競技は違えど、ともに代表キャプテンの経験を持つ廣瀬俊朗氏(左)と伊藤華英氏伊藤華英の For Your Smile ~ 女性アスリートの未来のために vol.5 特別対談 廣瀬俊朗×伊藤華英 後編 元ラグビー日本代表のキャプテンとしてチーム…



競技は違えど、ともに代表キャプテンの経験を持つ廣瀬俊朗氏(左)と伊藤華英氏

伊藤華英の For Your Smile ~ 女性アスリートの未来のために vol.5 
特別対談 廣瀬俊朗×伊藤華英 後編

 元ラグビー日本代表のキャプテンとしてチームをまとめてきた廣瀬俊朗氏。伊藤華英氏との特別対談の後編では、そのリーダー論、さらには女性指導者の育成についても話を伺った。

(インタビュー前編はこちらから)

チーム競技と個人競技で違う主将の役割

――廣瀬さんは2012年から2年間、ラグビー日本代表のキャプテンをやられ、伊藤さんも2009年の世界選手権などで全日本のキャプテンをやられていました。それぞれチームを率いるという立場で、どんなリーダーになろうと考えていましたか。

廣瀬 代表クラスの選手になると、みんな個性も強いので、そんな選手たちがこのチームにいて「ワクワクするな」とか、「楽しいな」という雰囲気をどう作るかを大事にしていました。もちろんチームとしての方向性は、僕のほうから話をしてまとめていきましたが、全部引っ張っていこうという意識はなかったです。

伊藤 廣瀬さんはスーパーキャプテンでしたので、私とは比べものになりませんが、私も代表選手を率いるという意識はなかったですね。競泳は若い選手だと15歳から、ベテランだと30歳くらいの選手もいるので、代表に来る意識が全然違うんですね。若い選手は「代表に入れた!やったー」と代表に入ったことに満足している雰囲気があって、ベテラン選手は「ここで結果を出さないといけない」という緊張感がありました。やはり世界で戦う場合にはそのあたりの意識を統一していく必要があると考えていました。

 ただ競泳は個人種目なので、結果が出る人と出ない人がいます。結果の良し悪しからくる選手たちの気持ちの浮き沈みがチーム全体に伝播してしまうので、それをできるだけ減らしたいと思っていました。そして全レースが終わった後にみんなで手を上げて喜ぼうと声を掛けていましたね。

――キャプテンだった当時を振り返って今はどう感じていますか。

廣瀬 総じてよくやったなと思いますが、「もう1回やれ」と言われたら困ります。めちゃくちゃ追い込まれましたし、練習もきつかったから、正直言うと、あの日々には戻りたくないですね。それぐらい頑張りました。

伊藤 2015年のワールドカップの南アフリカに勝った、あのチームの土台を作ったキャプテンですから、本当に苦労されたと思いますが、あの勝利は歴史に残る偉業ですよね。

廣瀬 あのワールドカップのために、どれだけきつい練習の日々を送ってきたことか。日本ラグビーは変革の時だったので、ヘッドコーチのエディー(・ジョーンズ)さんも相当なストレスを感じていたと思います。選手たちにとっては、今までやってきたことと全く違う練習スタイルでしたので、適応するのがすごく大変でした。そんななかでチームを作らなくてはいけなくて、とても苦労した記憶があります。

 2014年にキャプテンから外れたんですが、その後も新しいキャプテンのサポートをしていました。ただチーム内で何か問題が起こった時には、エディーさんから「廣瀬、どうなっているんだ!」と言われて......。僕が何とかしていくということもありましたね。

伊藤 そんな苦労があったんですね。競泳は個人競技ですので、当然自分にも集中しなきゃいけないし、ハイパフォーマンスも求められる。北島康介さんもキャプテンをやられていましたが、彼は絶対的な存在でした。彼がチームミーティングでみんなの前で話をすると、選手たちの気持ちが締まるので、とても重要な役割を担っていましたね。いるといないとでは大きく違いました。

女性指導者育成への課題

――お二人とも現役を引退し、現在は廣瀬さんが株式会社HiRAKUの代表取締役、伊藤さんは「1252プロジェクト」のリーダーになっていますが、指導者の道でやっていこうという意識はありましたか。

廣瀬 東芝ブレイブルーパスで2年ほどコーチとして指導もしましたが、スポーツを広めるためには外の世界に出るのが大事だと思って今の道に進みました。

伊藤 私は自分のコーチの姿を見ていたので、指導者になるという考えは湧きませんでしたね。朝から晩までほぼ毎日一緒にいて、家族よりも長くいる存在でしたので、当時から相当大変な職業だと思っていました。

