矢澤の母・香さん万感「よく頑張ったね。こちらこそありがとう」「プロ野球ドラフト会議 supported by リポビタンD」が20日、都内のホテルで行われ、日体大の矢澤宏太投手は日本ハムから1位指名を受けた。投打二刀流でプロの世界に飛び込む…

矢澤の母・香さん万感「よく頑張ったね。こちらこそありがとう」

「プロ野球ドラフト会議 supported by リポビタンD」が20日、都内のホテルで行われ、日体大の矢澤宏太投手は日本ハムから1位指名を受けた。投打二刀流でプロの世界に飛び込む22歳はどんな人物なのか。一番近くで見守ってきた母・香さんが素顔を明かした。

 名前を呼び上げられても緊張の面持ちを崩さなかった矢澤を、香さんはハンカチを握りしめて見つめていた。花束を渡すと、お返しに「ありがとう」と記したサインボールを贈られ「よく頑張ったね。こちらこそありがとうだよ」と万感の表情を見せた。

 そんな香さんは、息子の性格を「私より大人です」と話す。「小さいころから客観的に人を見ている、観察している。どうしてそうなったかを自分でしっかり理解するので嫌な思いもしないし、人のことを悪く言わない。私の方が学ばされる部分がありました」。投げては最速152キロ、野手としても左の強打者で50メートル5秒8の俊足を誇る。投打二刀流を続けてこられたのは、自らをも客観的に分析して黙々と努力し続けてきたからなのだろう。

 矢澤と野球の出会いは2歳のときだった。香さんのいとこが甲子園に出場したことから、現地へ応援に行った。ほかの小さな子どもたちは試合途中で飽きてしまう中、矢澤だけは顔を真っ赤にして汗を流しながらメガホンを叩き続けていたのだという。「この子は野球に興味があるのかなと思いました」と香さん。その“直感”を信じ、6歳になって野球チームの体験会に行くと、宏太少年はすぐに「やりたい」と入ることを決め、プロへの道が始まった。

投手も野手も「どっちも本気でやっていきたいなと思っています」

 とはいえ、順調なことばかりではなかった。藤嶺藤沢高時代は指名漏れを経験。直後に自身のツイッターに「4年後に向けて頑張ります」と綴り、一番上に表示されるように固定して今日まで過ごしてきた。同年には父・明夫さんが急死。それでも日体大入学を決めると「4年後にドラフト1位で行く」と決め、夢をかなえた。「これからが大事なので、これからも見ていてほしいなと思います」と天国の父に思いを馳せた。

 北の大地でプロ野球人生をスタートさせる矢澤。でも香さんには心配な点が……。「宏太はあまり試合の日程とかを教えてくれないんです。小学生のころから試合に投げる、出るのを教えてくれなかった。情報が漏れてはいけないからと親の私にも教えてくれなかったので、今でも“試合に出るの?”っていうのは聞かないようにしている」。そこで香さんは自ら情報収集して矢澤情報をかき集めることに。「だからこちらが追っかけをするしかないんです。これからも追っかけをします」と、一番のファンとして、自慢の息子の“推し活”は何よりの楽しみのようだ。

 投手として、野手として「どっちも本気でやっていきたいなと思っています」と強い覚悟を示した矢澤。新庄剛志監督のもと、投げて打って走って、新球場を盛り上げる。(町田利衣 / Rie Machida)