木村沙織×田村保乃(櫻坂46)対談 前編元バレーボール女子日本代表で2012年ロンドン五輪銅メダリストの木村沙織さんと、櫻坂46の田村保乃さんが対談。田村さんは小さい頃から大学までバレー漬けの日々を送った「バレー少女」で、木村さんは憧れの存…

木村沙織×田村保乃(櫻坂46)対談 前編

元バレーボール女子日本代表で2012年ロンドン五輪銅メダリストの木村沙織さんと、櫻坂46の田村保乃さんが対談。田村さんは小さい頃から大学までバレー漬けの日々を送った「バレー少女」で、木村さんは憧れの存在だと言います。前編は、お互いの印象やふたりのバレー部時代の話。終始、笑顔いっぱい、ほんわかとした雰囲気で語り合いました。



櫻坂46の田村保乃さん(左)と木村沙織さん

◆ ◆ ◆

第一印象は「めっちゃかわいい!」「想像どおり優しくて」

ーー木村さんと田村さんは以前一度お会いしているそうですが、お互いの第一印象は?

木村沙織(以下、木村) すごくたくさん言われていると思うんですけど、めっちゃかわいい!と思いました(笑)。

田村保乃(以下、田村) いやいやいや(笑)。

木村 ちょっとお話した時に、かなりガチでバレーボールをやっていたという話を聞いてうれしいなと思って。そして、そんな子がアイドルになれるんだっていうこともうれしいですね。

田村 私はテレビの前で見ていた憧れの存在だったので、ずっとずっといつかお会いしたいなって思っていたので、お会いできた時は本当にうれしくて、想像していたとおりの優しくてかわいい木村さんでした。

ーー話をされて印象が変わったりしましたか?

田村 思い浮かべている木村さんそのままで、みなさんが大好きな理由も本当によくわかるなって思います。

木村 私は話せば話すほど、バレーボール熱を感じました。部活でバレーを真剣にやってきたんだなと。いっぱいバレーのお話を聞かせていただいて、ちょっと胸が熱くなりました。

「木村さんの髪型をマネしてました」

ーー田村さんは前回のインタビュー(2022年3月20日配信)で、2012年のロンドン五輪を熱心に見ていたとおっしゃっていました。その頃から木村さんに憧れたんですか?

田村 もっともっと前、私が小学生の頃からです。私は幼稚園年長からバレーボールを始めたんですけど。

木村 早いね!

田村 はい(笑)。その時からずっと、プレーするのも好きなんですけど、バレーの試合を見るのが大好きでした。小学校の時は、周りのみんなもそうだったんですけど、日本代表が本当に好きで、セッターの子は竹下佳江さんのマネをして。私はずっと木村さんに憧れて、髪型をマネしたり。



ーー髪型をマネしたのは、木村さんが三つ編みだった時ですか?

田村 いえ、木村さんがショートボブだった時です。写真を美容師さんに見せて、「こうしてください」って。前髪をクルクルってしてました。

木村 あー! 前髪を一部だけクルッとやっていた時、ありました、ありました。ショートボブの時、耳に髪をかける仕草をマネされましたよ(笑)。

田村 あれ、めっちゃかわいかったです! 私もマネしました。

木村 チームメイトから「沙織のマネ〜」ってこうやって(耳に髪をかける)。それで、シューズの裏を手で拭いて、また髪を耳にかけるみたいな。ちょっと馬鹿にする感じで(笑)。よくマネされましたね。



ーー田村さんは木村さんを尊敬する人に挙げていますが、具体的にどんなところに憧れているんですか?

田村 好きになったきっかけはやっぱりプレースタイルです。あと私は小さい時からかわいい女の子が好きで。だから木村さんの見た目もプレーも大好きで憧れました。お人柄もそうですし、もう本当に全部大好きで......。

木村 めっちゃ褒められたー(笑)。

田村 ふふふ。

木村 めっちゃ汗かいてきた(笑)。

田村 今でも憧れの人は?って聞かれると、木村沙織さんと前田敦子さんって答えています。

木村 えええー!

ともにバレーボール漬けの学生時代

ーー田村さんは真面目な部活少女だったそうですが、木村さんももちろん部活中心の高校時代だったんですよね?

木村 私は下北沢成徳高校という学校だったんですけど、バレーで日本一を目指してる高校だったので、体育館には常に「春高まであと●日」と自分たちで作った大きな張り紙がしてあって、授業が終わるとすぐ練習なんです。

 私は学校まで電車で片道2時間くらいかかっていましたが、朝練に始発でも間に合わないから、家の最寄り駅よりちょっと大きい駅まで母に送ってもらっていました。今はどうかわかりませんが、当時は校内合宿というのが多かったです。大会前になると学校にお泊りする生活だったんです。そうなると、24時間、体育館をいつでもどうぞという環境だったので、ずっと練習していました。

 監督の指導法が、それぞれ自分に足りないところを練習するという自主性を重視するものだったので、その後、社会人のチームに入ったり、全日本に行ったりした時にすごく活きました。



