軟式で最速151キロ右腕の赤尾侑哉(四国明治) 10月20日、いよいよ開催されるプロ野球ドラフト会議。目玉は、同18日時…



軟式で最速151キロ右腕の赤尾侑哉(四国明治)

 10月20日、いよいよ開催されるプロ野球ドラフト会議。目玉は、同18日時点で巨人をはじめ複数球団からの1位指名が噂されている浅野翔吾(高松商高3年)。その一方で、もうひとつの注目はいわゆる「隠し玉指名」である。

 注目のひとりとして紹介したいのが、香川の社会人軟式野球チーム・四国明治に所属する赤尾侑哉。社会人1年目の23歳。軟式球で最速151キロを投げ、すでに複数球団から調査書が届いている右腕である。

"軟式野球の社会人で速いのがいる"

「おい。四国明治の赤尾って選手は知ってたのか?」

「いやぁ、『軟式野球の社会人で速いのがいる』とは聞いていたんですけどねぇ......」

 10月10日、高松市のレクザムスタジアムで開催された高校野球の秋季香川県大会の準決勝。早くも2023年ドラフト候補の発掘に訪れていた四国地区担当のスカウト陣たちから最初に発せられた会話だ。

 話題の主は前日の10月9日、巨人の入団テストを受験した赤尾侑哉。すでに複数の雑誌やウェブメディアで、「香川にいる軟式最速151キロ右腕」として名前が挙がっていた赤尾は、テスト中のシード打撃では打者3人から2奪三振という、明確なアピールに成功。関西国際大時代までは硬式ボールを握り、大勢(巨人)とチームメイトだった経歴もあって、ドラフトの「隠し玉候補」として一躍浮上したのである。

 しかし、赤尾の隠し玉候補浮上は一朝一夕に成し遂げられたものではない。

「この1カ月は軟式から硬式ボールを握る感覚を戻すために急ピッチで仕上げましたし、時間があれば硬式ボールを握るようにしていました。アジャストできてよかったです」

 スカウト陣が驚きの声を上げた数日後の夜、赤尾の姿は母校・坂出商のグラウンドにあった。牛乳や乳製品の品質管理などを担当する四国明治での通常勤務後、自主練習で訪れていたのだ。

「普通の投手」から急成長したきっかけ

 赤尾は小学3年の時に坂出加茂スポーツ少年団で野球を始め、白峰中を経て、祖父の範明さん(1958年春甲子園出場)、父・純郎さん(1988年夏甲子園出場)のあとを追い、坂出商に進学した。

 しかし、高校時代は本人いわく「最速130キロくらいの普通の投手」。最後の夏はのちに甲子園ベスト8入りを果たす三本松に1対4と善戦するも初戦敗退で甲子園出場はならず。「キャプテン、三本松のところだけは引いてくれるなと思っていたら......。抽選結果を聞いた瞬間、『終わった』と思いました」と赤尾は苦笑いしながら5年前を振り返る。

 関西国際大入学後も、同期の翁田大勢が2年春にリーグ戦デビューを果たした一方で、チャンスをつかめない日々が続いた。そんな彼に日が差し込んだのは、2年冬に訪れた坂出商での出会いである。

 球速が上がらない悩みを、今も坂出商の指揮をとる井吉信也監督に打ち明けた。香川オリーブガイナーズで2005年から4年間、中心選手としてプレーした経験を持つ井吉監督のアドバイスは的確だった。

「下半身を使って投げるためのトレーニングドリルがあったのでそれを教えたんです。そうしたら指にボールがかかりだしたんです」と井吉監督。

 赤尾は「左膝のキックバックができるようになって、腕も走るようになった」と説明。大学3年時にはリーグ戦登板し、球速も最速146キロまで伸びた。「自分で自分のフォームを管理できるようになった」と話す。赤尾のベースはここでつくられた。

球速アップの背景に自社のプロテイン?

 大学を卒業し今春、四国明治に入社し軟式野球部へ。ウエイトトレーニングを中心に出力を上げることに注力した。そんな彼の成長をあと押ししたのは、またしても出会いだった。

 ひとりは20年前の創部時からチームに関わっている大村弘二監督。硬式野球から軟式野球に転向した投手が例外なくぶち当たる壁に赤尾が直面した際、アドバイスを送った。大村監督は赤尾の入社当時をこう振り返る。

「赤尾も最初は硬式より軽い軟式ボールに対応できず、ボールが抜けたり浮いたりしていたんです。そこで、ボールの重さを感じながら左足をついてトップまでの時間を長くして、リリースでボールを強く離すフォームづくりを教えました。彼は吸収意欲が高かったので、すぐにマスターしていました。それで6月の天皇杯予選では151キロ。驚きました」

 球速の壁を破った赤尾に四国明治の職場環境も追い風となった。休憩室では「VAAM」「SAVAS」などの自社商品でアスリートに必要な栄養素が常に摂取でき、職場の横にはネットスローが常にできるスペースもあった。

 赤尾は現在、175センチ78キロと決して大柄ではないが、「この1年で体重は5キロ増加。筋肉量が増えたなかで体脂肪率も18%から11%になりました」。周囲のサポートや環境の大きさを日々感じている。

 成長の実感を得たうえで、「やらないと後悔する」と本格的に踏み出したプロ野球へのチャレンジ。ここで現れたのは元横浜DeNAトレーナーの高橋塁氏。四国学院大では、今シーズン最優秀中継ぎ投手に輝いた水上由伸(埼玉西武ライオンズ)のコンディショニングも担当した高橋氏は、会社同僚の縁で知り合うとラプソード測定などで赤尾を支援した。

 加えて大きなハードルとなっていた、大卒社会人選手は2年目以降でないとドラフト指名できないという規定についても、四国明治が日本野球連盟所属でない社会人軟式チームであるため、大卒1年目かつ育成指名に関しても問題がないことが判明。結果、秋になると密かに視察を行なう球団も現れ、複数球団から調査書が届いた。

プロ挑戦がもたらした縁

 こうして運命の10月20日を想像できない形で待つことになった赤尾。実際に赤尾と面談した球団スカウトも「ストレートだけでなく、スプリットやカットボールなどの落ちるボールも持っているし、話をしても考え方がしっかりしている。面白い選手だ」と彼を多角的に見て評価している。

 ただ、彼自身の気持ちは揺らいではいない。

「自分で考えてプレーする大切さを教えてくれた関西国際大の鈴木(英之)監督をはじめとする指導者の方々、僕がプロに挑戦するきっかけを与えてくれた大勢や同期のみんな、チャレンジを応援してくれた四国明治のみなさん、入団テストを通じ意識の高さを教えてくれた他の選手たち......。今回、プロにチャレンジしなかったら出会えなかったり、知ることができなかったことがたくさんあります。どんな結果に終わったとしても人生が終わるわけじゃないし、前向きに進みたい」

 そんな感謝の言葉を口にした赤尾。坂出商での自主練習後、後輩たちの質問に次々とアドバイスを送っていた。では、5年前、高校時代の自分にアドバイスを送るとしたら?

「『もうちょっと考えて練習せいよ』と言いたいですね(笑)」