廣瀬 確かに、僕もエディーさんの姿を見ると、僕にはできないなと思いますね。指導者としてストイックにならないといけないし、言いたくないこともしっかりと言わないといけない。なかなか大変なことです。

伊藤 指導者は、合宿に2~3カ月間帯同することになるし、家にいないのが普通の状態ですよね。オリンピックになるともっとコミットしなくちゃいけない。本来であれば、指導者はもっとリスペクトされていい存在だと思います。

――それだけ苦労されている指導者の方々の多くが男性という印象があります。スポーツ庁の発表だと女性の指導者の割合は27.5%で、東京五輪での日本選手団の女性コーチの割合は14.8%とエリートスポーツではさらに低い結果が出ています。この数値をどうみますか。

廣瀬 当然少ないと思いますね。やはり女性選手にとって女性のコーチが増えるとうれしいのかな。

伊藤 話しやすいと思いますよ。生理などの課題は、女性コーチのほうがわかると思いますので、女性アスリートのサポートには間違いなくなりますね。スポーツ庁は女性指導者の育成というミッションがありますが、そのためにはライフステージの変化に伴ったサポートがある程度ないと実現しないのではないかと思います。

 若い女性には妊娠や出産がありますから、その時期にどうサポートをするのか。当然、男性も奥さんの出産や育児に関わる時代ですので、子供が未就学児の場合は、男性も夕方から忙しくなる人がいます。女性も男性も、それが一つのハードルになって指導者から離れてしまうようなことがないようなサポート体制ができるといいと思います。指導したい女性の方はたくさんいると思いますが、仕事として生活が保障されているかということも考えないといけないですよね。

廣瀬 そうですね。指導者の立場がよりよくなってほしいなと思いますね。魅力があれば、みんなやりたいと思いますし。競技にもよりますが、トップレベルだと、相当きつい仕事だと思います。コーチは本当に休みなくハードに働いていますしね。



スポーツを広める活動を行なっている瀬俊朗氏

もっと多くの人にスポーツを

――お二人はともにスポーツを広める活動をされています。今後のビジョンを教えてください。

廣瀬 最近「One Rugby」(ワンラグビー)の活動を少しずつ始めています。これは15人制や7人制のラグビーだけじゃなくて、車いすラグビー、デフラグビー、ブラインドラグビー、タッチラグビー、それから走らないラグビーなどでもいいんですが、すべての人に開かれたラグビーであるべきだと思っているので、さまざまなラグビーを体験できるイベントを開催したりしています。今後もラグビーができる環境を作っていくために活動していきたいと思っています。

伊藤 学生女性アスリートをサポートする活動『1252プロジェクト』は、10人くらいのチームで、毎週密度の濃い会議を行なっていますが、これはチームの枠を超えて、日本中の人とともに見つめていく課題だと思っていますので、引き続き、この活動を推進していきたいと思っています。

 それから、子供の時にスポーツでエリートになれなくて、挫折感を味わった人が結構多いのではないかと思いますが、大人になっても、その思いを引きずってあまりスポーツに関わりたくないという人が多いと感じています。やっぱりスポーツには、見る、支えるだけじゃなくて、やる楽しさがあると思っていますので、「エリートスポーツだけがスポーツじゃない」ということも広めていきたいなと思っています。

【Profile】
廣瀬俊朗(ひろせ・としあき)
1981年10月17日生まれ、大阪府出身。元ラグビー日本代表。ポジションはウイング、スタンドオフ。5歳からラグビーを始め中学まで吹田ラグビースクールに所属。北野高校へ進学し、高校時代には高校日本代表に選出されキャプテンを任される。慶應大学のラグビー部でも4年時にキャプテンを務める。2004年から東芝ブレイブルーパスに所属。07年に日本代表に選出され、12年から2年間、キャプテンに就任。2016年に現役を引退。東芝のコーチを務めたのち、(株)HiRAKU を設立。現在は一般社団法人スポーツを止めるな共同代表理事、特定非営利活動法人One Rugby理事長などを務める。

伊藤華英(いとう・はなえ)
1985年1月18日生まれ、埼玉県出身。元競泳選手。2000年、15歳で日本選手権に出場。2006年に200m背泳ぎで日本新、2008年に100m背泳ぎでも日本新を樹立した。同年の北京五輪に出場し、100m背泳ぎで8位入賞。続くロンドン五輪では自由形の選手として出場し、400mと800mのリレーでともに入賞した。2012年10月に現役を引退。その後、早稲田大学スポーツ科学学術院スポーツ科学研究科に通い、順天堂大学大学院スポーツ健康科学部博士号を取得した。現、全日本柔道連盟ブランディング戦略推進特別委員会副委員長、日本卓球協会理事。