) 唐草マントに、バッドマン風の仮面、緑色のコスチューム。甲斐バンドの『HERO(ヒーローになる時、それは今)』に合わせて入場すると、彼女は観客にハイタッチをしながらにこやかにリングサイドを駆け巡る。「会場にお集まりの大きいちびっ子たち、こ…

 唐草マントに、バッドマン風の仮面、緑色のコスチューム。甲斐バンドの『HERO(ヒーローになる時、それは今)』に合わせて入場すると、彼女は観客にハイタッチをしながらにこやかにリングサイドを駆け巡る。

「会場にお集まりの大きいちびっ子たち、こーんーにーちーはー! 東京女子プロレス、愛と平和を守るニューヒーロー、ハイパーミサヲのお出ましだー!」

 2018年5月3日、東京女子プロレス後楽園ホール大会でも、彼女の陽気なキャラクターは健在だった。ただ、いつもと違うのは、対角線に立つ相手がデスマッチのカリスマ、葛西純だったということ。2014年7月、引きこもりだったハイパーミサヲは、偶然観たDDTの路上プロレスをきっかけにプロレスラーを志した。その試合に出場していたレスラーのうちのひとりが、葛西純。彼女にとって、葛西はいわばヒーローそのものだ。



2018年5月に葛西純(下)とエニウェアフォールマッチを行なったハイパーミサヲ(写真提供:東京女子プロレス)

 引きこもり時代、生きるために最低限のカロリーを摂取するため、毎日チョコシュークリーム1袋だけを食べていたというハイパーミサヲ。この日のエニウェアフォールマッチに、「チョコシュー1袋食べきられなければフォールカウント無効ルール」を加えることを提案した。

 ゴングが鳴る。ひたすらチョコシューを食べ続ける2人。葛西はチョコシューを食べきることができず、ハイパーミサヲを抑え込むもレフェリーはカウントを取らない。フォールカウントを取れないとなれば、ギブアップを狙うしかない。関節技をガンガン仕掛ける葛西。シュールな試合展開が続く。

 ロビーに飛び出したハイパーミサヲは、自ら装飾したド派手な自転車で葛西を轢こうと試みる。しかし、パイプ椅子を組み立てた城に激突し、自爆。それでも彼女は諦めない。再び自転車に乗って会場に現れ、自転車に乗ったまま2階から階段を駆け下りる。着地に失敗し、倒れ込むハイパーミサヲ。茶番のようだが、葛西を確実に翻弄していく。

 しかし、ラダーとテーブルを使ったハードコアな展開になると、やはり"カリスマ"葛西には太刀打ちできない。チョコシューを食べきった葛西が、パールハーバースプラッシュでフォールを決めた。

 葛西がマイクを持つ。

「引きこもりの時に食べてたシューチョコは味もなにもしなかったと思うけど、今日リング上で食べたシューチョコの味はどうだった? 最高の味だったろ? 生きてるって感じがしたろ? それがプロレスのリングの魔力ってもんだ」

 ハイパーミサヲは泣き崩れた。枠のなかで生きようとしていた自分。世界とのズレに苦悩し、死のうとした自分。それも叶わず、死んだように生きていた自分。しかし今の自分は、プロレスのリングの上で「生きている」と強く実感している。

「かつての自分と今の自分が、あの試合でつながったというか。過去の自分をちょっと救えたかなと思う」

 彼女はいかにして、"愛と平和を守るニューヒーロー"になったのか。



仮面をつけて闘う東京女子プロレスのハイパーミサヲ

***

 ハイパーミサヲは1990年、茨城県に生まれた。父、母、3つ上の兄がいる。茨城に生まれたのは父の仕事の関係で、周りの子のように親戚が近くにいない環境。地元なのに地元じゃないようなコンプレックスを幼い頃から抱いていた。

「田舎だから排他的だったりもして、地域に馴染むというのが人生の最初のハードルとしてありました。私の勝手な思い込みで実際はみんな優しかったと思うんですけど、『この発言は大丈夫かな?』『この振る舞いで合ってる?』みたいなことを常に考えながら生活してましたね」

 絵を描くことが好きで、将来の夢はイラストレーター。小学校の全校集会で表彰されることが度々あった。ミサヲはそれが「本当に嫌だった」と話す。目立つことも嫌だったし、「そこしか褒めるところないから褒められてるのかな」とも感じた。

 中学受験をし、中高一貫の地元の進学校に入学する。その際、自己紹介文で将来の夢を書かなければならなかったが、その答えで周囲との"ズレ"を感じることになる。

「進学校だから周りは医者とか弁護士とか書いてるのに、私は特殊メイクアップアーティストとか書いちゃったんですよね。そこで"ズレ"を確実に把握しました。なんかこいつ違うなって思われたのかも。最初のグループでいじめられちゃって......。しばらく学校を休んだんですけど、休み明けに『生きてたんだ』とか言われて。でも私は平気な顔して、別のグループに入りました。平気な面をしちゃうんですよね、すべてにおいて」

