元日本ハムのマーティン、ドジャースのクローザーまで上り詰める メジャーリーグではプレーオフの熱戦が進行中だ。各チームで元…
元日本ハムのマーティン、ドジャースのクローザーまで上り詰める
メジャーリーグではプレーオフの熱戦が進行中だ。各チームで“元助っ人”の活躍が光る年となっている。元日本ハムで、今季途中からドジャースで投げるクリス・マーティン投手もその1人だ。11日(日本時間12日)に行われたパドレス戦で、9回に登板すると1回を被安打1、無失点。自身初のポストシーズンでのセーブを記録した。地元紙「ロサンゼルス・タイムズ」は「日本時代の経済的な余裕が、彼に向上する機会を与えた」と、日本ハムでのプレーが飛躍のきっかけになったと指摘している。
ドジャースは今季22セーブ、通算394セーブでランキング7位のクレイグ・キンブレルをこのシリーズのロースターから外して戦っている。代わってクローザーに座ったマーティンは36歳。記事は、マーティンがプレーオフでセーブを挙げたことを「ドジャースが彼をトレードで獲得した時に、思い描いていた役割ではなかった」としている。
しかし、キンブレルが不在のドジャースでは、対戦相手や分析を重視し、ブルペンの中で誰が投げるかを決めている。マーティンは、クローザーとして9回を投げることを特別視しており「そうではないと言ったらウソになる」。ロッカーに届けられた記念球も「多分ガレージに置くことになる」と大切にするつもりでいる。
マーティンは現在に至るまで、山あり谷ありの野球人生を送ってきた。2004年にタイガース、2005年にロッキーズからドラフト指名されたものの契約には至らず、その後は肩を痛めホームセンターや航空貨物のUPSで働いたこともある。
苦労続きの野球人生、転機は日本行きと大谷翔平との出会い
その後、2010年にはテキサスにある独立リーグのチーム、グランドプレーリー・エアーホッグスでプレーした。彼が、初めてメジャーリーグの球団と契約したのは24歳だった2011年。メジャーデビューを果たしたのは2014年、27歳の時だった。日本ハムから誘われたのは、2015年オフのことだ。
日本行きを決めたのは「嫌な言い方だけど、経済的な安定が大きな理由だった」とマーティン。「僕には契約ボーナスとかそういうのは全くなかったし、あまり若くもなかったからね。自分が置かれている状況をよく理解していたよ」と続ける。
日本ハムでは、2016年に52試合に投げ2勝0敗21セーブ、19ホールド。防御率1.07と驚異的な成績を残し、日本一に貢献した。翌年も40試合に投げて防御率1.19の好成績。記事は「日本での経済的な余裕が、彼に向上する機会を与え、彼はメジャーリーグに戻り、活躍することができた」と指摘している。2018年にはレンジャーズでメジャー復帰。その後ブレーブス、カブス、そしてドジャースと投げ続けてきた。
マーティンが遅咲きの花を咲かせるために、欠かせなかったのが大谷翔平との出会いだ。日本ハムで2年間ともにプレーし、スプリットとチェンジアップの握りを教えてもらったのだという。
大谷とのプレーを、マーティンは「毎日、彼を見ることができて本当に楽しかったよ」と振り返る。公共交通機関を利用しての移動を「人を押しのけて、オオタニを守らなければならなかったよ。空港や駅にファンがたくさんいて、クレイジーだったよ」と懐かしそうに語っている。(Full-Count編集部)