ーー田村さんは進路を決める時に木村さんの言葉が決め手になったということでしたね。

田村 大学でもバレーをやらないかというお話をいただいたんです。ずっとバレーをしてきて、どこかで区切りをつけようと思っていて......。

木村 うんうん。

田村 自分のなかでは高校まで全力で頑張って、バレーを終えて自分の人生をいったん区切ろうとしていたんですけど、その頃に木村さんも引退すると眞鍋(政義)監督におっしゃっていて。でもキャプテンを任されたんですよね。

木村 そうですね。そういうことがありました。

田村 バレーを続けるかすごく迷いました。たぶん、バレーを続けたほうが自分的には苦しい道になるんだろうなというのは想像して。普通の学生生活を送りたいなという考えがあったんです。でも、その時に木村さんが「選択肢がふたつあった時に苦しいであろうほうを選ぶ」って言っていました。それを聞いて、私も大学でバレー続けてみようと決めました。

木村 へえー。発言って大事ですね。

田村 (笑)。



ーー木村さんはインフルエンサーですね!

田村 そうです。インフルエンサーです!

木村 大学が終わる頃に、私が引退するかしないかという話をもう一回してたら、実業団へ行ったかも知れない?

田村 大学の2年生になる頃にアイドルの世界に入りました。なので大学は卒業できなかったんですけど、大学でバレーを続けてなかったら今もなかったんじゃないかなって思うんです。木村さんは昔からいつもそうですけど、私の人生に大事なことを伝えてくださって、道を作ってくださったなと感じています。

木村 そんな力は、私にはまったくないと思いますが......。こういうことを身近で聞くと、自分の発言は大丈夫だったんだろうかと、心配になるような発言しかしてこなかったような(笑)。

田村 いえいえ。そんなことないです。ありがとうございました。

木村 こちらこそ......本当に。

「バレーボールが本当に大好き」

ーー木村さんはバレーで生きていくと決めたのはいつだったんですか?

木村 バレーで生きていくとは本当に思ったことはないんです。入った学校が強豪校だったので、中学で日本一になる、高校で日本一になる、という目の前の目標をずっと追いかけてきました。その後、大学に行くかどうしようかという時に、ずっとバレーをすることをあんまり考えていませんでした。

 洋服や美容関係も好きでしたし、母からは「バレーだけが人生じゃないから大学へ進学する選択もあるし、真剣に考えてちゃんと自分で選びなさい」と言ってもらいました。押しつけられたことはなくて、いつも自分の好きな方向を選んでこられたので、母には感謝してます。

 そして自分で考えたうえで、いろんなチームを見にいってみて、「ここでバレーがしたいな」というチーム(東レアローズ)を見つけて続けていくことを決めました。バレーをしていると永遠に目標があって、何かクリアしてもじゃあ次はこれ、というふうになる。次はこのチームに勝ちたいとか。それをずっとひとつずつ潰し続けてきた感じですね。

 正直、引退する時も、課題がなくなったわけではないですし、目標をすべて達成したわけでもなかった。それでもやりきったというか、全部出しきれたなという感じはあったのでスパッと終われました。

ーー引退会見の時は笑顔でしたよね。泣かないでいようと思ったとおっしゃっていましたが、ちょっと泣いてました。

木村 やっぱりお世話になった方の顔が思い浮かんだりして。まだ身体的にはやろうと思えばできたと思うんですけど、技術面でも精神面でも年齢がいけばいくほどに実は楽しかったんです。できることが増えたり、余裕も出てきていました。でも中学、高校くらいからいつやめても悔いがないように一日一日、明日やめてもいいやって思うくらいの気持ちでずっとやってきたから、けっこうスパッと引退できました。「あとはみんな頑張ってくれー」みたいな感じで!

ーー木村さんからはバレーが「楽しい」という言葉が聞かれましたが、田村さんもバレーが楽しかったですか?

田村 練習は大変でしたが、もちろん楽しかったです。バレーボールというものが本当に大好きで、小学校の頃からずっとそればっかり考えてきました。

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ふたりの対談中編は、2012年ロンドン五輪のバレーボール女子がテーマ。木村さんが銅メダル獲得に貢献し、田村さんは学生時代にその様子を熱心に観戦していました。田村さんの印象的な試合や木村さんの活躍の裏側を語っていただきました。

中編につづく

撮影協力/TBS

【profile】
木村沙織 きむら・さおり 
1986年生まれ、東京都出身。2003年、アジア選手権で代表デビュー。2005年、東レアローズに入団。2012年ロンドン五輪で銅メダル獲得。2012年に世界最高峰リーグであるトルコの「ワクフバンク」に移籍し、ヨーロッパチャンピンズリーグ優勝を経験。2016年リオデジャネイロ五輪でキャプテンとしてチームを牽引した。2017年に引退。現在は、元バレーボール選手で夫の日高裕次郎氏とカフェ・バーを営みながら、マルチに活動している。

田村保乃 たむら・ほの 
1998年生まれ、大阪府出身。幼少期にバレーボールを始め、大学途中までプレー。2018年、坂道合同オーディションに合格し、欅坂46(現・櫻坂46)の2期生としてアイドル活動をスタート。2021年には自身初の写真集『一歩目』(小学館)を発売。櫻坂46通算3枚目のシングル『流れ弾』ではセンターを務めた。