早稲田大学競走部2年生コンビ伊藤大志&石塚陽士インタビュー・前編 昨年の出雲駅伝6位、全日本大学駅伝6位、今年の箱根駅伝13位。 箱根のシード権を失った早稲田大は、今年6月、名門復活のために花田勝彦氏を競走部駅伝監督として招聘。チーム内改革…
早稲田大学競走部2年生コンビ
伊藤大志&石塚陽士インタビュー・前編
昨年の出雲駅伝6位、全日本大学駅伝6位、今年の箱根駅伝13位。
箱根のシード権を失った早稲田大は、今年6月、名門復活のために花田勝彦氏を競走部駅伝監督として招聘。チーム内改革は静かに進行中だ。選手の意識も変わりつつあり、とりわけ伊藤大志、石塚陽士の2年生コンビはその変化の波を感じているようだ。
なぜ、早稲田は昨シーズン、輝きを失ったのか。復活するためには何が必要なのか。これからの早稲田を背負うにふたりの言葉には厳しい現実と未来があった──。
9月、合宿中の伊藤大志(左)と石塚陽士
──ふたりは、中学の頃から顔見知りだったそうですね。早稲田大で同じチームとなり、徐々に時間が経過するにつれ、改めてお互いのことをどう思っていますか。
伊藤「石塚は、常識はあるけど、ネジが数本ぶっ飛んでいる(笑)。それがいい感じに競技に還元されているし、自分を貫いているよね。練習も自分で考えて、やるところ、抜くところをきちんと自分のなかで把握できている。そういうのはチームで1番しっかりしているなと思います」
石塚「頭のネジがぶっ飛んでいるのは同じだと思うけど(笑)。大志は、佐久長聖高校出身ということでガチガチの強豪校感があるのかなと思ったら意外とそんなことはなく、柔軟性があって、僕が知っている強豪校の人とは違いました。僕自身、基本的に無口で人をなかなか信頼しないんですけど、信頼している人にはいっぱい話をして、その人に迷惑かけているタイプで、大志はそのなかのひとりです(笑)」
お互いにそんな印象を持っているふたりだが、ともに陸上では1年目から主力となり、関東インカレを走り、3大駅伝すべてに出場した。
──1年目の個人の結果については、どう考えていますか?
伊藤「自分は、13分36秒という高校歴代2位のタイムを持って、いわゆる箔がついた状態で早稲田に入ってきたんですが、正直、かなりプレッシャーがありました。結果を出さないといけないのもありますが、タイムに見合った走りをしないといけないと強く思っていたので......。トラックシーズンは、主力選手として関東インカレや日本選手権に出させていただいたんですが、思った以上の結果を出せなくてかなり焦りましたね」
石塚「大志は、鳴り物入りで入って来て、前半は結果が出なくて苦しかったと思うのですが、夏合宿はうまくこなせたんです。でも、出雲であれっという成績に終わってしまって相当苦しんでいました。ただ、その後、全日本、箱根と盛り返してきたからね。普通、ダメになって落ち込むとそのままスランプになる人って結構多いけど、そこで切り替えられたのは本当にトップの選手だなって思いました。でも、出雲の時は相当キテたよね」
伊藤「そうだね。僕が中谷(雄飛・現SGH)さんに襷を渡して、とんでもない走りをしてしまったなぁと思った瞬間から反省会していたもん」
石塚「落ち込んでいた感があったからひとりにしておいた(笑)。下手に話しかけるよりも自分で整理して、自分がこれから何をどう変えていくのか考えたほうがいいと思ったので」
伊藤「おかげで、それまで見え隠れしていた悪い点が明確に見えた。僕は、陸上の長距離選手のなかでは特殊な走りをしていて、足をくるくる回して上に飛び跳ねて走るので、風が吹くと煽られて前に進めなくなる。それで出雲はいつものように走れなかった。それからストライドを意識的に伸ばして走ってみたり、ウエイトベストを背負って走ったり、ウエイトにも取り組んで、ようやく自分の体をコントロールできるようになってきた。それが全日本や箱根にもつながったかな」
石塚「走り方、かなり変わったよね」
伊藤「そうだね。動画を見てもぴょこぴょこ走っていたのが、だいぶ無駄なく、スムーズに走れるようになってきたかな(笑)。石塚は駅伝がすごかったね」