どん底の大学生活で出会った「短歌」という救い

 その後は美術系の夢については胸にしまい、目立たないように中学、高校を無難に過ごした。高校卒業後の進路も、ほぼ全員が大学進学する周囲に合わせて有名大学を志望校として選んだ。「周りの想像の範囲外のことを言ったら、私の人生は終わる」とミサヲは思っていた。

 高校卒業後、青山学院大学文学部に進学。第一志望の大学ではなかった。

「そこでようやく、自分がずっと周りの選択に合わせて生きてきて、自分の意志がないまま大学まできたということにはっきり気づいちゃって。周りはみんな好きでこの大学に入った人ばかりに見えて、みんながキラキラ大学ライフを送っているなか、どん底でした」

 人見知りと赤面症を克服しようと演劇サークルに入部したが、徐々に大学に行かなくなり、2年生で留年した。親に「どうしても大学だけは出てくれ」と言われ、サークル仲間と縁を切り、単位を取るためだけに大学に通った。

 いつからか、自分の体が自分のものではないような感覚に悩まされるようになった。幽体離脱して、斜め上の空中から自分のつむじを見下ろしている感覚。どうしたら自分は、自分の人生を生きられるのかわからなかった。

 そんなミサヲにとって、唯一の救いが短歌だった。大学1年の春、書店でたまたま手に取った歌人・穂村弘の詩集『求愛瞳孔反射』に衝撃を受け、続けて歌集『シンジケート』を購入。孤独感や疎外感、世界への違和感を詠んだ歌が多く、当時の自分の心境を言い当てられたように感じた。

 雑誌『ダ・ヴィンチ』で、穂村が「短歌ください」という応募コーナーを連載していることを知り、見よう見まねで短歌を作った。最初に送った短歌が誌面に掲載され、その後も度々、取り上げられることになる。ペンネームは「冬野きりん」。連載が単行本化された際、冬野きりんの短歌が帯に載った。

――ペガサスは私にはきっと優しくてあなたのことは殺してくれる

「数行の講評だけど、『この人は自分の心情をわかってくれている』と勝手に感じてました。あまりルールを考えずに比喩表現とか使いまくって、よくわからないものもあったと思うんですけど、それも『わかってくれたんだろうな』と思うような講評をしてくれて。それで救われた感じはありますね」

 真面目に大学にも通うようになり、教授の助言で大学院に進む道を考えたが、親の反対に遭い、断念する。卒業論文も出していない。就職先も決まっていない。「もうなんの選択もしたくない」と思ったミサヲは、"最後"の選択をする。

青山墓地で酩酊し、緊急搬送

 青山墓地までの道を歩きながら、常に鞄にしのばせていた薬を酒で流し込んだ。酩酊し、とある文豪の墓の前で倒れた。

 翌朝、通行人に発見され、病院に搬送された。顔面に大ケガをするも命に別状はなく、救急病棟をあとにした。

「運がよかったのか悪かったのか、顔面ボコボコでオムツして車いすに乗せられてたけど命に別状はなくて。きっと私、めちゃくちゃ生命力があるんですよ。『死にたい、死にたい』って言いながら生きてるんですけど、めちゃくちゃ生命力がある。だからたぶんプロレスラーになってるんですよね。打たれ強いんです」

 もう1年、留年し、なんとか大学は卒業した。しかし就職活動をする気力もなく、引きこもりのような生活が続いた。

「自殺未遂で両親に迷惑をかけてしまったので、その頃はまた『枠のなかで生きていかなきゃいけない』という考えに戻っていて。これからは死なないように、死んだように生きていくしかないんだなと絶望していました」

 そんなある日、母親から「ハンドメイドインジャパンフェスに行きたいから、一緒に来てほしい」と頼まれ、ミサヲは東京ビッグサイトへ向かった。そこで彼女が生まれて初めて目にしたもの。のちの人生を大きく変えることになるもの。それがプロレスだった。

(後編:結婚後もデスマッチで味わう「生きてる感じ」。「らしくあらねばならない」という概念を破壊し続ける>>)

【プロフィール】
■ハイパーミサヲ

1990年1月3日、茨城県生まれ。165cm。青山学院大学文学部卒業後、引きこもり生活を送るなか、東京ビッグサイトで開催されたDDT路上プロレスを観戦し、プロレスラーを志す。2015年2月28日、東京女子プロレス新宿FACE大会にて、MIZUHOと組み、対KANNA&木場千景戦でデビュー。2018年5月3日、後楽園ホール大会にて、葛西純とエニウェアフォールマッチで対戦。「東京女子プロレスの愛と平和を守るニューヒーロー」として、コミカルな試合を展開している。