。異論の声があるかもしれないが、ここに選んだものも特筆すべきもののはずだ。(#1~4のうち1)
■左足で「こすりあげた」一撃は6枚の壁を超えてゴールへ
1試合目は2000年6月11日のスロバキア戦だ。雨の宮城スタジアムで行なわれたキリンカップで、国際Aマッチ出場8試合目の中村は日本代表で初めて直接FKを決めている。
前半7分に失点した直後の9分、ゴールまで22メートルの距離でFKを得ると、中村と三浦淳寛がボールに近づく。横浜F・マリノスのチームメイトも右足のFKの名手だが、ここは中村がキッカーを務めた。左足で「こすりあげた」という一撃は、6枚の壁を越えてゴールへ向かっていき、右ポストの上部を叩いてネットに突き刺さった。
「うまくカーブがかかった。GKが真ん中に立っていたので、右を狙った。スピードを殺さなかったのも良かった」
直前のハッサン2世杯(モロッコ)では中田英寿と名波浩が出場していたが、ともにイタリアでプレーしていたふたりはスロバキア、ボリビアと対戦したこのキリンカップに出場していない。そのなかで決めた直接FKは、22歳の誕生日を目前に控えていた彼にとって、存在価値をはっきりと示すものだっただろう。
■「大会史上最強」と呼ばれたチームで存在感を発揮
日本代表における中村のメモリアルな試合として、2000年10月29日のサウジアラビア戦も外すことはできないだろう。レバノンを舞台としたアジアカップ決勝である。フィリップ・トルシエ率いる日本代表は、2度目の優勝を成し遂げた。
この大会で中村に与えられたタスクは、3-5-2の左ウイングバックだった。ヨーロッパのシーズンと重なっていたために中田英寿は出場していないが、トップ下では森島寛晃が躍動していた。
大会序盤は「このポジションだとアシストがなかなかできない。打開のパスが多くなる」と話していた中村だが、ボランチの名波とポジションチェンジをすることで流動的な動きが可能となっていく。ふたりのレフティーのコンビネーションの高まりとともに、日本の攻撃はレベルを一気に上げていった。
完全アウェイの雰囲気に包まれたサウジアラビアとの決勝戦では、29分の決勝点をアシストした。左サイドからの直接FKをゴール右へ供給し、望月重良の右足ボレーを導いた。
中東で行なわれたアジアカップで、中東以外の国が優勝するのは2000年の日本が初めてだった。アジアカップ史上最強と言われたチームでセットプレーのキッカーを担当し、多くの得点を生み出したこの大会は、中村にとっても忘れられないものに違いない。