石塚「(笑)。トラックシーズンは関東インカレに出させてもらいましたけど、自分の印象としては寮生活と授業と陸上の3つを成り立たせるのに苦しんだ。自分のスタイルを慣れさせるために時間を使ってしまった感があって、陸上では十分に出力できなかったです」
──しかし、出雲駅伝では4区区間賞で衝撃的なデビューを飾りました。
石塚「夏合宿をやりきれた自信が大きかったですね。夏合宿、チームで最初から最後まで練習をできたのは自分と大志だけだったんです」
伊藤「マックスで100%できたのは、ふたりだけだった」
石塚「そう(笑)。ポイントを全部やりきって、練習の消化率は100%でした。それが自信になりましたし、出雲は風が強いんですけど、僕は這うようにピッチで押して行くので、風の影響を受けにくいんです。そのおかげもあり、区間賞を獲れたんですけど、僕がレースで大事にしていることは安定性。それをしっかりと出せて、結果も出たので夏合宿でやってきたことは間違いがなかった。春にスタートした時は、大志と比較されて早く追いつきたいなって思っていたんですけど、出雲で少しは近づくことができてよかったなと思いました(笑)」
伊藤「出雲については、僕がブレーキしちゃったからなぁ。石塚が2位で持ってきてくれて、僕のところで前の東京国際に追いつけば優勝という大事な区間になったけど、そこで自分の走りができず(区間12位)、チームに貢献できなかった。それがすごく悔しかった。石塚と比較しても自分の結果がすごく情けなく感じたので、そこから練習方法を変えたりして、自分にとっては大きなターニングポイントになりました」
伊藤と石塚は、チームの主力として、その後、全日本大学駅伝を走り、伊藤は1区7位、石塚は5区4位という結果を残して、チームは6位と次年のシード権を獲得した。箱根駅伝でもふたりは1年生ながら往路区間に配置され、伊藤は5区11位、石塚は4区6位という成績だった。
──ふたりにとって箱根駅伝とは、どういう位置づけですか。
伊藤「箱根は小さい頃から見ていたんですが、箱根に出るために陸上をやってきたわけじゃないですし、箱根当日も関東の大会だなぐらいに思っていたんです。でも、いざ石塚から襷をもらって、箱根の山をこれから自分が上るんだって思うと、走り始めて100mでゾクゾクしてきました。緊張もあったけど、武者震いというか、興奮しましたね」
石塚「僕は箱根駅伝を昔から見てきたので憧れはありました。でも、その舞台と自分が走ることは完全に分離されているんです。箱根は、別世界だなって思ったんです」
伊藤「わかる。なんか、芸能人を見ているイメ-ジ」
石塚「(笑)。僕は自分が走っている時、テレビで見た箱根だと全然思わなくて......。注目度や外の声と自分を分離して走るので、そういう外的な影響を受けないんです。それが安定性にもつながっていると思うし、逆に冷酷とか言われる要因のひとつかなぁって(苦笑)。あとからテレビを見た時、あっ箱根走っていたんだって、そんな感じでした」
──往路で1年生が4区5区とつなぐのは、なかなかないことです。
石塚「確かになかなかないかも」
伊藤「それ、成り行きだよね(笑)。2区の中谷さんは前から決まっていて、4区も相楽(豊・前監督)さんは重要区間で中谷さんの次に走れる人って言っていたんです。誰がくるのかなと思ったら石塚で、ゲームチェンジャーの役割だよね」
石塚「中谷さん以外で一番走れる人ってことで、自分は4区に選ばれたんですけど、4区と言われた時は素直にうれしかったです。出雲の時、千明(龍之佑・故障により欠場・現GMOインターネットグループ)さんが走ったら、自分は落とされていた。そこでたまたまもらったチャンスを活かして出雲を走り、全日本から箱根へと続いたので、数少ないチャンスを取りこぼさずにいけてよかったなと思いました」
ふたりが往路で駆けた箱根駅伝、早稲田大は13位に終わり、シード権を失った。主力として走り続けたふたりには、今の早稲田の課題が明確に見えていた。
後編へ続く>>ふたりが求める意識の変化「監督が代わって一時的によくなっても、強くなっていかない」